秘密の場所  [ 後日のキセキ ]

「どーもお騒がせしましたっス!」

 ぺこ!と音がしそうに勢いよく頭を下げ、姿勢を戻そうとした黄瀬は、頭が上がりきる前から四人の声を一斉に浴びた。

「まったくだ」
「まったくよね」
「まったくなのだよ」
「まったくです」

 正面からは緑間・黒子・桃井の、真横からは青峰の、おおむね半眼になった目から呆れ交じりの視線が突き刺さる。うん、予想はしてたけどもうちょっとあったかい目が欲しいっスね!と思いつつ、黄瀬は笑顔を貼り付かせた。この場では黒子も”あちら側”に混ざってしまうのが泣ける。

 記憶を取り戻してからすぐ、黄瀬は前回ファミレスに集まったメンバーにメールを送った。記憶が戻った報告と、心配かけてスマセンっした!の会開催のお知らせだ。そして今、前回同様ファミレスの角席に全員が集合している。

「忘れたんなら忘れたで面白い事件でも起こせよなー。半端なことしやがって」
「半端じゃないっスよ!自分の名前も覚えてないって大変なんスからね?!」
「きーちゃんのせいで私、大ちゃんと喧嘩までしたんだから」
「オレのせい?何で?」
 聞くと、桃井が青峰をきっと睨んだ。すると今度は青峰が黄瀬を睨む。オメーのせいだ、と小声で言われるので、だから何で?小声で返すと、黒子が桃井に尋ねた。
「どうしたんですか?」
 話しかけられ一瞬顔を輝かせた桃井は、しかしすぐに両手で顔を覆った。
「……て、テツ君には言えない!大ちゃんのバカ!」
「青峰君」
「青峰っち」
「何でオレに矛先変わってんだ!緑間オマエ聞く前からそういう目すんな!」
 憤る青峰に男子メンバーから「で?」という目を向けられ、彼は渋々話し出した。聞きたくなさそうに頬を膨らませ顔を反らしている桃井には申し訳ないが、聞かないと何が何だか分からない。

「中学んときのオマエの唯一の偉業だ」
 黄瀬を見据え、青峰は言った。自分が非難されたことには憤慨しているが、その偉業に対しては敬意を払っているらしい。そんな声だった。
「偉業?オレの?唯一っておかしくないスか」
 オレ結構活躍したはず、と言うとうっせぇ、と一蹴される。
「オマエがなかなか思い出さないっつーから、それを教えてやろうとしたらコイツにバレて」
「で、その偉業って何なんですか」
「女子のカップだ」
「「「は???」」」
 今度は黄瀬に視線が集まる。
「オマエ二年のとき、対戦校の女子マネのブラのカップ当てたろ!」
「はあ?!え?!オレそんな覚えないっス!やめて黒子っちそんな目で見ないで緑間っちも!」
「ここにきて記憶喪失のふりとは見苦しいのだよ」
「キミがそんな人だとは大体思ってました」
「ちょっとお!!青峰っちそれ捏造記憶っスよ絶対無い、オレそんなことしないっス!」
「しらばっくれんな!他の奴らがBかCか言ってたときオマエ一人Dっつったじゃねーか!オレがオマエをすげえと思ったのはあんときだけだ!」
「ヒドッ!でもそれ本当に覚えてない!あ、桃っちホント、ほんとにほんとっスよ!」
 しかし疑惑の目を向ける桃井の横で、黒子が何が思い出したように上を向いた。
「それ……黄瀬君が一軍入りしてすぐのときじゃないですか」
「おう、ほら見ろテツも覚えてんだろ」
「思い出しました。キャプテンがフォーメーションの話してるとき、キミ一人ベンチの一年生と話してたんですよ。終わった頃こっちに戻ってきて、黄瀬君に話しかけてましたよね。そのときでしょう」
「え、じゃきーちゃんはフォーメーションの話してたってこと?」
「何だかよく分からないって顔してたから、多分そうだったんでしょう」
「よく覚えてるな」
「ああ?何だ、じゃ偉業ゼロじゃねーか」
「青峰っちはもう黙っててくれていいっス!黒子っち、そんなときのことまで覚えててくれてるんスね……」
 感動で黒子の手まで握り出しそうな黄瀬の言葉を、否定はしないが相手にせず、黒子は重々しく頷いた。
「黄瀬君が全然フォーメーション覚えられないんで、教えるの苦労した記憶があります」
「え」
「確かにな」
「そういや」
「そうだったね」

 何だじゃあやっぱり黄瀬が悪いのか、と自分を除いて全員の意見が一致する。あの頃は緑間っちの「なのだよ」が気になって集中できなかったんス!と言い返し、言い訳にならん馬鹿め、と返されたりしていると、黒子が耳を澄ますような顔で笑った。

(あ)
 そうだ、と大事な用事ともう一つ気になっていたことを思い出す。
 飲み物のおかわりをもらいに立つ緑間に続いて、黄瀬も席を立った。冷やし緑茶を注ぐ緑間の横で、アイスティーをグラスに注ぐ。

「緑間っち」
「何だ」
「すげーお世話になりました……!」

 借りたヘアピンを捧げるようにして言うと、緑間は黄瀬の顔をじっと見つめたあと、それを受け取った。
「そういう顔をするということは、あの間のことも覚えてるのか」
「今度おしるこ箱買いしてお届けするっス」
「馬鹿め、あれは販売機で買うからうまいのだよ」
 すぐさま返された返事に、敵わないんスよねえと崩れた笑顔を向けると、ふん、と横を向かれた。いつでも改まって礼を言えば、自分のしたことなどどうでもいい、といった態度である。そうして、とりとめもない話を馬鹿だとか何だとか言いながら聞いてくれていた。実は黒子と似ている、とたまに思う。

「……聞きたかったことがあるんスけど」
 視線で先を促され、グラスに氷を入れ足してから続ける。
「何でそれ、黒子っちに届けにきてくれたんスか?オレのラッキーアイテムだったのに」
 オレがあの日誠凛にいるって知ってた?と聞く。
「知るわけないだろう。アイツが渡した方がいいと思っただけだ」
「何で?」
「黒子が自分から、頭を打ったあのオマエに会おうとするとは思えなかったからな」
「……確かに、そうスけど」
 記憶を失っている間、黒子から連絡がきたことはなかった。すぐに自分が追いかけるようになったから、意識していなかったけれど。
「黒子っちがオレと会わないとだめだと思ったんスか?何で?」
 軽い溜め息を吐いた緑間の答えを待っていると、彼は横を向き、ドリンクバーから離れたところにある自分たちの席に目を向けた。

「やるべきことをやるべきなのだよ」
「?」
「記憶が戻るまで何もしないで待つなど、アイツにできるわけがない」
「……」
「ならばさっさと動くべきなのだ」

(黒子っちが、何もしないでは、いられない?)
 今までなら、その言葉を信じられなかったかもしれない。でも、彼がずっと見せていてくれた顔を覚えている今では、少しだけならそうかもしれないと思えた。

 緑間に倣って席の方を眺めた。三人の頭が小さく見える。
「オレが追っかけるから、黒子っちはいつもオレの我侭聞いてくれるんだと思ってたっス」
「それだけで絆される性格じゃないのは、オマエが一番知っているだろう」
 そう、何度告白して何度振られたか分からない。それは緑間もよく知っている。

「とにかく、放っておいてまたオマエに泣きつかれたら堪らないと思ったのだよ。オレの身がもたん」
 そう言って、緑間は歩き出した。まっすぐ伸びた背中はぐんぐん進む。

(……こんな、だっけ)

 緑間が言動に合わず、面倒見がいいのは知っている。自分が面倒を見られていたのだから実証済みだ。だけどいつもと少し違う気がする。こんな風に、自分から手を出してくれる人だったろうか。
 忘れていたのか。いや違う。忘れたのでも、変わったのでもない。
(そうだ、青峰っちも桃っちも)
 わざわざ昔のことを思い出したりしない。懐かしんだりしない。

(そ、か)

 今になって本当に、心配されていたのだと気がついた。
 記憶を無くしてから”初めて”彼らに会ったとき、からかわれていじられることが、少しも重要でない記憶を羅列されることがどういうことか、全然分かっていなかった。



 席に戻ると、青峰がぐったりと椅子の背もたれに伸びていた。首を仰向けに反らしたまま、何の苦もない様子で文句を言う。
「おせーよオマエら。オレが意味も無く説教されてんだけど」
「意味無くないです」
「そーよ。あれ、きーちゃん?顔が変だよ?」
「あ、本当ですね変な顔」
「気持ち悪いのだよ」
「また頭でも打ったのか?」
 どうしてこの人たちは揃いも揃って、商売道具のこの顔をつかまえて変だ変だと言うんだろう。お礼の一つも言える雰囲気ではない。でも多少涙目だってこれくらいは言える。

「オレはみんな好きっスよ!!」

「…………」
「…………」
「…………」
「…………」

 全員がぽかんとした。脈絡無く言った自覚はあるからそれでもいい。が、その一瞬の間のあと、ニヤ、と笑った青峰が言ったのを皮切りに。

「じゃー黄瀬のおごりな!オレ三百グラムサーロインとライス大盛り〜」
「キャラメルプリンパフェで」
「フルーツサンドとアイスにしよっかな」
「とろとろオムライスと三種の煮魚ご膳」
 全員がぴったりの息でメニューを読み上げ始めた。何故決まっているのか。
「ちょ、おごるとは言ってないっス!あと緑間っち何その組み合わせ!」
「腹が減っているのだよ」
「かわいいですね緑間君」
「とろとろってオマエ……その顔で……!」
「テツ君にかわいいって言われるなんてずるいミドリン」

 そして自分の抗議は聞いてもらえない。聞いてもらえないかわりに、メニューを見させられる。おごんないっスからね!と言ってもハイハイと言って流される。強引で滅茶苦茶で口でもバスケでもかなわない人ばかりの。
 自分が大好きだった場所。今も大好きな人がいる場所だ。

 その夜黄瀬は財布に大きな痛手を被ったが、黒子にプリンを一口もらって全てを良しとした。
 全員に「ちょろい」と言われても、満足だからいいのである。









[ 後日談・完 ]



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私にとってミドリンの「できるわけがない」は、心配ったらない、の意だと思ってます。
ミドリンはいつも黒子っちを本気で心配してます。黄瀬については面倒見ても、そんなに心配はしてません。黒子にくっつけておけば大丈夫だろう、と思ってます。

お付き合い、どうもありがとうございました!