その後のキミと流星号

(2014/07発行「キミと流星号」の後日談です。これだけでも、何となく読めると思います。)  
 

 交差点の曲がり角、携帯の地図で道を確認し、黄瀬はあっち、と右を指した。
 黒子の自転車と共に二人で出かけるときは、いつもより遠出をする。そのせいか、最近黄瀬は地図を読むのが得意になってきたらしい。携帯をジーンズのポケットに入れ、再び歩き出す。
「そういえばさあ」
「はい」
 こうして出かけるときは片方が自転車を引いているので、二人ともいつもより歩く速度は緩い。春めいてきた風と柔らかい日差しに額を撫でられ、黒子は目を閉じた。そういえばさあ、の続きが来ない。
 黄瀬を見上げると、自分から口を開いたくせに言い淀み、前かごに乗せた二人分のスポーツバッグのバランスを整え始めた。ものすごく不自然だ。
「そんなことしなくても落ちませんから」
「う、……はい」
 二人の休みが重なった春休み、自転車を出して、いつもより遠くのコートへバスケをしに来ただけだから、中身はいつもより少ない。スポーツドリンクも三本は空にしたから、行きより格段に軽くなっている。
「で、なんですか」
 続きを催促すると黄瀬はバッグの蓋をむぎゅうと押さえ、黒子の様子を横目で窺いながらそろそろと言い出した。
「前聞きそびれた話なんスけどね」
「はい」
「怒ってないんスよ、ぜんっぜん怒ってないけど、…………聞いていい?」
「怒ってないならそれ言わなくてもいいと思うんですけど」
「そう思われそうなんスもん。心狭いって思われるのやだし」
 と、唇を尖らせて黒子を見る。意味の分からないかわいい顔アピールは、ため息一つで受け流した。
「とりあえずキミの気が小さいことは分かりましたから、聞きたいならさっさと聞いてください」
 それもやだー、などと黄瀬は文句を言って軽さを装っているが、話の見当は大体ついた。黒子が押しているハンドルの片方に、黄瀬の手が置かれる。黄瀬はどうも、黒子に都合の悪い話をするとき、身体を近づける癖があるらしい。

 自分たちが付き合い始めたのは二ヶ月前だけれど、黄瀬が黒子に告白をしたのはちょうど今から一年前だ。それから付き合うまで五・六回は好きだと言われた。もっとかもしれない。口にしなくても言われているような動作や表情は黒子に与えられ続けていたから、後半はもう、回数は分からなくなってしまった。
 その告白を聞き続けていた間、黒子は返事をしなかった。黒子は黄瀬を好きだったし、黄瀬も分かっていた。ほとんど生殺しの状態でも黄瀬が返事を催促しなかったのは、黒子がバスケを――中学時代のさまざまなことに決着をつけることを――優先したいのだと分かっていたからだ。
 根気良くひたすら待機していた黄瀬だったが、それを抑えきれないことは何度かあった。そんなことは当然だと思ったし、我慢の限界も超えただろうに彼は最後まで自分を強引に追い詰めたりはしなかった。
 だからようやく、こっそりとでも手を繋げる関係になった今、黒子としてはそれら全部を引き受けるつもりでいる。心当たりはいくつかあるが、『聞きそびれた』『もう怒ってない』ことといえば、あれだろう。

「……火神っちと、二人乗りしてたときのあれ、」

 やっぱりか、と黄瀬を見ると、彼は再び繰り返した。
「怒ってないってば〜!」
「……そんなに言わなくても分かってますよ。というかそれ、ボクも前から言い訳したかったんです」
 あそこに自転車を止めましょう、と道の先にある公園を指した。入り口と思われる空間の先には大きな木が続いていて、木陰もできている。休憩がてら話をするのにちょうどいい。
 言い訳、という言葉を気にしたのか、黄瀬は黒子の指先を軽く握ってきた。
「ほんとっスよ?」
 これから言い訳をしようとする自分より、怒ってないことを全身全霊で信じてほしい黄瀬の方が困り顔だ。中学の頃から黒子の気持ちを優先させる傾向があるけれど、この一年でそれが増した気がする。特にその話は、黒子がさんざん返事を待たせた上、火神と自転車に二人乗りをしているところに黄瀬と鉢合わせるという、最後の最後に自分がしでかした大事件であったから、黄瀬も慎重にしているのだろう。
 しかし怒られた側の自分が言うのもどうかと思うが、もう終わったことだし、今は無事付き合える関係になったのだから、そんな腫れ物を扱うようにしなくてもいい、と黒子は思う。
「黄瀬君の優しさとうざさは紙一重ですね」
「うざ……?!黒子っちへの愛ゆえなのに!」
「だと思うので、うざくても我慢してます」
「ひーど−いー」

 ひとしきり騒いで公園の入り口に着いた頃、黄瀬はようやく落ち着いた。少し先まで行って自転車を止め、腰の高さより少し低い柵に腰をかける。二人揃って足を投げ出すと長さの違いが目に見えて悔しかったが、以前より近い位置に並んだ足を引っ込める気にはならなかった。

「ウィンターカップが終わったあとキミに連絡できなかったのは、前話した通りですが」
「うん」
 連絡が遅れたのは試合後の打ち上げと、かつての仲間との再会と見送りと、年明けに家族で田舎に顔を出したからだった。そこまでは自転車で会いに行った日に、黄瀬の部屋で聞いてもらえたのだ。
 しかしその先は、火神の名前を出した途端、『ここでアイツの名前出すとか超ダメっス黒子っち』と遮られ、既に意識が朦朧としていた身体を再びベッドから掬い上げられ、黄瀬以外縋るもののない状態で乱されて、聞いてもらえなかった。その日は最終的に、意識が飛ぶまでされた。
 うっかり余計なところまで思い出しそうになり、黒子は無心でその記憶を追い払う。一つ息を吐いて、話を続けた。
 
「火神君の家って、あの会場と近かったでしょう、ウィンターカップの」
「そういえばそうだったっスね」
「なので、鍋パーティーの前に寄ってたんです」
「……ふうん」
 黄瀬の視線が足元に落ちる。思ったより気落ちした顔になってしまった。しかしすぐ、その理由は勘違いと知れる。
「……それで、二人で自転車乗って行ったってことスか」
「は?」
「え?」
 向かい合わせた顔は、お互いぽかんとしている。
「なんで二人で行くんですか」
「だって思い出の場所じゃないスか。黒子っちなら、火神っちと一緒に行きたくなるかなって」
「……ああ、」
「え……、何スかその、言われるまで思いつかなかったみたいな」
「そう言われてみれば、行ってみてもいいなって思いました。今」
 今度先輩たちも誘って行ってきます、と言うと、黄瀬はますます困惑の色を顔に浮かべた。

「……じゃあ、一人で行ったんスか?」
「はい」
 今度は黄瀬の方が「何で?」という顔になる。
 いくらか心配そうな目をするのは、黒子を一人にするのを怖がる癖が抜けないからだろう。そして相変わらず、黄瀬は黒子の中での重要度を分かっていない。あれ以来ちゃんと言葉にしているというのに、困ったものである。
 黒子は前に投げ出していた足を引き、大きな木のつくる陰と、その輪郭に目を落とした。
 あの日のことを思い出すと、景色まで冬に戻るような気がする。
「キミと向き合う決心をするんだから、一人に決まってるでしょう」
 冷たい空気の中で深呼吸をした。黙って空だけ見上げていたら、指がかじかんだ。
 隣で、あ、などと言っている黄瀬に、言われるまで思いつかなかったんですか、と同じ言葉を返す。
「まあ、それなりに緊張してたんです。何せ引き伸ばしましたし。……キミには気付かれちゃってましたから、余計に」
「……っていうかオレ、そんな知らなくて、」
「言ってないんで当たり前です。それよりボクが謝らなくちゃいけないのは……」
「オレ謝ってほしいわけじゃ」
 焦る黄瀬の言葉を、手のひらを向けて制止する。
「話は最後まで聞いてください。……問題はここからなんですよ黄瀬君」
「?」
 そう、ここまでは良かったのだ。会場は何日にも渡って足を運んだ場所だから、迷うこともなかった。が。
「会場から火神君の家に着くまでが、ちょっと順調じゃなかったというか」
「……ん?」
「キミが来る前に、ボクは到着してるはずだったんですけど、」
「…………」
 潤みかけていた黄瀬の目が、瞬きを繰り返すごとに通常通りに、いや、いつもより心なしか、つり目がちになっていく。
「道を勘違いしてまして」
「……それって」
「迷子になったので、迎えにきてもらったらああなりました」
 話し終わった頃には、少しも笑ってない黄瀬の笑顔が目の前にあった。先とは別の意味で黒子は両手を黄瀬に向け、突き刺さる視線を防ぐ。『謝ってほしいわけじゃない』と言われたけれどやっぱり謝っておこうかな。そう判断し、すいません、と口にする。しかしそれが口火になったようで、黄瀬がくわっと牙をむいた。
「その前科があったのに、ウチに来たときも地図なしで来たんスか!」
「家で見てきたんでいけるかと」
「もしかして火神っちの家に行くときは」
「記憶を頼りに」
「黒子っち〜〜〜〜」
「だから謝ってるじゃないですか」
 それにこうして出かけるときは、黄瀬に地図を任せている。
「ぜんぜん反省してないでしょ!つか、あのね、オレが怒ってんのは」
 やっぱり怒ってるんじゃないですか。と言うと火に油をぶっかける事態に陥りそうなので、主に自分に非がある黒子は黙っている。黄瀬は一度開いた口を閉じかけ、でも勢いがそうさせなかったのか、一番奥に閉じ込めていたのだろう本音をとうとう吐き出した。

「っ、一番最初に、オレに会いにきてほしかったの!」

「……」
「火神っちのとこに呼んでくれんのは嬉しいけど、その前でも、ちょっとしか時間なくても、オレんとこに」
 一気に述べたてた黄瀬は、そこで大きく息を吸いこんだ。
「……すいません」
 それを言われると黒子は弱い。あの日黄瀬を怒らせ、泣かせた根本にあるものはそれなのだ。
 火神の後ろから顔を出した自分を見て黄瀬は、信じられないような、何もかも壊されたような顔をしていた。自分に向けられていた黄瀬の信頼が揺らいだ瞬間だった。返事だってもらってないんだから、怒る権利なんかない。黄瀬はそう言ったけれど、普通に付き合っている以上に、黄瀬は怒って良かった。あの表情に黒子はようやく、黄瀬がどれだけ自分を抑えて待ってくれていたのか分かったのだ。
 だからこれに関してだけは、屁理屈をこねることも開き直ることもできない。言い訳があるとしたら一つしかない。
 黒子は、そういうところで黄瀬に甘えてしまうからだ。
 あのときと同じように、はあ、とため息をついて、自分を抱きしめてくるような黄瀬に。

「……でも、オレのこと考えてくれてたみたいだからいいっスよ」
「……」
 そう、黄瀬はいつだって自分に優しく――、
「まあ、何でその大事なこと話してくれるのが火神っちのあとなの、っては思うっスけどね。そりゃやっぱりね」
「…………」
 結構な割合で、しつこい。
 自分をふわりと抱きしめて、安心――なのか油断なのか――させながら責めてくるときは、余計にしつこい。黒子は口を割らざるをえない。

「えっと……、ですね」
「うん」
「…………火神君と喋ってるうち、緊張もなくなるかと」
 ぼそりと言ってみれば、数秒の沈黙ののち、案の定ぎりぎりと腕を締め付けられた。
「だー!もー!ほんっとに仲良しなんスから!!」
「仲良し、なわけでは」
 呻き声を交えて応えると、腕が緩む。緩むだけで、離れない。そういう黄瀬に、自分はどれだけ救われたのだろう。
「仲いいわけじゃない、って言うヤツほど黒子っちは好きっスよね」
「そうですか?」
「素直じゃないっていうかさー、自覚がないっていうかさー」
「そうですかね」
 抱きつく黄瀬が甘えるように身体を揺らす。そういえば火神にも、『オマエやっぱ黄瀬と仲良かったんじゃねえの』と言われたことを思い出した。
「でも『仲がいい』、とは、ちょっと別なんです」
「…………特別?」
「そうですね、イレギュラーというか」
「ふうん」
 黄瀬の動きが止まった。どうせまた青峰や火神と比べて拗ねているに違いない。イレギュラーの筆頭は黄瀬だというのに。
 けれど自分だってまだ驚いているのだから、それも仕方がないのだろう。何回も、黄瀬に染み込むまで伝えていくしかなくて、それもいいかと思っているのだから。

「黄瀬君、ボクの好みって知ってますか」
「え、何?知らない!」
 勢いよく顔を上げた黄瀬が、知らないと言いながら期待を込めた目で自分を見る。ふむ、と黒子はしみじみと頷いた。
「ボクはものをはっきり言う人が好きですし、うじうじする人はイラっとしますし、やたら連絡を取りたがる人とはまったくタイプが違うわけで」
「…………あ、あの、黒子、っち?」
 一体好みとは、なんだろう。不思議で、少し面白い。

「考えられないんですけど、この一年でボクは」
 すう、と自分を囲んでいる黄瀬の匂いを吸い込む。

「去年より、ずっと好きになりましたよ」

 最初は、黄瀬を好きになったことが苦しかった。それでも諦めたくないと思えた。それだけでも特別だった。その上、自分の気持ちを抑え、黄瀬を待たせ、迷って、焦って、最後には、伝わらないかもしれないことが怖くて泣いた。とても自分のしたこととは思えない。

「キミ自分がどれだけ特別か分かってないでしょう」
 黄瀬があまりに呆けているので話を聞いているのか心配になったが、呆然と開いたままの目がうっすら潤んできたころ、ふいに腕の囲みが緩んだ。ごめん、と小さい声を耳が拾った。次の瞬間には、一度ほどけた黄瀬の腕に、黒子の顔は頭ごと包まれ隠されていた。
「…………」
 すき、黒子っち。
 触れた唇の隙間から囁かれる。
 キスをしながら喋るな、というのもまだ覚えない。すき、と口が動く度に目蓋が震える。

(それにこれ、全然、隠せてない、ですけど)
 顔が見えなくても、こんな体勢では何をしているのかすぐ分かる。
 黄瀬が本格的に拘束してくる前に、黒子は何とか腕を伸ばして頭をはたいた。両腕の囲みを抜けて立ち上がり、すぐ側に置いていた自転車のスタンドを外す。

「さて、休憩終わりです。帰りましょう」
 恨めしげにこちらを見る黄瀬が、遅れて隣に立つ。
「……黒子っち」
「はい」
「やっぱ流星号に補助席つけよーよ」
「……あれは子供用だと何度言えば」
 黒子を後ろに立たせる二人乗りは諦めたが、黄瀬は子供用の補助席をつけようとするのだ。絶対にごめんである。
「二人で乗って帰れば三十分かかんないでウチに着くじゃないスか〜」
 オレあと一時間も我慢できない、草むらがあったら押し倒しちゃうかもしんない、と泣き真似をしながらとんでもない内容の駄々をこねる。
「今すぐつけられるわけじゃないんですから、同じです。そんなこと言ってる間に歩いた方が早いですよ」
「じゃあオレ走るから、黒子っち流星号乗っていいよ」
「……黄瀬君を走らせる内容がすごくイヤなんでやめてください」
「黒子っちのわがままー」
 べそべそ言いながら歩き出す黄瀬は、いじけて前しか見ていない。黒子の左手が空いていることにも気付いていない。こういうところが、どうにも抜けている。
「じゃあ、わがままは引っ込めます」
「……?」
 開いた左手を黄瀬の顔の前に突き出し、それをハンドルの元へ戻す。
「えっ!!」
「引っ込めました」
「引っ込めないで!」
 オレのー、と言いながら、ハンドルにかけた指を一本ずつ外していく。大人しく五本外された黒子の左手は、黄瀬の右手に収まった。満足そうである。

 顔が見えない、手も繋げない二人乗りより、この方がいい。
 黄瀬が地図に強くなったように、歩きながらの片手自転車操縦に、黒子だってとっくに慣れたのだ。