それは、かつての
「テツ君とこが勝ったって。練習試合」

 家の前で別れる直前、さつきが言った。
 風の音で、はっきりとは聞こえなかった。いつものようにうるさくないと、案外それ位の音に消される声だ。
「あ?」
「言ったじゃん。テツ君とこと、海常が練習試合するって」
「あー。聞いたかもな」
「良かったね」
「何が」
「何でも」
 じゃあね、とさつきは意味の分からないことだけ言って玄関へ向かった。何だありゃ、と背中を眺めながら適当に歩き始める。また風が吹いた。

(テツと黄瀬ね)

 肩に引っかけたブレザーが宙に舞う。丸めて鞄に押し込んで、欠伸をした。名前以上の感慨はない。
 部屋に帰ってベッドに転がり、放っておいた漫画を広げる。退屈だ。
 コレつまんねーなー、と思っていたら、いつの間にか寝ていた。





 ◇


 黄瀬が突然現れたのは、その数日後だ。お調子者っぽい頭が、体育館の隙間にへばりついていた。近寄って声をかければ、発見された侵入者並みに驚いた。何しに来たのか知らないが、適当に喋ってオレが帰ろうとすると、後ろから焦った声が聞こえた。

「青峰っち、オレとバスケしねっスか?」

(……変わんねぇな)

 変わらない黄瀬と変わらないオレでバスケをしたって結果も変わらない。考える前に迷わず断ったら、今度は誘われた。
 寝よう、ということらしい。
 さっきまで思い詰めたような目をしていた黄瀬は、振り返ったら人形みたいな顔になっていた。

「オレ、うまいっスよ。男は初めてっスけど」

(オマエと寝てどーすんだ)
 呆れたが、メッキみたいにぺかぺか笑って返事を待つ顔を見ていたら、上はオレだからな、と勝手に口が返事をしていた。やりたいともやりたくないとも思わなかった。オマエ今すっからかんだな、と思った。
 

 今はただの物置でしかない古い体育倉庫に連れて行くと、黄瀬は物珍しそうに辺りをきょろきょろと見回した。他所の倉庫が新鮮らしい。つっても、廃棄寸前のマットやらつぶれたボールやらが乱雑に積まれているだけだ。面白くもないそれらに、年季入ってるっスね、と呑気な感想を述べる。
 倉庫の窓を塞ぐ飛び箱に上着を放ると、ようやく目的を思い出したらしい。慌てて同じようにブレザーを脱ぐ。
(アホだなーコイツ)
 ネクタイを外そうとする手を止めたら、不思議そうに瞬きをした。
「着たままのが燃える」
「え、あ、そスか」
「おー」
 黄瀬のネクタイを引っ張りながら顔を近づけると、子供みたいにぎゅっと目を閉じた。口が真一文字に引き結ばれている。
(しねえよ、バカ)
 咄嗟に誰のことを思ったのか考えなくても分かる。口を塞ぐのだけは、アイツがいいんだろ。

「むー!む!むむ!」

 薄くなった唇を二本の指でつまんで引っ張ると、眉を寄せて抗議の視線を寄越してきた。
(オレに文句言えんのかテメェ…)
 恩知らずのバカなんか、普段ならとっくに蹴り飛ばしている。必死に開こうとする口をつまんでいるのも面倒なので放してやると、ぷは、と息を吸い込んだ。
「何すんスか!」
「ガキみてえ」
 不満そうに口を曲げたのは無視して、顎に手をかけて上を向かせる。元々緩んでいたネクタイの結び目を完全にほどき、首の根元をべろ、と舐めると大げさに肩が揺れた。
(よく言うわ、オマエ)
 うまいどころかびびりまくりじゃねーか。
 まあ、言い出したのはコイツだし、止めてやる気はない。それにこの性格上、そんなことを言ったら猛烈に反抗してくるだろう。

(あー面倒くせー)
 ホント面倒くせー。そう繰り返しながらシャツのボタンを一つずつ外す。裸になった胸を直接撫で上げると、僅かに身を竦めた黄瀬はオレの目を見てぽつりと呟いた。

「青峰っち」

「…………」

(迷子センターにいるわ、こういうガキ)

 誘ってきたときの威勢はどこへ行った。威勢と言えるほどのもんでもなかったが。
 だからといって、やめてくれ、というわけでもないらしい。オレのシャツを握り締めて、それなりに次を待っている。
(オレはオマエの保護者じゃねーぞ)
 はーやれやれ、と息を吐いて、もう一つ吸うついでに大きく口を開けた。
「イっ……て!」
 くっきり浮かんだ鎖骨に歯を立てたら、赤い歯型がついた。文句が出る前にそこを舌でなぞってやると、鼻から抜けるような声が漏れた。

 胸にぽつんとくっついている乳首をつまんだり押したり舐めてやったりしているうち、黄瀬はようやくこの行為に没頭してきた。ふ、ふ、と小さく息を吐いて、感覚を逃がそうとしているのか追っているのか分からない表情をする。時々、薄く目を開く。焦点が合わないまま、次の刺激でまた閉じる。同時に声を噛み殺す。そういう意識は一応残っているらしい。
「……っ、ん」
 が、あまりうまくはいっていない。今のは良かったです、と言っているような声にならない声が喉から漏れている。
(オマエ、オレで良かったよな)
 こんなユルいヤツ、他にいったら何されるか分かったもんじゃない。
 唾液で濡れたそこに冷たい息を吹きかけてやると、びくびく、と背を仰け反らせた。
(これとかも)
 さっきから地味に下半身に主張してくる。気付いていることを分からせるために布の上からそれを撫でると、もどかしそうに腰が揺れた。
(あーイラっとくる)
 前なんか触ってやらないで、後ろに一気に突っ込んでガンガン揺さぶって、声を上げて泣かせてやりたい。そんなことされるなんてこれっぽっちも思ってないのが分かるから、余計してやりたい。
 制服を下着ごとまとめて下ろしてそれを握ってやったら、魚みたいに身体が跳ねた。

 黄瀬を後ろ向きに壁に押し付けて、ピアスごと耳を舐める。一瞬力が抜けた隙に、途中で止まっている指を差し入れる。途端に、ぐっと肩が盛り上がって全身に力が入った。
「……っ!」
「固えよ」
「な、こと…………っ、たって」
「オラ力抜け」
「抜い、て、るっス」
 髪の生え際に汗がにじんでいる。たった一本の指を奥に進めるだけで、黄瀬はその度に身体を震わせた。壁についている両の拳に筋が浮かんでいる。
(仕方ねぇな)
 滑らせるものがないとどうにもならない。
「オマエ、もう一回イけ」
「え。……ア…!」
 指を引き抜くと、黄瀬は小さく叫んだ。それでも、吐き出す息は安堵の息だ。
 完全に力を失ってうなだれているものに再び手を伸ばす。ここだけ濡れているのは一度達したからだ。しかし思いの外うまく掬い取れず、ほとんどをこぼしてしまった。

「あ、青……青峰っち」
「んだよ」
「オレ、ん、……いー、から」
「オマエが出さねぇとオレが入れらんね」
「や、だか……」
「るせーな」
 既にまとわりついていた精液のおかげで、手が動かしやすい。ぬるりとする感触に、黄瀬は、ア、と喉を反らせた。
(とっとと飛んじまえ)
 背中の汗を舐めたら不思議な感覚がした。よく知った、仲間の背中だった。


「……オイ、生きてっか」
 ギリギリいっぱいのところを堪えて聞くだけ聞いてみる。返事はない。
 自分がこうなら黄瀬はギリギリを越えたということだ。小刻みに震える身体を後ろから抱きかかえてやると、苦しそうにうめいた。当たり前だ。
 黄瀬が二度目に出したもので何とか入れることはできたものの、十分に慣らす余裕はなかった。そんな悠長なことをしている間に、ぬめりが消えてしまう。
 冷たい汗をだらだら流し始めたのには、さすがに続行する気も失せた。しかし止めようとしたら案の定、というか予想以上に黄瀬が反抗した。ヤダヤダ絶対ヤっス!と徹底的に駄々をこねた。
(バカだろオマエは。本気で)
 言われた通り無理に突っ込んだらこの有様だ。こっちだって痛い。冷や汗は二人分だ。
 そんなにしてまでするこたねーだろ。

(んな、辛かったのかよ)
 テツとやったの。

 負けたのが原因なのか何が原因なのか、知らないし知る気もない。でも昔からコイツはこうだ。勢い余って空回る。諦めることを知らないアホだ。

 自分には遠い。

 今は全てが遠い。


 その日は結局そんなんでイけるわけもなく、とりあえずそこで終わらせた。アホの黄瀬は口でするとか手でするとか色々言ってきた。ガンシャすんぞ、と睨みつけたらようやく黙った。





 ◇


『今日、そっち行くっス』

 昼休み、屋上で寝転んでいたところにメールが来た。今日で何回目になるか分からないが、それ位の回数をした。もう入れて中で出すこともできる。

 慣れるほど、黄瀬は気持ち良さそうな反応を示す。時間をかけないでも、すぐに落ちる。何回でもぶっ飛ぶ。それをするだけの余裕がある。ほんの隙間に、違うことを考える。

(オマエもう次行け、次)

 空を見上げながら携帯を開く。出来損ないの雲が薄く浮かんでいる。
 校内では電源切るのが当然だ、とでも言いそうなヤツは、意外にすんなりと出た。

「おー、緑間?」
 今の状況をそっくりそのまま説明したら、緑間は電話の向こうで唖然とした。ははっと声に出して笑ったら、笑い事か!と返ってきた。
「ワリーワリー、じゃ後頼むわ」
 電話を切って携帯を横に放り投げた。雲は流れて、ビルの向こうで止まっている。これで黄瀬は来なくなるだろう。

(アイツ、容赦ねぇからな)
 もう逃げ場なんてねーぜ。黄瀬。

 けど平気だろ。
 突き放しもしねぇから。

 黄瀬の背中を舐めたときのことを思い出す。仲間の、背中。

(オマエはそっち行ってろ)



 日に当たっていたら眠気が増してきた。五時限目のチャイムが鳴る。風が吹いて、雲が流れる。絶好の昼寝日和だ。ざわついていた校舎も、授業開始と共に静かになった。

 くあーと大きな欠伸をして、手足を伸ばす。

 風と一緒に流れてくる眠気に、そのまま意識を任せることにした。