葉書一枚の
 黒子っちが消えた。真夏だったあの日から四ヶ月が過ぎて、今では吐く息が白い。
 消えたといっても、同じ中学だ。家だって知ってる。訪ねていけば多分、会える。でも、それをしようとするメンバーはいなかった。
 黒子っちのことに関して、青峰っちは話題を避けることはなかったが、あえて触れようとしなかったし、緑間っちにも動く気配はなかった。桃っちは目立たないように、ごくごく慎重にさりげなく何かを探ってはいたけれど、黒子っちを捕まえることはできなかった。
 
 みんな、目で背中で耳で、空気から話し声から靴音から、気配を探ろうとした。誰よりも気配を断つのがうまい黒子っちの、姿も見えない状態で探そうなんて、無謀にもほどがある。でも、いつだって目が勝手に似た姿を追った。探さずにいられなかった。
 無理矢理になら、きっと会えた。家に行く。職員室で聞き出す。授業をさぼって黒子っちの教室で待ち伏せる。でもそれをしたら、決定的な何かが下されると思った。今だって姿も見せてもらえない状態で、それよりひどい状態になんてならないと思うのに、何か取り返しのつかない傷を生むような気がして、できなかった。
 何も言わずに消えた黒子っちの居場所を、たとえ探しても暴かないことだけが、オレたちに残された最後の、一筋の信頼だったんだと思う。


(なのに、来ちまった、けど)

 インターホンを押すつもりはない。
 うす曇りの空と一緒に、黒子っちの部屋の窓を見上げる。二階の彼の部屋のカーテンは開かれているが、明かりはついていない。

 裸のまま持ってきてしまった葉書を持て余して、暑くもないのに意味もなくぱたぱたと扇いでみる。表面はちゃんと書いた。つけっぱなしの紅白から流れる歌を聴くでもなく聴きながら、宛名を。真っ白な裏面は、恨めしいほど広い。
 何度も書き直した。あけましておめでとう。あけおめっス。ハッピーニューイヤー!
 書けば書くほど字面と自分の温度差が開いていく。
(めでたく、ねえし)
 毎年何の疑いもなく書いていた正月用のうたい文句が、腹立たしいくらいだった。年が明けたって少しもおめでたくない。
 こんちは?久しぶり?
 何を書いていいのか分からなくなった。
 だから黒子っちの家まで行って、そこで考えようと思った。

 玄関には小さなしめ飾りと、門松が立っていた。
 東京の正月は静かだ。テレビでやっているあのお祭り騒ぎのような正月になんて、出会ったことがない。せいぜい何人かの友達と過ごす程度で、中学生なんて大抵家族とおせちを食べたりなんかして終わる。
(黒子っち、おせち好きっスよね)
 自分は大して意識して食べなかったが、彼の好きそうなものがふと思い浮かぶ。栗きんとんとか伊達巻きとか黒まめとか。餅にあんこをつけたりしてるかもしれない。

 今頃何をしてるだろう。
 みかん食べながら本読んでるかも。初詣には行ったかな。
(オレらは、行ってきたっスよ)
 朝十時に待ち合わせて、ちょっと遠出して大きい神社に行ってきた。緑間っちは羽織袴に豚の貯金箱手に乗せてきて、大吉引いてた。桃っちは中吉で、青峰っちは大吉なのに結んで帰ったよ。オレのおみくじは吉で、フツーでつまんねえっスって言ったら、吉は中吉よりいいんだって。知らなかったっス。待ち人来たるって書いてあったけど、当たるんスかねえ。

 雲が流れ初めて、切れ目から時折夕日が顔を出す。また隠れて、また出てきては一瞬だけ辺りをオレンジに染める。黒子っちの部屋の窓が強い光を弾く。きっとあの中に黒子っちはいない。そう思えば、安心していつまでも眺めていられた。暴きたく、ない。

(明日は晴れるっスかね)

 晴れるといいっスね。晴れたらあの公園のてっぺんから富士山見えるし。イチフジなすびっスもんね。きっといいことあるっスよ黒子っち。そうそう、この間マジバのシェイクのタダ券、緑間っちがもらってて、オレ預かってるんス。

(有効期限が、まだいっぱいあるから。だから黒子っち)


「…………っ」


 奥歯を噛み締めて、衝動を堪える。
 何度同じことを繰り返しただろう。たった一文字、名前の一文字さえ口に出せなくて、出そうとすれば喉が詰まる。


(呼びてえ、のにな)



 見上げた窓にもう日は差していなくて、ぽっかりと人気のない部屋が浮かぶだけだ。彼は、いない。
 
(行くな)

 玄関に向かいたいと訴える足を必死で止める。暴かないと決めたんだ。
 でも、葉書なんかじゃ。年賀状なんかじゃ声が聞けない。伝えたいことが伝えられない。
 このまま卒業まで会えなかったら。

 握りつぶしそうになった年賀状に再び目を落とす。ただの白。でも今彼に何かを伝えられる、唯一の白い紙。

『手紙も、趣があっていいものですよ』

 いつだったか、そう彼が静かに言ったのを思い出す。今はみんなメールっスよ、と話していたとき、本を読むのを一時中断した黒子っちは、怒るわけでもなく、どこか遠くのきれいなものを見る目で、そう。
 
(黒子っち……)

 こんな風に思い出したくはなかったけれど、その声は羽のような軽さで、今の心をそっと撫でた。


 石塀に年賀状を押し当て、持ってきたペンを走らせる。思いのほかすんなり書き終わった。年賀状らしくないけれど、いいだろう。
 ポストに差し込んで、来た道を戻る。窓は見上げずに。

 今は、一枚の葉書で。





『 黒子っち

  あけおめっス。寒いっスね。カゼ引いてない?

  今、夕日がスゲーきれいだった。
  なんとかアワーって言うんスよね。
  明日はきっと晴れるから、初夢も富士山スよ。

  黒子っちに報告。

  オレ高校、海常に行くよ。

  黒子っちは?

                          黄瀬 』