こたつと約束
「こたつって日本の心ですよね」
「んー?そうっスねー」

 フローリングの床に座り込み、ボストンバッグに旅支度を詰め込んでいた黄瀬は、後ろから聞こえてきた声に返事をした。
 あと歯ブラシを入れれば終わりである。大抵のホテルについているが、サイズが合わなくてすっきりしないので、いつも自分のものを持って行く。浴衣もパジャマも合わないのでそれも持って行くから、大した旅でなくても何かと荷物が多い。

「こたつの誘惑って抗えませんよね」
 あれこれ考えている黄瀬に、再び声がかかる。
「んー……?」 
 まあそうかもっスね、と言いかけて、黄瀬は勢いよく後ろを振り返った。
 これはもしや、また。

「黒子っち!またこたつで寝ようとしてるでしょ!」
「してません」
 答えた黒子はこたつのテーブルの上にぺたりと頬を乗せ、肩まで布団の中に入っている。してません、なんて最後の方は口が動いていなかった。
「あああもう寝てるじゃないスか」
「……起きてます。すごく気持ちいいです」
「そーいうの違うときに言ってほしいんスけど?!ていうかダメっスよちゃんとベッドで寝ないと風邪引くっス!」
「引きません」
 だからおやすみなさい、と言った黒子はテーブルからむくりと顔を起こすと、もぞもぞとこたつの中にもぐりこんだ。小さい頭が毛だまりのようにはみ出ているが、あれでは絶対酸欠になる。
「黒子っち〜〜」
 これ以上こたつの中の温度にぬくまると、黒子は本当に出てこなくなってしまう。黄瀬は支度途中のバッグを一旦放置し、大またで数歩歩いてこたつの横に立った。もー、と仁王立ちで見下ろしてみるが、黒子はそんなことに頓着せずこたつで丸まっているし、いつも以上に黒子の顔と距離が遠い。遠いのは良くないので結局しゃがみ込む。

「黒子っち、出てこないといじめちゃうっスよ」
「出てこないんじゃないです。出られないことになってるんです」
 うつ伏せになったまま、敷いていた座布団を抱きしめて本格的に篭ろうとしている。とても離れては生きていけないといった様子で面白くない。
「ふーんそースか、じゃあしょうがないっスねー」
 えいっ、と手のひらをうつ伏せで寝ている黒子の首筋に当てると、黒子はびくっと首を竦めてますますこたつの中に潜っていってしまった。唯一隙間から見えるつむじの髪の毛がふるふると震えている。
「……!冷たいですひどいです鬼ですか黄瀬君」
「出てこない黒子っちが悪いんスよーだ」
「キミなんて嫌いです」
「コンセント抜いちゃうっスよ」
「嘘です」
「…………」
 そこは好きですって答えるとこじゃないんスかと、口にはしなかったがその気持ちを込めてちらりと布団をめくってみる。黒子の方もちらりと顔を向けてきた。目が合う。しかしリビングの明かりも同時に受けたらしく、眩しそうにしてまた顔を座布団に埋めてしまった。
「あっ」
「おやすみなさい」
「だからダメって!」
 今度こそ頭の先まで布団で完全防御の構えをなし、出てくる気配はまるきりなくなってしまった。元々頑固なところはあるが、普段の生活でさほどそれが主張されることはない。それなのに、こたつに入るとどうしてここまで発揮されるのか。

 こうなると強制執行しかない。黄瀬は黙って立ち上がり、断りを入れずコンセントを引き抜いた。こたつを見れば、布団が一層黒子の身体に巻きついている。中の明かりが消えて気がついたのだろう。そう、そこはもういつまでも温かいこたつではない。刻一刻と寒くなるこたつだ。

(なーのーに!出てこない!)

「黒子っちーぃ」
「……」
「すーぐ寒くなるっスよー。寒くなる前に出てきた方がいいっスよー」
「……外も寒いです」
「寒くないっスよオレいるもん」
「黄瀬君さっき冷たかったからやです」

(根に持ってる!)

「……」
 黄瀬は自分の手を頬に当ててみた。もう冷たくない。さっきは床に座っていたからたまたま冷えていただけで、普段は人並みだ。熱い方ではないが、黒子よりは体温は高い。
 身体の下に巻き込まれている布団を引っ張ってみる。ずるずると引き出し、もう一度ひらりとめくる。パーカーを着ている黒子の肩が見えた。手のひらに息を吹きかけて温め、腕を伸ばし、そうっと頬に触れてみる。逃げないということは体温的に合格なのだろう。

(……いや、ていうか)
 この頬の温度は。

「わ」
 がば、といささか乱暴に布団をめくる。髪が乱れに乱れた黒子の顔が火照っている。
「黒子っち、あったまりすぎっスよ!」
「普通です」
「顔ほかほかになってるじゃないスか!」
 もう一度頬に触れると、やはり自分の手の方が冷たい。それを払いのけないのだから、冷たくてちょうどいいのだ。
「今ベッド入ったら黒子っちが湯たんぽっスね」
 黒子はシーツの冷たさを想像したのか、軽く唸った。でもようやくこたつから這い出てくる。
 顔を火照らせていてもこたつから出ればやはり寒いらしい。身体を縮め、座布団の内側にきっちり脚を収めて座る彼の背中にぺとりと抱きつく。

「黒子っちー」
「何ですか」
「オレ明日から二泊いないんスけど」
「ああ、そういえば」
「……もーちょっと寂しがってほしいっス」
 一緒の家にいるようになっても、自分の不在は「そういえば」くらいなのだ。そういえばで思い出してもらえるだけいい。
「ま、いーんスけどね、こたつで寝ないでね」
「努力します、けどこたつは」
「日本の心で黒子っちの心なのは分かったけど!寝ちゃダメっスよ。隠しても分かるんスからね」
「何でですか」
「黒子っちの身体、変なとこ固くなるから。こことか」
 背骨と肩の間をほぐすように撫でる。少し力を入れると、ん、と喉の奥で呑まれた声が聞こえた。あとここと、ここと、と押すように撫でて、最後に後ろから首筋に顔を埋めて抱きしめる。温まった身体から熱が逃げないように。そして自分がいないときこたつで寝ないように。

「……やっぱり、寂しくないですね」
「えーー」
 首の根元に押し当てていた唇を離すと、ふ、と黒子は息を吐き、続けた。

「だってこたつで寝たのが分かるくらいすぐになんて」

 背が僅かにもたれかけられた。重みが温かさを増す。

「今まで会えなかったでしょう?」
「…………」

 首を回して自分を見、小さく笑った唇が開く。

「でも、キミも一回こたつで」
「寝ないっスよ!もう!」

 寝るのは二人でベッドで。
 この冬初めての約束。