言動不一致の恋人―黄瀬誕2016編


 硬質な白い肌、割れた筋肉、服を脱ぐと意外と厚みのある肩や腰回り。
 また筋肉をつけたな、と思いつつ、唇や手のひらでそれらの形を一生懸命辿っている黒子の頭上で、ふふ、とくすぐったげに笑う声がする。
 顔を上げて声の主を睨むと、相当緩んだ顔をこちらへ向けた。
「……黒子っちうまくなったっスねえ」
 ぼやんと、温泉にでも浸かっているような声で言われても嬉しくない。
「……その余裕がむかつくんですけど」
「でもほんと気持ちいいっスよ、猫が身体の上でごろごろしてるみたい」
「ボクが目指してるのはそういう気持ち良さではないです」
 言うと、黄瀬の手が黒子の耳の上の髪をかき上げる。それを指先でくるくる回して遊んでから、動物の毛でも撫でるように黒子を撫でた。
「黒子っちの髪柔らかいから、ふわふわしてくすぐったいけどそれが気持ちいいんスよね」
「それを言うならボクだって大型犬にのしかかられてる気持ちです」
「じゃあそれ、気持ちいい?」
 大型犬と同じ扱いが嬉しいのか、黄瀬は期待した面持ちで返事を待っている。しかし黒子にとっては、手触りというよりは雰囲気の方が近い。大好き大好きと言って主人に飛びついて離れない、あの感じ。かわいいけれど、黄瀬の言う気持ちいいとは少し違う気がする。
「……気持ちいいとは違う気が」
「えっ良くないんスか」
「良くないことはないですけど」
「オレは黒子っちにされて気持ちいいのに、黒子っちがオレにされて気持ち良くないなんておかしくない?」
「それはイコールになる話ではないんじゃ……というか」
「イコールじゃなきゃ変でしょ、だってオレは気持ちいいんスよ」
「いやそれ堂々巡ってます。それに、」
「気持ちいいでしょ」
「……はあ、まあ」
 肝心なことを言おうとしている黒子の言葉をかぶせてくるから、まあいいか、となってきた。それでもいいですけど、と言えば、黄瀬がむう、と口をへの字にした。
「そんなんじゃなくて、気持ちいいって言って」
「気持ちいいですよ」
「そんな棒読みじゃなくって、ちゃんとしたやつ。気持ちよくて好き、って感じがいいっス」
 次々出てくるリクエストにきょとんとしつつ、黒子は上にのしかかる大型犬の髪を撫でてやった。
「随分甘えてきますね」
「だって、今日はいい日でしょ」
 答えないでいると、顔がますます膨れてきた。それも黙って見ていると、両腕でゆさゆさ身体を揺さぶられてしまう。いい加減つい笑ってしまって、はいはい、とあっさり求める言葉を差し出した。
「今日は特別ですもんね」
「そうっスよ」
 今日は黄瀬の誕生日だ。一年に一度、黄瀬が黒子に無条件で好き放題甘えられる――と黄瀬が勝手に決めた日。
 半分起していた上半身を下から甘えるように抱きしめられ、そのままごろりと転がって上下を入れ替えられる。誕生日ですけどどうしますか、と聞いたら、黒子っちのしたい方がいい、というから今日は黒子が上になっていたのだ。

「じゃあさ、黒子っちはオレにこういうことしてても気持ち良くないの?」
「気持ち良く、ですか」
 考えていたら、え、と驚いた黄瀬が眉を寄せながら目を見開くという、なんとも濃い顔をした。
「それもいまいちってこと?」
「だってキミ和んでばかりで、全然翻弄されてくれないじゃないですか。ボクは毎回試行錯誤なんですよ。気持ちいい段階まではまだ」
「ええー……」
 信じられないものを見る目で見るが、非難するならこっちがしたい。していいと言うからしてるのに、ムードも何も出してくれないのは黄瀬である。
「キミが非協力的なのも問題なんです。猫だとかこたつだとか言うから」
「……こたつは言ってないっス。それ思ったの黒子っちでしょ」
 じっとり睨まれて我が身を振り返れば、心当たりはあった。寒い日に黄瀬が先にベッドに入っていると、高い体温で温まってまさにこたつなのだ。思い出した顔を見破った黄瀬が、ほらね、と黒子の身体の上にぺっそり腕と顔を乗せる。こうしていると本当に大型犬だ。
「それならさ、やっぱオレがした方が良くない?」
「なんでですか」
「オレはめっちゃ気持ちいいし、オレにされるの黒子っちも気持ちいいでしょ?」
「……そういうのって、口に出して言うものですかね」
「だってオレはね、」
 一方的に話を始める気らしい黄瀬は、懐く仕草で黒子の首筋に顔を寄せ、軽く歯を立てて吸い付いた。小さな痛みに黒子が喉の奥で声を殺すと、唇を離した彼はやはり黒子に頬や顔を摺り寄せながら、肌を吸い上げるキスを繰り返し、黒子の顎の先までたどっていく。そうして唇を深く合わせ、離れたそれは鎖骨の中央から肩へ、それから耳元、また首筋に。熱い息を吐きながら、思い出したように左耳へ、やはり足りないと右頬の輪郭へ、黄瀬が欲しがるままに首や顔を左右に反らせ、過敏になった肌は次第に、舌先の小さな熱も拾うようになっていく。
「ぁ……、」
 いくら黄瀬が大型犬のようでも犬ほど大きな舌はないのに、彼は舌で黒子の肌を舐め上げるのが好きだ。几帳面にも感じるほど首元から上へまっすぐに、舌が顎の裏へ届くとまた下へ降りて、濡れた小さな舌先は、つつ、肌を滑りながら上がっていく。その長い繰り返しが、黒子の余裕をなくさせる。その間黄瀬の手はただ身体を撫でるだけだから、身体に緩い熱だけが溜まり、思考は変に冴えて黄瀬のすることを追ってしまう。太い血管を舌で押されて、黒子は息も身体も震わせた。
 ――全部。
 自分の身体の外も中も全部、彼は食べようとしている。そう感じるたびに黒子の背は震える。それでもいいと思っている自分がいる。
「……ね、」
「……なんですか」
「すごいこと、分かった」
「?」
 今までの濃い空気を散らすように、黄瀬が軽い口付けを肩や首や額に降らせる。
「オレ、黒子っちのこと触るだけじゃなくて、舐めたいみたい」
「……はい?」
 黒子にとっては何を今さら、である。毎回毎回、今日はここ、と決めた場所をいやというほど舐めないと先に進まない上、後半の黄瀬のしつこさに黒子が泣くのを宥めようとして、キスをする態で口の中をさんざん舐めるくせに。
 それなのに黄瀬はものすごい謎が解けたような顔で、満足げに頷いている。
「あー、だからっスね。黒子っちにされるの好きなのに、途中で替わりたくなっちゃうの。オレ触るだけじゃなくて、舐め」
「いったんその残念な口を閉じましょうか」
 黄瀬はなんで、という顔をしながらも、黒子の言う通りぴたりと口を閉じた。あざといアヒル口ではあったけれど。
「ちなみにそれが分かると分からないとで、何か変わるんですか」
「んーん、なんにも」
「……」
「オレ黒子っちのこと好きなんだなって、すごくよく分かったっス」
「…………」
 そんなに嬉しそうに言うことだろうか。だってオレはね、の続きはどうした。そもそも舐めるとか舐めないとかがどうしてその結論に至ったのか。黄瀬の思考回路がさっぱり分からない。
 けれど、これ以上かわいい生き物はいないんじゃないかと思ってしまう。
「……で、それがよく分かったお誕生日の大型犬さんは、何がお望みなんですか」
 言うと、あんなにかわいかった顔にふと違う顔が現れ、黄瀬の指先が、つ……と胸の中央に触れた。ゆっくりゆっくり下へ降り、臍を超えその下へ。指が普段人目に晒さないその箇所に触れそうになり、つい、声をあげた。
「黄瀬、君」
 指先を追っていた黄瀬の視線が、黒子の声の通った道を辿って、こちらへ。黒子の背筋を這ったものは、さっきと同じ種類のものだ。
 そんな顔をしながら、黒子のお伺いを立てるように首を微かに傾げて言う。
「……したくなっちゃった」
(そんなこと、さっきから分かってます)
 分かってるし、黒子だって同じだ。両手を伸ばして、黒子にとって世界で一番かわいいはずの大型犬の顔を引き寄せる。
「お好きにどうぞ」
 今日は一年に一度の特別な日ですから。
 囁きながら、全く一年に一度じゃないことに気付いて、ひそかに笑った。