言動不一致の恋人 |
「黒子っち抱いてっ」 何をきっかけにしているのか、黄瀬はたまにそう口走る。付き合う前はただの冗談だと思っていたから流していたが、付き合ってからも言う。前の晩に黒子を寝かせず、翌朝水を運んでくれたその口で、また言ったりする。 黒子は黄瀬といるときには受け入れる側に回っているが、黒子も男なので、そう言われたら応えたくなる。してもいいならしたい。しかし彼の言葉はどこまで本気なのだろう。確かめてみようと、黒子は直接聞いてみた。うららかな春の日のストバス休憩中で、そのあとは黄瀬の家に行く予定だったのだ。 「前から聞きたかったんですけど」 「んー?」 前置きすると、黄瀬はタオルをスポーツバッグから取り出しながら間延びした返事をした。青いタオルが首にかかる。 「黄瀬君は、もともとそういう気があるんですか?」 「そういうけ?」 「男の人も好きなんですか」 「は?!」 彼はぎょっとして長い睫を乗せた眦を上げた。ふわふわのタオルが手の中で絞られる。告白されたときに聞けば良かったのかもしれない。けれど、そのときは気にならなかったのだ。 「……なんで?オレそんな風に見えない、よね?」 「見えませんね」 答え、黒子はスポーツドリンクを一口飲む。黄瀬はまだ呆然とした顔で、流れ落ちていた汗を手で拭った。タオルがあることを忘れているらしい。遅れて気付いて、手についた汗をタオルで拭いた。 「びっくりした……、オレそんなん初めて言われたっスわ」 ていうか何で?オレ黒子っちしか好きじゃないって言ったじゃん、と責める眼差しが斜め上から降ってくる。黒子しか好きじゃない、と男も女も好きである、とは種類が違うと思うが、話が脱線しそうなので今は置いておく。 「だってキミたまに、ボクに向かって抱いてって言うじゃないですか」 黄瀬がまた言葉を失った。 「それって、本気なんですか?」 「え、……え?それ聞くってことは黒子っち、」 「キミがご希望なら、……というか、ボクもしてみたいなと」 コートの端で、ボールがゴールをくぐる音がする。ゾーンはやめろ、入ってねえよバーカ、というやりあいが耳に届く。多分青峰がまたとんでもないプレイをしたのだろう。見そびれて残念だ。あとでもう一度やってもらおう。 「……黒子っち、オレにしたいの?」 そんな会話も聞こえていないらしい黄瀬は、呆けたままの顔で聞いてくる。したいの?とは失礼な。好きな相手にならしたいと思うだろう。 「別に無理にとは言いませんけど、キミにならしてみたいです」 「……っ」 何か想像したのだろうか、黄瀬の耳が赤く染まる。でも急な問いかけで頭が動いていないようだ。黒子は思案した。 「そうですね、例えばキミが青峰君と付き合ったとして、……そんな顔しなくても。例えですから」 「……例えにしても」 「青峰君はまあ、かっこいいですよね、バスケしてるときは」 「そうっスね、バスケのときは」 でもオレもかっこいいでしょ、といちいち張り合うのが面倒だが、そこははいはいと頷いておく。 「もし付き合ってたら、青峰君に抱いてって言います?」 今度こそ黄瀬はこの世の終わりのような顔をした。言わないんだな、と黒子は情報を蓄積する。 「じゃあボクに抱いてって言うのは、してもいいってことですか?」 「あ、そういう展開……」 「いやですか?」 ここまできて、ようやく黄瀬は黒子がそれなりに本気であると察したらしい。タオルを持った両手で顔を隠し、長い足の上に肘を突く。沈思黙考、黄瀬に似合わないが、今はその最中らしい。黄瀬の「抱いて」はノリだろうな、と思っていたから、断られても別に構わない。少し未練は残るが。 「いっスよ」 ぽん、と寄越された返事に、黒子は意外な気持ちで隣を見た。まだ肘をついたままの黄瀬の顔の位置は、黒子より低かった。少し赤い顔をタオルから覗かせて、こちらの様子を横目で窺っている。 「黒子っちならいいっス」 珍しく恥らうような言い方でかわいいな、と思ったのに、次に出てきた台詞は全然かわいくなかった。 「想像したら、たっちゃった」 どうしよう、と言うので冷えたペットボトルを背中に突っ込み、コートに放り出した。 ◇ そんな会話をしたのが春休み、それからも黄瀬はたびたび黒子に黄色い声をあげ「黒子っち抱いてっ」と言うので、何度か黒子は挑戦してきた。今日で通算五回目になる。 「いいですか、今日という今日は絶対じっとしててください。キミが言ったんですからね、していいって」 「うん、いいんスよ!黒子っちならいいって、ほんとにそう思ってるっス!」 「でもキミ途中で我慢できなくなるじゃないですか」 「だって黒子っちかわいいんスもん」 「かわいくない」 声を低くして否定すれば、はいっス!と速やかに返事を寄越す。 黒子が抱く側に回った前四回は、十分もしないうちに黄瀬に交替させられた。されてみたら嫌だった、という様子ではない。しかし、されるがままに落ち着いていてくれないのだ。 おそらくそこそこの本気で、されてもいいと思っているのだろう。現に今も黄瀬は自らベッドに仰向けになり、足をばたつかせて黒子を待っている。 「はい黒子っち!してして!」 「……」 ムードも色気も皆無な黄瀬に、黒子は眉間を抑える。黒子がしたいのは水泳でもプロレスでもない。無邪気すぎて、天上からくるくる回るあれを取り付けてやりましょうかという気にすらなる。 「……あのですね、もっと緊張してください。キミはこれからボクに食べられるんですよ、貞操を奪われるんです」 黒子は初めて男として抱く側に回るのだから、雰囲気を大事にしたいのだ。相手が同性であることが想定外だったが、初体験は初体験だ。それなのに黄瀬は「黒子っちにいただかれちゃう……」とくふくふ笑ってベッドを転がる。 (だから、そうじゃない) もっとこう、分かってはいるけど緊張して、男としてのプライドとの葛藤があって、どう振る舞えばいいのか戸惑って……という、肉体的にも精神的にも、黒子は黄瀬の優位に立ちたいのだ。 どう頑張ってもわくわくした顔を隠せない黄瀬のことは諦め、黒子はきれいな筋肉に覆われた首元に唇を触れさせた。つるんとして気持ちがいい。しかし早速、ふふ、と笑った黄瀬にダメ出しされる。 「黒子っち、ムード大事にするなら、ちゅーからして?」 む、と黒子は眉を寄せたが、反省した。確かにそうだった。 言われた通り、ふにゃ、としたそれに触れると黄瀬は、餌をねだる雛のように口を開いた。いささか怯みながら黒子も口を開けると、黄瀬は整った形の唇を一度閉じて笑みの形にし、今度は薄く開く。降ろされた瞼の先に、睫の影が落ちる。 口と目を閉じると黄瀬の顔は急に整って見える。彫の深い顔ではないのに、鼻は高い。すっと通った鼻筋の横、目元の肌は怖いくらい柔らかそうだった。見つめていたら、ぱちん、とその片目が開く。 「あ、すいません」 むう、と黄瀬が口を尖らせるので、慌てて目元に口付けた。すると、小さな笑いが吹き出された。 「何でそっちが先なの」 「なんとなく、です」 もう、と笑いながらまた口を開けてくれるので黒子が舌を差し入れると、黄瀬は甘い声で応えた。すぐに息苦しくなって逃げたくなる黒子の唇を、黄瀬は下からぴたりと塞ぐ。口の中の温かさに緊張するのだ。本当は触れるべきでない場所に、無遠慮に入り込んでいる気がする。 それでも何とか舌の先をつつくと、黄瀬は黒子が舐めやすいように舌を伸ばしてくれた。猫が水を飲むような動きで、少しずつ触れ合わせていく。首に回された両腕がぐいと引かれ、大胆に絡み付こうとする黄瀬の舌を受け入れかけた黒子は、我に返って金色の頭をべしりと叩いた。 「じっとしてくださいと言ったでしょう」 「……だって黒子っち絡めてくんないんスもん」 「これからするところです」 やろうとしているときにやらないのかと言われるとやる気がなくなる。と言いたいところだけれど、そんなことはなかった。ただ言われた通り従うのも癪なので、今度は唇を合わせながら、黄瀬の肌を服の上からなぞってみる。普通に筋肉が羨ましい。硬さと割れ目の形を確認していると、またしても黄瀬が笑った。今度は何だというのだ。 「ねね、黒子っち」 「……なんですか」 「好きって言って?」 「……言わなくても分かってるでしょう」 「こういうときは言うもんスよ」 「キミは『こういうとき』だから言ってるんですか」 「……もお、何でそうなるんスか。言いたくなるからに決まってるっしょ」 黒子っちのばか、と黄瀬は拗ねて横を向いた。かわいいな、と思う。が、はっとして黒子は気を引き締めた。前回もかわいいと思って油断していたら、いつの間にか体勢が入れ替わっていたのだ。 「まあ……でも、言わなくても分かるようにしてくれるならいいっスけど」 できるならねー、と言外に匂わせた黄瀬を黒子は睨んだが、内心では自分の浅はかさを悔やんでいた。自ら難易度を上げてしまった。 言わなくても分かるように、とはどうすればいいのだろう。自分はそんなことを考えたことがなかった。何度も名前を呼ばれて、欲しくて仕方ないというように触れられて、それ以上何かしてほしいなど、言われたって思いつかない。 つまりここは、黄瀬に倣うしかないということだ。とにかく回数をこなしてみよう。 「黄瀬君」 「ん?」 「いえ、黄瀬君」 「??なに?」 しかし呼んでも普通に返されるだけで、それらしい雰囲気にならない。 「……黄瀬君」 「どしたの黒子っち、話すこと忘れちゃったの?」 「……忘れてませんし、これは話しかけてるんじゃありません」 黄瀬がぱちぱちと瞬きをする。そうでしょうね、と黒子は黄瀬の心中を察するが、自分も困っている。黄瀬が自分を呼ぶときは、どういう感じだっただろう。 「じゃあ……なぞなぞ?」 どうしてここでなぞなぞをすると思うんですか。言ってやりたいが黒子のやり方が悪いのだろう。先達に聞いた方が早そうだ。 「キミがいつもするじゃないですか」 「オレ?」 「ボクの名前、たくさん呼ぶでしょう」 「……へ?そう?」 今度は黒子があれ、と首を傾げる。黒子が黄瀬とのセックスで一番最初に思いつく行為はそれが一・二を争うくらいなのに、黄瀬は自覚がないのだろうか。無意識だとしたら恐ろしい。寝言で呟かないよう祈るばかりである。 「名前を呼んだら好きだと言わなくても満足できるかなと思って、真似したんですけど」 「――え」 数秒、黄瀬は自分の行為を思い返していたようだった。するといきなり、今まで涼しげだった顔が点火したように赤く染まった。 「黄瀬君?」 「…………」 あーうん、そうっスね、呼んでる、と半ば独り言のように呟き、何かを堪える顔で口を結ぶと、ふう、と何かを宥めるように息を吐いた。 「……それって、」 「?」 黄瀬は手を黒子の後ろ髪に回し、まだほんのり赤い顔で黒子を見つめてきた。饒舌な口を閉じ、目を細め、恋しがるように覗き込んできたあと、僅かに上半身を起こして黒子の耳元に唇を寄せる。行動の意味を考えるより先に、身体が先にびくりと反応した。 こうされるとき、そうだ、これは何だっけ、と動揺しつつ思い出そうとしていると、吐息交じりの声が吹き込まれる。身体に重い熱が溜まる。――これのこと?と小さく聞いて、彼は続けた。 「息吐いて、力抜いて、くろこっち」 「……っ」 黒子は思わず黄瀬の手から逃げた。黒子がイメージした黄瀬の声はまさにこれで、でもその記憶は曖昧だった。それはそうだ、集中して名前を呼ばれるのは頭が動かなくなってからだから、記憶も靄がかかっているのだろう。でも一度思い出せば、次々浮かんできてしまう。 大丈夫、まだ動かないから、ごめんね、だいすき、かわいい、……ん、気持ちいい? 力の入った箇所は手のひらで撫でられ、揺らされる身体は腕で支えられる。それらと一緒に、自分の名前は大量に耳へと注がれる。 それが自分の記憶の大きな部分を占めていたことに黒子は驚いた。自分が何がなんだか分からなくなっているときも――、というより、そのときがもしかしたら一番――、黄瀬は大事にしてくれているのかもしれない。ボールがあったら投げつけたいくらい恥ずかしい。 (……方法を、変えましょう) それはそれで別途感謝するとして、問題は今だ。名前を呼んでも、たとえ好きだと言っても、自分がそんな風に声を出せるとは思えない。しかし黄瀬が黒子にしてくれることを、黒子の番になったら返せないというのはよろしくない。黒子がする意味がなくなってしまう。 そんなことを考えているうち、黄瀬がおずおずと声をかけてきた。嫌な予感しかしない。 「……黒子っちー」 「だめです」 「……キスしたい」 「だめです。ボクがするんですから」 ちえ、と拗ねる顔は既に犬から狼に変わろうとしている。油断も隙もありはしない。 黒子は黄瀬と唇を重ねると、気合いを入れて舌を絡め取った。ぴくりと黄瀬が反応したのが嬉しい。だんだん黒子の方も抵抗感がなくなり、絡めては逃がして遊んでいると、唇の隙間から、もっと、と囁かれた。黒子もその気になってもう少し強く絡めようとするのだが、うまく舌が絡まらない。つるりと滑ってしまう。黄瀬がいつもするときは逃げ場がないほどだというのに、何が違うのだろう――と、一度息を継ぐと、 「――っ、ん……っ」 こうっスよ。黒子より素早く息継ぎを終えた黄瀬は、そう囁くと黒子の唇を塞ぎ、それまで緩く絡んでいた舌を表面のざらつきが分かるほどに強く絡ませ擦り合わせた。 「んんん……っ、」 ちゅる、と舌が解放され、唇が触れる距離で、やってみて、と黄瀬が言う。言ったくせに、黄瀬は先に黒子の舌を奪い、きつく吸って自分の口内に吸い込んだ。 「んぅ……、ん――……」 「……、絡めたら、ちょっと吸って」 「……っ」 「ん、もっと深くないとダメっス」 黒子が手間取ると黄瀬は口を離し、何か言ってはまた深く合わせる。教わっているのか自分がキスをしているのか、されているのか分からない。 もう分かったから、教えてくれなくていいです、と黄瀬を押し返そうとすると、黄瀬の気配がすっと静まった。瞬間、黒子はしまった、と目を閉じる。思った通り逆に火をつけたらしく、今まで以上に口を乱暴に塞がれる。 「っふ――――う、」 上下の唇をそれぞれ貪られ、舌の付け根や歯列、口蓋も舐められて、唇も口の周りも黄瀬の唾液でべたべたになった。本当に食べられるわけはない、と分かっているのに、黄瀬の見た目にそぐわない勢いに黒子はいつもたじろいで、受け止めるだけで必死になる。 黒子は黄瀬の息継ぎの瞬間を見逃さず、同時に大きく息を吸わないといけない。なのに黄瀬の息継ぎは短いから、いつも半分くらいしか吸えない黒子はしばしば呼吸困難になる。逃げようとするのは両頬を挟む大きい手のひらに阻まれていて最初から無理な話で、長い指は耳の後ろまで届いてしまうから、黒子がもがこうとびくともしない。 「は、……っあ、……、」 「舌、だして?」 「……」 息継ぎの隙にまた新たな要求をつきつけられ、黒子は首を横に振った。 「いいの?出さなくても、もらっちゃうけど」 これ以上刺激を与えられたくなくてためらっていると、黄瀬は問答無用で黒子の口の中に舌を突っ込み、自分のそれと絡ませると、お互いの唇の境で舐めたり噛んだり遊び始めた。舌はつるりぬるりと滑り、唇は柔らかく押し潰される。どちらの舌がどちらの唇に触れているのか分からない。 最後に舌の根が突っ張るほど吸われ、頭が白くなりかけた。苦しいのに、舌先をあやすように舐められて、背中が崩れそうに震える。ようやく解放されたときには、肩で息をする始末だ。 「……黒子っち、できそ?」 ひとまず満足したのか、黄瀬は唇を離すと軽く笑って熱い息を吐いた。顔の両脇についている黒子の腕をさすり、肘の辺りにちゅ、と口付ける。力が抜けかかっていることに気付いて、改めて力を入れた。 「当然、です」 「ん。じゃあ、して?」 言われた通り、黒子はできるだけ強く唇を押し付け、自分より長い舌を絡めて前より強く吸ってみた。しかしやはり力が足りないのか、滑ってしまう。失敗しては黒子の舌にいたずらする黄瀬の意地悪をやり過ごしつつ、数回挑戦したのち黒子は口を離した。さっきの黄瀬のせいで息が整わないままだからすぐ苦しくなるし、腰や肩から少しずつ力が抜けていく。それに。 「……黄瀬君」 「なに?」 「舌、引っ込めてるでしょう」 「引っ込んでるのを引っ張り出すのも腕の見せどころっスよ」 黄瀬がにっこりと笑う。 (やっぱり) たまに舌を引っ込めたまま応じない自分へのちょっとした仕返しだろう。でも黒子は抵抗などしていない。舌の感触に慣れなくて、ちょっと逃げただけだ。それを無理矢理捕まえて、息をしたいと言ってもろくに離してくれなくて、最終的に身体の力を奪うのだから、都度ツケは払っているはずなのに。 「少しは協力してください」 「んー……じゃあもっと情熱的に名前呼んでくれたら協力するっス」 結局振り出しに戻ってしまった。再チャレンジせざるを得ないらしい。黄瀬の呼び方を思い出しながら、再現を試みる。 (……確か、ちょっと目を細めて、こう) 今だけでいいから黄瀬の能力を借りたい。と心中唸りつつも黄瀬の顔を見ようとしたのに、当の黄瀬は枕に横顔を押し付けて、肩を震わせている。何度目だ。 「……ボクは真面目にやってるんですよ」 「ご、ごめ……でもそれ、睨んでるようにしか」 「……」 どうにもうまくいかない。こんなこと、経験豊富な黄瀬の方がうまいに決まっている。それで黄瀬が協力してくれなかったら、黒子が黄瀬を抱けるはずがない。抱かれてもいいなんて、最初からそんな気はなかったとしか思えない。 別に黒子は黄瀬を抱くことにものすごい執着をしているわけではない。でももし、いいと言ってくれるなら、黒子だって黄瀬を気持ち良くさせてみたかった。触れて、自分の気持ちが伝わって、黄瀬が喜んでくれたらいいと思ったのだ。なのにこれじゃただ、不慣れな手腕を披露しただけだ。 黒子が下手でも黄瀬の機嫌は悪くない。楽しそうだ。でも楽しそうに笑う顔を見たくなくて、黒子は黄瀬の胸に顔を埋めた。本当はさっきからもう二の腕が限界だった。 「…………うーん、そうっスねえ……」 黄瀬の手が髪に差し込まれる。落ち込ませたと分かったのか、声は優しく、少し困っていた。もう黒子の行為を面白がる気配はない。 「しようと思ってしてるんじゃないんスよ」 「……」 「黒子っちとキスしてたらオレはやさしーキスじゃ我慢できなくなっちゃうし、黒子っちがオレでいっぱいになってたら、かわいくて名前呼びたくて仕方ないし、好きでどうしようもないから、好きって言っちゃう」 だから、うまく教えてあげらんない。ごめんね。からかったんじゃないんスよ。 信じるしかない声で、黄瀬は謝った。 きっと黄瀬は、少しは悪いなと思っている。でも、”少しは”で黒子が許すことも分かっている。黄瀬が黒子を思うようなやり方で、黒子が動けるわけはない。 それは黒子にだって分かるが、納得できない部分もある。顔を上げ、もう一度腕をついて、黄瀬を真上から見下ろす。 「……ボクだって、キミのこと好きです」 どこから聞いてもふて腐れた声だった。黄瀬のような甘やかしい、熱のこもった言い方には程遠い。それでも――、 「知ってる」 黄瀬は笑った。ふわりと上がった口元から、緩んだ目元から、眼差しから、花びらから溜まった蜜がこぼれるように、甘く、つやつやと。 知ってる、なんて返すくせに、嬉しい、好きって言ってくれた、嬉しい、――大好き、と黄瀬は音にしない方の声で言うから敵わない。惚れた弱みというなら黄瀬の方が弱いはずなのに、黒子の降参する率の方が高いのは何故だろう。下から啄ばんでくるキスは、今日した中で一番優しい。 「今度はちゃんと我慢するから――、……今からオレ続きしていい?黒子っち」 黄瀬が上目遣いで黒子にねだる。どうせ我慢なんかできないくせに、分かってて許す自分も大概だ。 「…………腕が疲れたんで、位置変えてもらえるなら」 「もちろんっスよっ」 言い終わる前から黄瀬の腕が背に回り、簡単に回転されて目が回った。黄瀬はさっきの黒子と同じ体勢を取り、顔の両脇に手をつき、くらくらしている自分を物言いたげに見つめている。 「……なんですか」 「…………黒子っちに抱かれたいなあって、オレ今もちょっと思ってるっスよ」 一体どの口が言うのか。黒子の目が据わる。 「まだ言いますか」 「ほんとなのに」 「いつかボクだって、キミをその気にさせてみせますから」 意気込んで言うと黄瀬は素の顔で、え?と聞き返した。それはないと思う。 「『え』って言われるレベルで悪かったですね」 「いや、だってその気にさせるから、……」 「……え?」 今度は黒子が聞き返すと、黄瀬は全て包み隠す顔でにっこり笑った。 「また挑戦しよーね黒子っち!」 「…………?」 何か今、重要なことを言わなかったか。絶対言った。その気にさせるから、? 「黄瀬君、今すごい大事なこと言いましたよね」 「『また挑戦しようね』?」 「ほんとにそう思ってます?」 「思ってるに決まってるじゃないスかー」 違うそうじゃない絶対そうじゃない。あと十秒くれたら分かるのに黄瀬がいきなり胸の先を撫でるから、考え事ができない。こんなににこにこして上機嫌で、でもこういう黄瀬は案外口を割らないのだ。両腕はもう、もどかしくてしかたないという風に自分の身体に巻きついている。一分前に抱かれたいと言った口が、はやくいれたい、と甘えた声で囁く。 こんなにも言葉と行動の一致しない人をどうして好きになったんだろう。 そう思うのに黄瀬の口は黒子をとろかし慣れているから、歎きの言葉も溶けて消えるしかないのだ。 |