絡まったのは愛情です |
ぶはっと出会い頭に噴き出され、緑間は眉を顰めた。笑われたじゃないですか、と頭の上から声が降る。だからなんだと言い返せば、自分と会話をすることを諦めたのか、その生き物は高尾へ話しかける。 「高尾君、笑ってないで何とかしてください」 「っや、いーんじゃねーの?つかおかしいのは黒子の方じゃないぜ?真ちゃんだって」 「ボク込みで笑われてるような気がするんですけど」 「何がおかしいのだよ」 「おかしいだろ!鏡見たか?!」 「見たに決まっているだろう。いくらオレとて見なければ結べないのだよ」 「いくらオレ、ってその自慢がわかんねーんだけど!」 ひー、と腹を抱えて高尾はまだ笑っている。 「緑間君、やっぱり外してください」 「断ると言ったはずだ」 「ボク落っこちません。落ちたとしても飛べますから」 「落ちてからでは遅いのだよ」 顎の下にあるちょうちょ結びを、改めてしっかりと結ぶ。苦しいです、と苦情が聞こえるが、そこまで締め付けてはいない。緑間に聞く気がないと分かると、小さな口はさらに小さな溜息を吐いた。 緑間の黒子ミニは、頭上にいる。だからいつも頭のてっぺんに、座っているような浮いているような、かすかな体重がかかっている。 黒子の今日の運勢は最下位だった。高い場所には気をつけて、と占いは言っていた。高い場所でしか生活しないものをどうすればいいのか、緑間は真剣に考えた。そして黒子の身体に紐を巻きつけ、頭に乗せ、その紐を自分の顎の下で結んだ。これで少なくとも落下は免れる。雷が落ちるということはまずないだろう。 「いや真ちゃん、黒子への愛は買うけどさ、そこに固定させてボールでも飛んできたら余計危ないだろ」 「オレが避ければいいのだよ」 「でもオマエの目に入んないような豆粒みてーの飛んできたらどうすんの。黒子は豆で気絶すっかもよ?」 「気絶はしませんけど、高尾君の言う通りです。それに緑間君が頭でも撫でられた日にはボク潰れます。そんなことないでしょうけど」 高尾がまた笑い転げ、真ちゃんなでなでするような強心臓の奴見てみてーわ!とはしゃぐ。 「ないと思うなら例えに挙げるな」 「念のためです。ボクに気付く人はほとんどいないんですから」 黒子ミニを見ることができるのは、黒子を知っている人間だけだ。また知っていても、彼を何らかの理由で意識したことがなければ、姿は目に映らない。秀徳の中でも緑間の頭上の黒子が見えているのは、スタメンと監督の中谷だけだ。 黒子の訴えと高尾の助言が受け入れられることはなく、緑間はいつも通り鞄を机の脇に下げ、ノートを広げ、ペンケースをそれと平行に置いた。授業時の緑間の机の上は水平か垂直の線しか生まれない。また後でなーと高尾は言って去り、授業開始の鐘と共に、緑間は黒板へ意識を集中させた。 黒子が抗議するのも諦めた二時間目。地学の授業が後半に差しかかろうとしたときだった。顔を引っ張られたような感覚に、緑間は授業から意識を反らされた。そういえば今日は黒子を頭に結んでいたのだったと思い出す。頭上の黒子はもぞもぞと動いているようだが、何せ軽いのでよく分からない。 それにしても珍しかった。授業中、話を聞いているのか眠っているのか分からないが、黒子は滅多に緑間に存在を感じさせることをしない。一体どうしたというのだろう。とはいえ話しかけるわけにはいかないので、気にしながらもそのままでいると。 (何だ?) 前髪に細い何かが落ちてきた。その感触は、今自分の顎に巻かれているものと近い。何かと思い引っ張ると、紐以上の重みが指にかかった。 その動きはそこで止めるべきだったのだ。しかし何故紐が前髪に落ちてきたのか、何が引っかかっているかに気を取られた緑間は、それをつい下に引いてしまった。 わ、と小さな、ここでは緑間にしか聞こえない声がして。 椅子と机と両方の音を立てて、緑間は勢いよく立ち上がった。 「……すいませんでした」 窓の桟に座らされた黒子が、不承不承と言った様子で緑間に謝る。高尾は横で声を殺して笑い続けている。 紐を引いたら羽つきの身体が目の前に落ちてきた。軽く心臓が止まるかと思った。今でもどこかが落ち着かない。咄嗟に両手で受け止め黒子には何の怪我もなかったが、立ち上がった自分には教室中の視線が集まっていた。気分が悪くなったので外へ出てきます、と言えば、焦った表情を見てとった教師は驚いた顔のまま、そうしなさいと許可してくれた。 「何がしたかったのだオマエは」 「……」 「そ、その前に、早く紐外してやれ、やれば……っ」 黒子の身体には紐が見事に絡まっており、若草色に染まった羽の根元では固結びまで出来上がっている。 本っ当オマエら面白れー、とひとしきり笑い、ようやくそれを収めた高尾は、机に頬杖をついて二人を眺めた。絡まった紐を慎重に解こうとする手は、黒子の身体より大きい。テーピングも解かれ整えられた指先が羽をそうっと押さえ、紐との間に隙間を作ろうとするのだが、場所が場所なだけに力も入れられず、どうにも苦戦している。 「てかさ、何してそんな絡まったのよ」 「……後ろにふりかぶったら、絡まりました」 「ふりかぶったあ?」 「……ふりかぶって投げたのがオレに落ちてきた紐だとは言わないだろうな」 「…………」 むう、と口を結んだ黒子に高尾が再び問う。 「んで、紐投げて何しようとしたわけ?」 「…………釣れたら、面白いかなと」 「「釣れたら?」」 二人同時に言われ、黒子はとりあえず緑間の視線から顔を反らした。口を開いた緑間より先に、高尾が素早く黒子の頭上に片手をかざす。 「まーまー、じゃあ真ちゃんには聞こえないように言ってみ?」 緑間から黒子を隠すようにして、高尾は黒子と話し始めた。どう考えても聞こえるのに、この二人はたまにそうして筒抜けの内緒話をするのだ。 話をまとめると、黒子は結ばれている紐が邪魔だったので、なんとか全身を捻って外してみた。それなりの長さがあったので、何かできないか考えた。下を見てみると、シャーペンや消しゴムがある。あれが釣れたら面白い。そう考え、紐で輪を作り、ふりかぶった。 「そしたら紐が途中で自分の羽に絡まった、と」 その通りです、と水色の頭が重々しく頷いた。 「馬鹿なのかオマエは……!」 「だから謝ってるじゃないですか」 黒子がいくらか自由になった羽をぱたぱたと揺らし、形を整える。残るは最後の玉結びだけだ。それが謝る態度か、元はと言えば緑間君が、などと言いながら、日なたに座る黒子と長身の緑間がこまこまと動いている様子は微笑ましいのだが。 「なあ思うんだけど、その紐切っちゃえばいいんじゃね?黒子集合かかってんだろ?」 「……」 そう、ついさっき大きい黒子が全員を呼ぶ黒子ホイッスルが鳴ったのだ。だから緑間もなるべく早く解こうとしている。黒子も口は動かすが身体は大人しくしている。玉結びは確かに手強い。しかし。 「何ならはさみ借りてきてやっけど?……って、何だよ」 揃って黙っていると、立ち上がりかけた高尾は動きを止め、緑間と黒子の顔に続けて目をやる。 「……切んの嫌なの?え、黒子も?」 「別に……いいですけど」 「あと少し待て」 「…………、あーもー分かった分かった」 高尾はまた喉を鳴らして笑いながら席を離れ、近くの女子生徒に話しかけ、戻ってきた。細長く光るものを緑間に差し出す。 「これならいいっしょ」 「……む」 裁縫用の針だった。それなら切らずに解けるだろう。羽に触れないよう気をつけながら結び目にそれを通すと、ほろりと紐は緩み、羽が息を吹き返すように大きく広がった。ふう、と三人の息が漏れる。 「ありがとうございます高尾君」 「いーってことよ。真ちゃんオレに妬くのはやめて」 「妬いてなどいないのだよ」 じゃあ真ちゃんもオレに惚れちゃったー?と高尾は言って、針を返しに立った。 妬いてなどいない、と緑間は憮然とした顔で思う。自分には開けない道を開ける男である。惚れてもいない。こういうのは認めているというのだ。 きらり、と視界の端で、黒子の背負ったエンジンが太陽を反射して光った。 「じゃあボク、行ってきますね」 「おー、気つけてな」 「はい」 黒子は窓の外を見上げた。空は高く広く、どうして高いところに要注意という日に集合がかかるのか。しかし、すっぽかす、さぼる、という言葉が頭の辞書にない緑間に、行くのをやめろということはできない。 窓の桟から十センチほど浮いた黒子は、さっきまで自分に巻きついていた紐を眺め、ごくごく僅かに目を和らげた。 「行ってきます、緑間君」 「……ああ」 「キミがいないところで危ないことはしませんから」 「オレがいるところでもするな」 「できるだけそうします」 そうは言うが、本当のところはできるだけではなく、気が向く程度に、なのだ。大きい方もこの黒子も、緑間の心境などまるで分かっていないと思う。 部活が終わり、黒子が帰ってくるより少し前に、大きい方からメールが来た。心配してくれてありがとうございました、と珍しく素直に礼が綴られている。 当然のことをしているまでだ、と思いながら心の中で頷いた緑間は、しかしそれから眉をつり上げる。横で着替えていた高尾が、興味津々の顔で画面を覗き込んできた。 『小さいボクから話を聞いたとき、最初、紐の絡まった理由が良く分からなくて』 その後にはこう続いていた。 『一瞬、いかがわしいことになってしまったのかと思いました』 何だと?!と声を張り上げた緑間に、高尾が爆笑した。 |