Propose to me in French ? サンプル


サンプル1

 その写真を見たのは夜、細い雨が降っている町中だった。深夜まで営業している本屋のショーウィンドウの中で、見開きのページがライトアップされ飾られていた。
 彼の顔を見るのは久しぶりだった。雑誌や広告に彼が映ることはめっきり減った。けれどそれは日本国内の話であって、外国の雑誌などをもっと探せば見つかるのかもしれない。ともかくその雑誌は、黒子の目に触れ、読むことができる、日本で出版された日本語の雑誌だった。
 撮影は外国であるらしい。横顔の向こうは一面、揺れるように透き通るブルーだった。濃淡の違う青の中にいる彼は雨の中にいるようにも、水槽の中にいるようにも見えた。けれどよく見れば、それはどちらでもなくステンドグラスだと分かる。明るい金色の髪は黒子の記憶と変わらないけれど、顔立ちは大人びた。
 ――Bienvenue le Musee National Marc Chagall .
 写真の端には、そう書かれていた。フランス人画家のマルク・シャガール特集であるらしい。黒子は書店に入り、飾ってあった雑誌を買った。
 あの頃と同じ、梅雨入り直前の夜だ。 家に帰り、雨の音を聞きながら記事を読んだ。日本からフランスに渡ってからのこと、これからの展望など、黄瀬に関する話のほか、特集のメインであるシャガールや絵についての質問もあった。よりによって黄瀬に、と思ってしまうのは黒子だけではないだろう。学生時代、あの器用さと見た目、普段のセンスからは想像もできない絵を描いていた。当の黄瀬も、雑誌のなかでそれを素直に話している。
『正直、絵は全然詳しくないんスよ』
 どんな顔で言っているのか目に浮かんで頬が緩む。彼は続ける。
『でもこれは好きっス。このガラスの青。――あ、有名なんスか』
 シャガールがよく用いた青は、シャガールブルーと言われるのだそうだ。インタビュアーが黄瀬に説明してくれている。黄瀬とともに写されているステンドグラスは、その美術館にあるものらしい。
『懐かしい人に会いたくなる』
 そう言ったときの横顔だったのだろうか。黒子はもう一度、一番大きく映された、ステンドグラスを背景にした写真を見つめた。長い睫と、くっきりとした目のラインから投げかける眼差しは遠くを見て、黄瀬特有の華やかさと存在感はあるのに、視線の先で青に透けてしまいそうだった。
 『懐かしい人』。読んですぐ、黒子は彼の高校を思い出した。彼が背負っていた海常ブルー。懐かしい、と言われてもおかしくない年数が経っている。彼を育てた先輩や仲間たちへの思いは強い。遠い外国で彼らを思い出すことは十分考えられたし、自然だった。
 ――いいな。
 温かい気持ちになった一方、ほんの少し羨ましさを感じた。年数で考えた場合、黒子は「懐かしい」の枠に入るのだろうか。それともまだ、近しい人、の中にいるだろうか。
 それはないか、と笑って、黒子は台所へ向かった。黄瀬が作ってくれた玉子サンドの味を、ふと思い出したのだ。玉子の潰し具合も塩の効かせ方も黒子好みで、耳の切り落とし方も見事だった。もう大分前のことだけれど。



サンプル2


 スーツケースを抱え、階段をがたごと登りながら黄瀬が教えてくれたアパルトマンの扉を叩くと、かつては見慣れていた顔が出迎えてくれた。空港まで迎えに行くと言われたが、忙しいだろうし子供ではないから必要ないというと、空港からの交通手段と移動経路、最寄りのメトロからの道のりをこと細かに教えてくれた。そういうところは変わらないらしい。少なくとも迷惑がられていない気配を感じて、黒子はややほっとした。
 記憶より大人びた顔は黒子の姿を見つめると、昔と同じように目を細めて笑った。 頬のラインは少しシャープになったが、首筋や肩の筋肉は保っているようで、精悍にも見えた。別れたときは多少残っていた学生っぽさがすっかり消えている。
「お久しぶりです」
「……変わんないっスね、黒子っち」
 入って、と言われ扉をくぐり、短い廊下を抜けると、白く明るいダイニングがあった。しかしすぐ、キッチン前の大きなテーブルの上に乗せられている色とりどりの食材と、数種類のパンに目を奪われる。ここへ来る前にサンドイッチを思い出してはいたけれど、そんな話はしていなかったし、間違いなく一人二人用の量ではない。
「……パン屋さんに転身したんですか?」
 聞くと、あはは、と黄瀬は笑った。
「今日たまたまね。友達にサンドイッチ作ってくれって頼まれちゃって」
「なんでキミが」
「こっちのパンうまいからさ、なんとなく作ってみたら結構楽しくて。それ見たヤツが食ってみたいっていうから何回かあげたら、注文が入るようになっちゃったんスよ」
「もはやお店じゃないですか」
「そんな大層なもんじゃないスよ。パン買ってきて、中に適当に具詰めてるだけ」
 これが適当なら黒子作の潰れ気味玉子サンドはどうなってしまうのだろう。切りそろえられた野菜たちは新鮮そうにしゃきっと伸びているし、白い陶器の器には、数種類のペーストが盛られている。ガラス瓶に入ったオイルやマリネのようなものもおいしそうだ。手書きのラベルのこなれた文字が、黄瀬がこの土地に馴染んでいることを否が応にも伝えてくる。
「本当に、売りものみたいです」
「色考えて具詰めるとキレーなんスよね。最初の頃は野菜とか果物買うのに朝市で喋るのもいい勉強だったし」 サンドイッチはもう何本かできていて、残り数本であったらしい。黄瀬は手際よく詰め、半透明の紙に乗せていく。対角線の角をくるっとひねって舟形にした。ラッピングまで本格的だ。感心して眺めていると、彼は手を動かしながら、笑顔のまま口を開いた。
「それで?」
「はい?」  
「黒子っちはどうしたの?」
「?」
「オレのことフったのに、オレのこと追っかけてきて」
 二、四、六。数えたサンドイッチを、黄瀬は大きな籠の中に移した。サンドイッチに見とれていた黒子は不意を突かれ、言葉に詰まる。
 振ったことになるんだろうな。そう、黒子は客観的に認めざるをえなかった。




サンプル3


「言ったって、アンタには分かんない」
 パーカーを地面に放り捨て、黒子の両腕を掴み引き寄せる。痛みに顔を歪めた黒子の腰に腕を回し、顎を捉えた。
「……な、」
「何されるか分かるでしょ」
 至近距離にある黒子の目が見開かれていく。しかしすぐに黄瀬を睨み返した。心の奥にまで届きそうなまっすぐな怒りの視線を、冷たい表情ではじき返す。そうでなければ守れない。もう心からは血が流れ始めている。秒読みだ。目を合わせている限り、黒子の視線は黄瀬の心に細い剣先を突きつける。何より大好きなその色で、黄瀬を貫く。
「放してください」
「嫌なら殴ればいいんスよ。両手は空いてる」
「殴らないとやめないんですか」
「やめない」
 口を開けて顔を傾けた。ことさらゆっくり近づけていく。そうして触れる寸前、黄瀬は重い衝撃に身体を折った。黒子の拳が腹に入ったのだ。軽く咽せるだけで済んだのだから、加減はしてくれたのだろう。
「…………は、健在、っスね」
 いってえ、と笑い、黒子の身体を解放した。地面に落としたパーカーを拾う。突き返されてどろどろになって、まるで黄瀬の心そのものだ。口元が震え、目の奥が熱くなる。だから必死に、頭の中で繰り返した。
 ――芝居だと、思えばいい。
 悲しい役を演じているだけだ。好きだった相手に振られる、ありふれた役。だから本気で泣いたりせずに、台本通りに喋ればいい。そうだ、黄瀬が望んだ通りになったではないか。こうされるのを自分は待っていただろう。あのときから、ずっと。
「…………ようやく、振ってくれた」
 木の葉から落ちる雨の中で向き合い、黄瀬は薄く笑いを浮かべて見せた。額や頬を、落ちた雨粒がいくつも筋をつくって流れ落ちる。黒子の髪や顎からも、透明な雫が絶え間なく落ちた。
「五年前も、そうすれば良かったんスよ」
 そうすれば、アンタはフランスまで来てこんな思いをすることはなかった。
 言うと、焦った顔の黒子が口を開いた。それを先んじて言葉を続ける。
「オレ先に、パリに戻ってるから」




サンプル4

『じゃあ、気持ち良くなるようにしよっか』
 黄瀬は、にこりと笑った。そこから始まった。丸いそれを口の中に含み、舌を絡め、視覚からくる刺激に黒子が息を詰めていると、かり、と甘く歯を立てられた。びくりと跳ねて身体を離すと、もう一回、と言われる。本能的に怖いものがあって首を振ったが、彼は許さなかった。
『痛かった?』
『……いたくは、なかったですけど』
『でしょ? オレが黒子っちに痛いことすると思う?』
 思わない。思わないけれど、なんだかうっすら怖いことはしそうな気がする。今のように。
『もう一回だけさせて?それで嫌だったら、もうしないから』
 とても嘘くさい、と思ったが、黒子は仕方なく目を閉じた。再び黄瀬が口の中で、赤くなった先端を転がし始める。いつまた歯を立てられるのだろう、と意識するから感覚は鋭敏になっていた。黄瀬の舌の動きや唇がそれを吸うのもさっきより生々しく感じる。舌先と唇の間で押し潰されるのが一番弱かった。ふ、ふ、と息を吐いて堪えているのに、与えられるはずの刺激はいつまでも訪れない。
 言っただけで、もうしないのかもしれない。黒子の反応を見て楽しんでいるだけかもしれない。刺激は少しずつ穏やかになっていた。ちゅう、と吸われるが痛みはない。その繰り返しに緊張を解いた。いつまでも緊張して身構えているのは疲れるのだ。だけどそのとき。
『――あ、あ……っやああ……っ』
 黄瀬が前歯でそれを挟み、膨れたそれをそっと噛んだ。跳ねて逃げようとした身体を押さえつけ、今度はきつく吸い上げる。
『やだ、やあ、……あ、あ……っきもち……、やだ……』
 吸われ、舐め回されて、解放されたときには、そこは作りかえられていた。指が掠めただけでもひくりと震えた。
『あとでもっとしてあげるから、ここまでね』



 (→TOPへ