お菓子ならあるよ
「あっ!いた!黒子っち!トリックオア……」
「はいどうぞ」
 言い切る前に言葉を制し、黒子は黄瀬に向けて用意してきたものを渡そうとした。なのに、黄瀬は両手を後ろに回して受け取ろうとしない。
「……何で持ってるんスか」
「何でここにいるんですか」
 黄瀬と黒子はクラスが違う。黒子は今体育の授業が終わったところだが、黄瀬がここにいる必要はない。
「……」
「……」
 体育館と校舎を繋ぐ渡り廊下で、身長の著しく違う二人は見つめ合った。と周囲の目には映った。
 実際には一人の目は半眼でじっと上に向けられているが、片方は視線の先を反らしている。

 今日はハロウィンである。二人の闘いは朝から続いていた。

 ジャージのポケットから長方形の紙箱を取り出した黒子は、受け取ろうとしない黄瀬のセーターの合わせ目にそれを押し込んだ。
「あっ!黒子っちのえっち!」
「何がえっちですか、お菓子がないところを狙ってくる人が」
「そうでもしないと黒子っちいたずらさせてくんないじゃないスか」
「普通いたずらさせる人はいませんし、お菓子がなくたってさせませんから」

 黄瀬の襲撃は登校時から始まっていた。
 お菓子くれなきゃいたずらするっスよー!と満面の笑みで駆け寄ってきたので、何となく今日の流れを予想していた黒子は星型のチョコを一粒、黄瀬の手のひらに転がした。
 昨日紫原に食べかけをもらったのだ。箱の中には何粒かあったから、もし黄瀬が何回か来ても、これでしのげるはずだった。
 が、黄瀬は毎休み時間に現われた。そしてとうとう、チョコは空になってしまった。
 箱を振った黄瀬は音が鳴らないことを確認して、にまりと笑う。

「でも黒子っち、これじゃお菓子くれたことになんないっスよね」
「そうですか?」
「そうでしょ!箱は食べられないっスよ!」
「じゃあ箱の中、見てみてください」

 なに?と素直に蓋を開いた黄瀬の顔に、今度は黒子が笑う。
「あー何これ!テープでくっついてるっス!」
「立派なお菓子です」
 箱の内側に、赤司に前にもらった板ガムを貼り付けておいたのだ。ただ入れただけでは、体育での移動中に音が鳴ってしまう。
「じゃ黄瀬君、ボク着替えなきゃいけないんで」
 恨めしく箱の中を覗いている黄瀬に声をかけ、黒子は足早に更衣室へ向かった。
 次の授業で今日は終わりである。部活中は黄瀬もお菓子をねだってはこられないだろうから、あとは帰るだけだ。
(さて、気付きますかね)
 空箱を両手で丁寧に持っていた黄瀬の姿を思い出しながら、黒子はクラスメイトに紛れ、薄い気配をさらに薄めて教室へ戻った。



 ◇


 ぶんぶん、と腕を大きく振りながら歩く。黄瀬の片手には、懐かしいパッケージのチョコレートの空箱が握られている。
 空箱であるが、黒子からもらった以上おいそれとは捨てられない。ガムも入っていることだし、それも食べなければもったいない。
 部室に入り、ロッカーに鞄を入れてから黄瀬はベンチに腰を下ろした。まだ時間が早いから、室内には誰もいない。

(ちえー)
 かなり朝から頑張っているのに、いまだにいたずらができない。
 黒子とはこの春に知り合ったばかりだから、まだ半年の付き合いだ。もっと仲良くなりたいのに、普段はあまりふざけたりしないし、青峰と一緒にいることも多いから、どうも距離が今以上に縮まらない。
 抱きついたりすることは多いけど、いたずらはまだしたことがない。してみたい。響きがいいと思う。
 星型のチョコをころころと箱から転がしてくれる様は本当にかわいかったけど、あれは黒子に飾り付けたらもっとかわいいのではないか。
 口に出したら友達も教育係も知人の縁も切られそうなことを思いながら、黄瀬は空箱からガムを取り出そうとした。案外ゆるく張り付いているテープを剥がそうとして、違和感を覚える。
(……?)
 テープを剥がすと、くしゃ、と包装紙がよじれた。
「へ?」
 素で声が出た。おかしい、と思いながらもそうっとそれを引っ張り出す。やはりおかしい。入っているはずの板ガムの厚みも固さもない。包装紙を開くまでもなかった。
 中身は入ってなかったのである。

 がーん、と衝撃に口を開き、頭の中で彼の顔を思い描く。そういえば、授業の移動で急いでいるとはいえどこか焦った足取りではなかったか。
 それにしても全然気が付かなかった。大体黒子がこういうことをするなんて考えもしなかった。包装紙だってそれはそれはきれいに形状記憶された状態で貼られていたし、ということはこれのためにきれいに紙をはがしてガムを食べたのだろう。
 そこまでの何気に細かいことを、チョコがなくなってからあの午後の授業の合間にやったらしい。

 しばらく唖然としたまま固まっていると、かちゃりと扉が開いた。ほのかに青い髪が覗く。
「あ、失礼しました」
 そのままぱたんと閉じかけた扉を、試合さながらの機敏な動きで止め、視界から消えかけた腕を捕まえる。
「黒子っちいぃぃぃ!」
「……バレました?」
 振り返り、見上げてくる目はいつも通り淡々としていて、でも少し楽しげにくるりとしている。
「バレたっスよ!何してんスか!」
「お菓子を調達する時間がなかったんですよ」

(なかったって!)
 ガム食べちゃわないで、そのまま箱に入れれば良かったのに!

「黒子っちに先にいたずらされるとは思わなかったっス」
「せっかくハロウィンだったんで」
「意外とノリいいスね」
 言うと、黒子は少し考え、そうですね、と答えた。
「つい対抗意識が」
「対抗意識?」
「ただお菓子がなくなりました、じゃあつまらないでしょう」

(ハロウィンはそれでいいんスよ黒子っち!)

 そんな変なところまで負けず嫌いだとは知らなかった。こんな凝ったことをするとも知らなかった。
 自分が一日かけて構いに行ったことを楽しんでくれていたとは、知らなかった。

「もー参った、参りましたー」
 黒子っち大好き、と後ろから抱きつくと、黒子は珍しく逃げず、服に顔を寄せる動きをした。いたずらを想像していたときより、どきりとする。
「な、な、何?」
「何か黄瀬君からお菓子の匂いがするような気がします」
「オレ?何も持ってないスよ?」
「ああ、これですね」
 身体の前で交差している黄瀬の手が持ったままだった空箱に、黒子が触れる。蓋を開くと苺チョコの香りが漂った。

「でもやっぱりキミからも、甘い匂いがしますね」
 黒子が自分を見上げて笑う。

(……本当に、参っちゃうっスよ)

 いたずらされなくても、翻弄される。


 トリックオアトリートなんて、一度も言わない黒子の完勝である。