誕生日の王様
「オレの誕生日、祭日になったらいいのに」

 カレンダーを見てぼそっと呟いた黄瀬に、着替えを終えかけていた部員の注目が集まる。
「どんな王様発言なんだオマエ」
「青峰くんでもそこまでひどくありません」
「オレはあんなこた言わねーぞ」
「でもしょっちゅう、テストの点数は試合の得点と入れ替わればいいとか、家の隣に試合会場が来たらいいとか言うじゃないですか」
「……それはそう思うんだから仕方ねーだろ」
「ホラ」
「……あの」
 完全に黄瀬を、自分の誕生日を国民の祝日にしようとしている君主扱いにして二人は話を進めている。この二人は何でか結論を出すタイミングがいつも同じで、それがまた早い。せめて理由を聞いてからにして欲しいと思う。

「あのちょっと、二人とも……」
「んだよ祭日王」
「祭日王?!せめて王子様がいいっス!じゃなくてさっきのは、誕生日学校が休みならいいって意味で!」
「似たようなもんじゃねーか」
 黒子も頷きかけたが、ふと思うところがあったようで、片手を顎に当てて考え出す。
「ああ、学校に来たくないってことですか?」
「そう!さすが黒子っち!」
「そんなに授業が辛いとは大変ですね」
「……ちがーう!ひどい、二人ともオレを誤解してるっス」
「めんどくせーな、じゃあ何なんだよ」
 部室の床に直に座り、両腕を頭の後ろで組んでだるそうに言う青峰は心底面倒臭そうであったが、ようやく理由を聞いてもらえた黄瀬は真剣に答えた。

「誕生日は学校に来ると女の子からプレゼントの嵐になるんスよ」

 一日朝から帰るまで、気の休まるときがないっス。
 腰に手を当てため息を吐き、年々重くなる悩みを伝える。

「…………」
「あ、青峰君ボクも帰ります」
 立ち上がった青峰に黒子が呼びかければ、コンビニ寄ってこうぜー、と会話が始まってしまった。
「聞いてほしいんスけど?!」
「緑間ー、アンラッキーアイテムとかねーのか」
「そんな無駄なものはないのだよ」
「簡単じゃないか。今からグラウンド追加すればいいんだよ」
 おっ名案名案、と和気あいあい盛り上がり始め、これ以上何か言うと本気で追加されない雰囲気に、黄瀬はむすーと口を引き結んだ。

 その黄瀬が再びカレンダーを弱った顔で見つめる姿を、黒子の視界は片隅に捕らえていた。
 誕生日は祭日どころか週明け早々、月曜日である。



  ◇

 今日の授業もあと一時間で終わる。というその手前の休み時間だった。
 ガラッと勢いよく教室の扉が開くと、黄瀬が風のような速さで黒子の机の脇に身を屈めた。机の端に指を揃えて置き、黒子を見上げる。

「黒子っち、かくまって」
「無理です」
「そんなこと言わないで」
「かくまえるものがありませんよ。諦めて教室に戻った方が一度にもらえていいじゃないですか」
「休み時間くらい休みたいっス」
 泣き言を言う黄瀬の姿を早くも女子は発見したらしい。廊下から教室の中を指差し、大小それぞれのプレゼントを胸に、何か楽しそうに身を寄せ合っている。
「でももう見つかってますよ」
「うう」
 げっそりした顔の黄瀬はしかし、机の影から出て立ち上がった時には別人のごとく、にこりと人好きのする笑顔を浮かべていた。廊下の彼女たちへも顔を向ければ、明るいトーンがまた華やぐ。
 黒子はその豹変ぶりに感心した。自分も感情を顔に出さない方だろうが、もともと出にくい性格でもあるのだ。意識的にしている面もあるがそれほど無理はしていないし、黄瀬のような一瞬で切り替える技術はない。

「じゃあ帰るね黒子っち」
 黄瀬が片眉を下げて笑う。何だかんだ言っても、この状況は受け入れると決めている顔だった。誕生日なのにお疲れ様だなあと思う。
「ボク放課後、屋上で本読んでます」
「?」
「肩くらい揉んであげますよ」
「……ほんとに?!」
「あとちょっと、頑張ってください」
 作った笑顔が消えてみるみる輝き、滲んでいた疲れも吹き飛ばしてはしゃぎだした。
「頑張る、頑張るから待っててね絶対行くっス!」
 黄瀬は蘇ったようにいきいきと歩き出し、教室から出たところでにこやかにプレゼントを受け取り始めた。目には見えない気合いが背にみなぎっている。
 余計体力使わせたかな、と思いつつ黒子は読んでいた本に目を戻した。





 鉄の扉がその重さにしては随分静かな音で開き、長身の身体が隙間から忍ぶような動きで現れた。沈みきる最後の夕陽を正面から浴び、眩しそうに目を細める。

「お疲れさまでした」
「……黒子っちいぃぃ……」
 入り口のすぐ横で壁にもたれていた黒子の姿を認めると、黄瀬は情けない声をあげた。両肩にかけられた大きな紙袋を足下に下ろし、ずるずると黒子の横にへたりこむ。
「うわ」
 隣に座ったかと思いきや、横からがばりと抱きつかれた。ぐたりと顔まで伏せるあたり、本当に疲れたようだ。
「すごい量ですね」
「桃っちのプレゼントがなかったらオレ挫けてたっス」
「桃井さんもプレゼントくれたんですか」
「うん、紙袋」
「………………読むところが違いますね」
「さすがっス」

 さんさんと紙袋に当たっていたオレンジ色の光が次第に落ち、屋上からも遠のいていく。
 陽が落ちる前に黄瀬が現れて良かった、と黒子は密かに安心した。暮れてしまっては本が読めない。本が読めない屋上で、どんな顔で待っていたらいいのか。分からなくて困る。

 空では雲の端だけまだ輝いているが、街はもう青に包まれ始めている。動かない黄瀬はもしかしたら眠いのかもしれない、と思いながらも、話しかけてみる。

「あれ全部使うんですか」
「ううん、事務所に預かってもらうっス」
「そうなんですか」
「誰かの使って誰かの使わないとか、ややこしくなるんスよ」
「ああ、なるほど」
「…………黒子っちがくれたのなら絶対渡さないっスけどね」
「……何か欲しいんですか?」
 特に他意もなく言ったのだが、黄瀬はそこで黙ってしまい、拗ねたような動きで顔を埋めた。後ろの方でぼそぼそ何か言ったが、聞き取れない。
「黄瀬君?」
「……黒子っち、おねだりしていいっスか」
「するだけならいいですよ」
「誕生日なのにー」

 ぼやいたが、しばらくしてから空気に溶けそうな声がそれを耳に届けた。うっかりすれば聞き逃しそうな声だった。


「…………ひざまくら……」


「…………」

 そんなことをねだられるとは、自分の人生的に予想していなかったので少し驚いた。それで黙っていただけなのだが、黄瀬が早々に「するだけならいいって言ったじゃないスかー」と嘆き始める。

「いいですよ」
「……え?」
「快適さは保証しませんけど」
「えええ…………!!」
 じゃあ一旦離れてください、と言って脚を伸ばすと、言葉を失った黄瀬はふるふると打ち震え、とてつもない宝を見る目で黒子の腿を見つめ、そこにそうっと頭を乗せた。
 真下に来た顔を見下ろしてみると、目がぱっちりと開いている。普通、人が枕の上に頭を乗せた状態とはかけ離れた様子だった。

「やっぱり寝ずらくないですかこれ」
 黄瀬は小さく首を左右に振った。振ったというか震えたに近かった。ものすごくぎこちない。
「黄瀬君?」
「嬉しすぎて寝れないっス」
 それもどうかと思ったが、黄瀬は黒子っちが近いとかあったかいだとか言って喜んでいる。それならいいか、とそのままにしておくと、片手で制服の端をそっと掴まれた。

「黒子っち」
「はい」
「オレ毎日誕生日でもいいっス」
 祭日じゃなくてもいいー、とやっぱり王様のような発言をして頭を九十度転がし、黒子の腰に抱きついた。
 脚をばたつかせたいようなくすぐったさを堪えてから、黄瀬の首の後ろに手を添えてみる。髪がさらりと指の隙間を流れた。黄瀬の後ろ髪など普段触れることはない。これはこれで面白いような気がする。

 雲に映った残照も既に消え、空も景色もすっかり青に包まれていた。
 脚に感じる重みは黒子にとってもあたたかくて、一日の終わりの眠気を誘う。あくびを催す前に、黒子は口を開いた。

「お誕生日、おめでとうございます」