憧れの刀 |
黒子は結構ゲームが好きだ。ゲームセンターに皆と行くこともあるし、クレーンゲームなどは意外とうまい。そもそも男子中高生がゲーム好きであること自体別に何もおかしくはない。バスケを除けばインドアな黒子の趣味を考えれば、すんなりと納得がいく。 だが。 (こーいうのも好きだとは思わなかったっス) 黄瀬の机の上に広げたノートパソコンをいきいきと見つめている黒子の横顔に、黄瀬は軽くため息をつく。黄瀬の部屋に来るなり「パソコン貸してください」などと言うから急な調べ物でもあるのかと思えば、なんとディスプレイに現れたのは、小奇麗な男たちの絵。「これなに?」と黄瀬が素っ頓狂な声を上げると、「刀剣です」と黒子は何故か誇らしげに答えた。まったく意味が分からなかった。 黒子は黄瀬の表情を見て、「刀です、日本刀」と補足してくれた。さすがだ。自分の語彙力を把握している。確かに説明されて何とか漢字変換できるレベルだった。でも今はそういう問題じゃない。この時代に”とうけん”と突然言われて”刀剣”にあっさり変換できる人間は少ないんじゃないだろうか。というより、まず画面に出てきたのは人であって刀には見えないし、何故黒子がそれを誇らしげに説明するのか、黒子は今何をしているのか、何から何まで分からない。 一体どんな質問が黒子の対峙している世界への糸口になるのか、頭の一部ではそれを考えようとしているのに、全体の思考としては完全に停止してしまった。 黄瀬が間抜けな感じに口を開いている間に、黒子は迷いのない動きで次々と操作をしていく。画面には幾人もの刀(らしい)が現れ、大きくなったり何か喋ったり、そうかと思えば怪我をしたりする。入れ代わり立ち代わり、おそらく二次元ではイケメンなのであろう少年から二十代位まで、その刀剣とやらは現れた。自分のパソコンに流れる画像とは思えない。 「黒子っち、これ、何?」 「ゲームですよ」 「あ、ああ、そうなんだ……」 ゲームか、ゲームなんだ、そういう気はしてた、うん。 黒子が当たり前のように答えるので、なんだかそれ以上突っ込んで質問することができない。黄瀬のことを相手にしてくれる気配がないので、諦めてベッドに腰を下ろした。 黒子が他のことに集中したいときは、しばらくそのままにしておくのが一番いい。それは読書で実証済みである。目の前に自分がいるのに、と最初は思ったが、部活部活で時間がない上たまの休日は黄瀬と会っていたら、黒子は趣味の時間がほとんど取れない。恋愛中だろうとそれはそれ、やりたいことはやりたい、というのが黒子らしい。 それに、黒子が何かに集中しているときの横顔を眺めるのが黄瀬は好きだ。表情はほとんど動かないけれど、丸い瞳がかすかに細められたり、気を引き締めるように顎を引いたり、満足そうに息を吐いたり、小さな動作一つ一つが愛おしい。それらが自分に向けられるときはこちらの気持ちも黒子でいっぱいになって観察などできないから、たまに他のもの――これが”人”だとそう穏やかではないのだが――に対して、黒子の細かな感情が見られるのは嬉しい。 (あ、一息ついたっぽい) かなりの前傾姿勢でパソコンに向かっていた黒子が、よし、といった様子で息を吐いた。すごろくのようなコマの画面から、一番最初に出てきた画面に戻った。そこには長い黒髪を後ろでゆるく束ねた、和服姿の刀が立っている。立ち方といい、笑い方といい、どうも自信家みたいだ。黒子はそこの画面からしばらく動かず、何かクリックしては流れてくる台詞を聞いている。その刀は、刀としても強いし、見た目もいいらしい。見た目がいいってのは武器が一つ増えるとか言っている。いい奴かもしれない。 黒子は一通りその台詞を聞き終わると、また次の操作を始めた。今度は何か数値をいじって調合みたいなことをしている。前のように流れるようにとはいかず、他のサイトを見て参考にしているらしい。とても真剣だ。真剣過ぎて困る。黒子の調合によって、丸いものが光ったり焦げたりする。焦げたときの落胆ぶりは、多分黄瀬じゃなくても分かるだろう。がっかり感を上半身全体で表現していた。 「あの……黒子っち」 「なんですか」 声をかけたことで気を取り直したのか、黒子は新たな調合を成功させ、うんうんう頷くとまた違う場面に移った。また色んな刀の声が聞こえ始め、「いいねえ!」と言われた黒子がほんのり喜ぶ。むむ、と黄瀬はベッドから立ち上がり、黒子の座る椅子の背もたれに両手をついた。ゲームだけならいいけれど、ゲームの中の誰か(しかも刀で男)にそんな顔をさせられては面白くない。 「ねえそれ、あとどんだけかかるんスか」 「小三十分です」 「こさんじゅっぷん?!全然”小”じゃないっスよ」 三十分も待っていたら黒子がその「いいねえ!」の男に取られる気がする。自分に向けられるのが、他の男に微笑みかけたあとの顔なんて嫌だ。 「三分にしよーよ、それよりオレといちゃいちゃしよ」 ねーねーねーと椅子を揺らすと、酔うからやめてください、と言われてしまった。仕方ないから背中にのしかかる。重い、と言いながらも黒子は黄瀬の頭を撫でてくれた。悪くない。撫で方はちょっと雑だったけれど。 「あと内番振って遠征回して演練したら終わりにしますから」 「何言ってんのか分かんねっス。それ三分?」 「頑張って十五分ですかね。それより黄瀬君」 ゲームとは頑張りで時間が変わるものだったろうか。黄瀬はこの手のゲームをやったことがないのでなんとも判断できかねる。帝光の面々でやってたのはマリカとかその辺りだった。 黒子は刀たちがずらっと並んだ画面から、また和室の画面に戻ってきた。ここはその、見た目がいい刀の部屋なんだろうか。画面をクリックして台詞を流すと、黒子はようやくこちらを向いて、自分を見てくれた。いつもと変わらない感情の読みにくい顔。でも少し楽しそうなのは、雰囲気で分かる。 「この刀の人の声なんですけど」 「刀の人の声って変じゃない?」 「声、キミに似てません?」 「スルーだし。まあいいけど。で、この、さっきから一番出てくるやつ?」 「そうです、あ、そうだ」 いいことを閃いた顔で黒子はパソコンに向き直り、ものすごい速さで刀たちを組み合わせてすごろくに出かけ、刀を戦わせながら、黄瀬にわくわくと言った。 「ちょっとだけ一緒に見ててください、キミに見てほしいものが」 「?いいっスけど、なに?」 「これで拾えるといいんですけど……でも国広君にしたから多分」 黒子の謎の呟きに突っ込むことは諦めたが、自分に見せたいと言ってそわそわとプレイする黒子がかわいいので黄瀬としては文句などない。刀のぶつかる音が続き、ひときわ大きい音のあと、勝利、の文字が流れた。 「これ?」 「いや、このあとです、……あっ!ここです、これ!これでさっきの人が出たら、台詞よく聞いててください」 「さっきの……」 「っ、出ました!」 まったく事態が飲み込めないが、画面には確かにさっきの刀が現れた。自己紹介らしき台詞が流れる。名前は難しかったが、最近流行りの刀なんだな、ということが分かった。よく分からないが、確かに聞いた。聞いたが、どうしたらいいんだろう。 黒子の頭上からディスプレイを眺めまたしても困惑していると、下に位置している頭が勢いよく振り返った。 「言ってみてください」 「……ん?」 「今の台詞、聞いてみたいです」 まるで子供がヒーローを見上げるときの顔だ。期待と憧れできらきらして、でもお行儀よく振舞おうとしている精一杯の姿勢。めちゃくちゃかわいい。が。 「……って、え、今の?!いや声違うっスよ!」 「違いません、前にキミ、青峰君の物まねしてたじゃないですか。ああいう感じで、ちょっと悪っぽくて、上からで、はいつもですけど、とにかくさっきの口調真似してくれたら絶対そっくりだと思います」 「オレいつも上から喋ってる?!身長だけの話……」 「誰が物理的なことを言ってますか」 瞬時に氷の視線に切り替えた黒子はその刃を引っ込めると、あらためてねだってきた。しぶとい。どうせなら違うおねだりをしてほしい。 「試すくらいいいじゃないですか。刀の人がそこにいるみたいでわくわくします」 「……黒子っちって……そういう趣味あったっけ?」 「そういう趣味ってなんですか、ボクたちが生まれるずっとずっと前からある刀ですよ、時代の節目や主の生死をその目で……いや、その身をもって見届け今に至るということは」 「あああ分ーかった!分かったっスよもう!言えばいいんでしょ!」 ぴた、と黒子が口を噤む。こんな風に見上げられたことが今まであっただろうか。ならば仕方ない、言うか、と思ったが、名前をもう忘れてしまった。黒子に少し顔を寄せ、名前もう一回教えて、と小さな声で言うと、黒子はがっかりする風でもなく、丁寧な発音でそれを教えてくれた。聞いた名前を口の中で転がす。喋るリズムとイントネーションは覚えている。どうせだからと、片手を腰に当て、軽く顎を引き、あの顔をイメージして笑いながら黄瀬は聞いた通りの台詞を口にした。 「『オレはいーずみのかみかねさだ。かっこ良くて強ーい最近流行りの刀だぜ』」 パソコンから聞こえた通り、ちゃんと「いーずみのかみ」と出だしも伸ばしてみた。しかしやりすぎだったろうか。黒子はおののいたように後ろへ身を引き、数瞬、固まった。あの、と黄瀬が常になく赤面しかけたときである。 「兼さん!!」 「『かねさん』?!」 「兼さんだ!ボク!憧れてました!!」 「は?!え?!黒子っち??」 「黒子っちなんて恐れ多いです、黒子でいいです、どうぞ兼さん、呼び捨てで」 「いや、オレ兼さんじゃ」 「すごい、兼さんがいる……」 「あの、くろ」 黒子っち、ではなく黒子、と呼ぶべきなんだろうが、黒子を呼び捨てにすることなんてできない。しかし目の前には自分を「兼さん」と呼んで全身全霊で慕う黒子がいる。黒子の望みは叶えたい。自分にしか叶えられない。似た声と、コピー能力を持つ自分にしか。 ――ここは、あの和室の部屋だ。 黄瀬はいろいろ、振り切った。自分は今黒子より百歳くらい年上の、刀、の人だ。 肩に羽織をかけて、人に上から物を言うことに慣れている。持ち主はおそらく、人の上に立つ立場だったのだろう。 「……よお、黒子」 「はいっ」 黄瀬はあの部屋に立つ自分を想像した。自分の実際の髪は短いが、あそこまで長かったら、少しでも身を屈めて顔を下げるだけで、豊かな髪は流れてくるだろう。端正な顔に反し口調は人をくったようでもあり、少し軽く、でもくぐり抜けた場数によるのだろう、そうそうのことでは動じない落ち着きと、かすかな凄みがあった。 「オレに憧れるって?嬉しいこと言うじゃねえか」 「はい、兼さんは強くて最後まで主と一緒に戦って、主の誇りだったでしょう。生き方の象徴だった」 黒子に言われると、本当にそんな気がしてくる。自分は刀で、主と戦って、その誰かの誇りとまで言われるような。 「お前も強くなりてえか」 「ボクも兼さんみたいに、仲間を助けてずっと一緒に戦いたい。だから、もっと強くなりたいです」 「……十分強えと思うけどなあ」 これは刀としてではない、自分の黄瀬としての返事だった。黒子は強くて、まっすぐで、眩しい。 それにしても、憧れの人を前にしても出てくるのはバスケで、黒子はやっぱり黒子だった。黄瀬も知識がなさすぎて会話に限界があるので、そろそろ黄瀬に戻る頃だろう。 「ところで黒子、」 「はいっ」 「お前の付き合ってるって奴ぁ、どんな奴だ。見た目はいいのか?」 「……っ……」 きゅっと口を結んだ黒子の首が赤くなった。赤みが少しずつ上昇してくる。 「へえ」 にやっと笑うと、首から上が完全に赤一色に染まった。 「面食いってな、悪くないぜ」 「め、面食いなわけじゃな……」 「でも、嫌いじゃねえんだろ?」 指先で頬に触れる。熱い。これは黒子の許容範囲を超えたと見た。不利になっても何だかんだと動く口が、まったく動いていない。 これくらい首を傾けたら、身体を近づけたら、黒子の身体に髪がかかるだろうか、それとも羽織から自分の香りがするだろうか。そんなことを考えながら、黒子と結んだ視線を放さずに少しずつ距離を詰めていく。 あと十センチ、を切ったとき、黒子の両手がぎゅう、と自分の胸元を掴んで突っ張った。真っ赤になった顔は伏せられ、腕と腕の間に隠されてしまう。 「ず、ずるいですよ……!!」 「黒子っちだってノってたじゃん」 途中から、確実に混乱していた。憧れの刀が目の前にあるのか、黄瀬がいるのか、同時に二つを見てしまってどうしていいのか分からなくなっていた。 「黒子っちってオレの顔好きだったんスねえ」 「別に好きだなんて言ってません」 「でもかっこいいと思ってるんでしょ?」 「一般的に見てかっこいいですよ」 「えーー、かっこいいって好きってことじゃん」 「かっこいいから好きなわけじゃ」 ヤケ気味に言い返した黒子が、不自然に沈黙した。それがどういう意味か、言った本人にも黄瀬にも分からないはずがない。 顔を伏せたままの黒子の後頭部に向かって話しかけている黄瀬には赤い耳くらいしか見えないが、シャツを握り締めている手の温度も上がってきたような気がする。 「黒子っちそろそろ顔上げない?」 「上げません」 「上げるといいことあるっスよ」 「…………なんですか」 「顔上げるとオレとちゅーできるっス」 「遠慮します」 「する?!普通!」 「全力で遠慮します」 「…………じゃあもう一個」 「……」 「上げるとオレの顔が見られるっス。黒子っちの大好きなオレの顔が」 「ボクもう帰っていいですか、匍匐前進で」 こんにゃろう、と思うが黒子が黄瀬から離れる様子はない。かわいいけれど、いい加減顔が見たい。これが「かねさん」だったら絶対顔を上げるだろうに――。 それは、良い閃きだった。 「おう黒子、顔上げな」 驚くほどあっさり、黒子は顔を上げた。言い終わる前に顔は上がっていた。こうなってくると心配になる。黒子は「かねさん」の声で何か言われたら何でも言うことを聞いてしまうのではないだろうか。 気まずそうに目を逸らす黒子の顔は、まだほこほこと赤い。さすがにもう顔を隠すのは諦めたらしい。そっぽを向きながら一応粛々としている。 「黒子っち」 「はい」 「質問です」 「はい」 「黒子っちはかねさんが好きなの、オレが好きなの」 「黄瀬君です」 「はい、では次。かねさんの真似するオレと、オレだったら、どっちが好きなの」 「えっ……、」 「……黒子っち……」 一瞬顔がときめいたのを、見逃しはしなかった。 「あーもーおこったー、黒子っちなんか知らないっスよーだ」 「や、え、違います、兼さんの真似する黄瀬君はかっこいいです」 「オレよりかっこいいんスもんねー。そんなら黒子っちはかねさんと結婚すればいーんスよ、許さねーけど」 「いや言ってることめちゃくちゃです」 「黒子っちのがひどいっス男心をもてあそんで」 「弄んでません、ボクが好きなのは黄瀬君です」 「…………」 膨らませた頬の空気が抜けていく。抜けて、そして緩んでいく。分かっていても、言われたことがあっても、それは特別な響きだ。 「……かねさんの真似するオレじゃなくて、オレ?」 「捨てがたい」 「黒子っちゲーム禁止」 容赦なくパソコンをたたんでベッドの下に滑らせ、黄瀬は大きく口を開いて名残惜しそうにする黒子の唇にかみついてやった。 |