偏食ヴァンパイアと白夜の柊 サンプル
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 トマトジュース、ローズウォーター、ハイビスカスジュース、スイカジュース。
 果物の味や、花の香りがするものは嫌いじゃない。スイカジュースは好きだ。この土地は寒いから短い夏の間しか飲めないのが難点だけれど、氷にしてしまえば保存できる。トマトジュースも飲めないことはない。ミネストローネなら歓迎する。ボルシチは肉が少なめだと嬉しい。
 黒子の天敵は赤い液体だけれど、今挙げた通り赤い液体のすべてがだめなわけじゃない。最近できた友人は自分を偏食と言う。だけど喉を通らないのはたった一つだけで、好き嫌いは少ない方だ。
 唯一の嫌いなものが自分たち吸血鬼の、主食とされているものだっただけで。







 ――あ、また来た。

 冷たい風が床を流れてきて、扉が開いたことが分かる。ということは、彼がやってきたのだろう。
「……アンタにならあげるって言ってんのに」
 掛け声もなく、あっさり自分の身体は持ち上げられた。体温の触れたところから寒さが和らいでいく。ベッドに降ろされてまたすぐ体温が下がったけれど、身体が温まるまで彼が布団ごと抱いてくれたから、もう冷えることはなかった。今目蓋を開ければ変わり映えしない寝室の天井と、細く光る金色の髪が見えるだろう。でも、ぴくりとも動かせないから本当のところは分からない。ただ、ぼんやりしているけれど意識はあって、溜め息だって聞こえる。彼が部屋から出ていったことも感覚では追えている。
 空から月が消える朔の夜、飢えて空っぽになった身体は動かなくなる。空腹で頭が動かなくなって、力が入らなくなって、倒れたそこに黒子テツヤの抜殻ができあがる。
 でもそれは気のせいでしかない。遙か昔に一度吸血鬼と交わった人間の子孫、もはや九十九パーセント人間である自分が血を欲して飢えるなんてことはない。事実明日になれば嘘のようにこの飢えは消えている。血など飲まなくても。
 自分を運んでくれた純粋培養百パーセントの吸血鬼はキッチンで何かやり始めたようだった。人の血を飲まなくても生きていける、現代に適応した進化型の純血種。必要な血液は体内で生成される。
 生成なんてされなくていいから、血を飲みたい欲求を取り除いてほしい。
 扉の向こうの物音を遠くに聞きながら、ベッドの温かさにずぶずぶと潜り込んでいった。



 目を開けると、文句を言いたげな顔が自分を見下ろしていた。カーテンはまだ閉じられているけれど朝らしい。隙間から見える外の光は白く目映い。昨日一日降っていた雪はやんだようだ。もう一度視線を真上に戻す。
「おはよ」
「……お世話になりました」
「お世話しないですむようにしてほしいんスけど」
 放っておいていいと言ってるじゃないですか。と言うとわりと本気で怒られるから言わないが、倒れたってせいぜい一晩床で寝る程度の話なのだからわざわざ来なくていいのだ。来るなと言っても来るから黒子もなるべく限界前にベッドに入るようにしているけれど、昨日は水を飲もうと立ち上がったところですとんと力が抜けてしまった。黄瀬が来るのは黒子が限界を迎えたあとの深夜近くだから、ある種不可抗力だ。
 普段は血など一切飲みたくならない黒子の、早々に消えてほしい吸血鬼の習性が目覚めるのは朔の晩だけだ。朝からぼんやり空腹で、太陽が落ちた頃から飢餓感が強くなる。それ以降は何をどれだけ食べても満たされない。身体は血がほしいと訴える。でも黒子はほしくない。
「倒れても飲みたくないって、本当にそんなまずかった?」
「まずかったです」
 答えると、分かっているくせに不満げな顔をする。どうやら認めたくないらしく、たびたび聞いてくるのだ。
 黒子は黄瀬の血を、一度だけ飲んだことがある。飲んだと言うと舐めたの間違いでしょと突っ込まれるが、舐めたものを飲んだのだから飲んだのだ。まだ黄瀬が黒子っち、などという変な愛称で呼ばなかった頃だった。
 冷蔵庫に残っていたトマトスープで黄瀬はミネストローネを作ったらしい。ベッドまで運んでくれたそれを口にすると、温かさと野菜の甘さがじんわりと染みこんでくる。脇に移動させた椅子に座ったまま、いまだ不満そうにしている黄瀬に言う。
「キミの血が特別まずかったとは言ってないじゃないですか。ボクは全般的にあの味が苦手なんです」
「フツーの奴らと変わんないってのが納得いかないっス。オレなのに」


サンプル2


 生きてはいるんだろう、微かだけれど胸は上下している。でもかろうじて、の域に見えた。とにかく身体の冷たさが怖かった。――そう、怖かったのだ。焦った。だからいつの間にか彼の身体を擦っていた。触れていないところがすぐ冷たくなるから、抱き起こした上半身を抱きしめた。こちらの体温まで奪われそうな冷たさだった。すると、彼の口から微かな呼気が聞こえた。見れば、うっすらと目を開けている。ぼんやりしているが、黄瀬を認識しているように見える。
『オレのこと分かる? この間会った……』
 そこまで言って、名乗ってないことに気づく。彼の名前は、噂を聞いて回っているときに聞いた。黒子テツヤというのだ。しかし今は自己紹介をしている場合ではない。
『アンタほんとに血飲めないんスか? 腹減ってそうなってんでしょ』
 しかし反応はなかった。それどころか、目蓋が落ちそうになっている。待ってほしい。また冷たくなられると困る。このままもし……、なんて考えたくもない。そんな目覚めの悪い経験はしたくない。
 焦り、逡巡し、迷ったが、黄瀬はその場で牙を出した。滅多に出すことはないけれど、本能だから忘れることはない。尖った先で、自分の指先に小さな穴を空ける。滲んだ血を、彼の口元に運んだ。それなのに、今の今まで意識を手放そうとしていたくせに。
『……きらい、です』
『嫌いとか言ってる場合じゃないっしょ!』
 か細い声で返されて、黄瀬の方がキレそうだった。自分の血がどうこうより、真っ青になって倒れてなお、嫌いだなんて言っている。
『飲んで。つーか、舐めるくらい我慢して』
 舐める程度で回復するとは思えないけれど、まったくないよりマシだ。黄瀬の血は普通の血じゃない。古い血を分解し、生きている人間から吸うのと同じ新しい血を作ることができる。少しでも身体に入れば、多少は血液が増えるはずだ。
『っ、う』
 青くなった唇にそれを塗ると、ろくに動かない身体で逃げようとする。断固として口を開こうとしない態度に、ふつ、と黄瀬の頭の中で何かが切れた。顎を掴み、顔を寄せ、唇と唇が触れ合うほどの距離で最終通告をする。
『舌で口ん中捻じこむっスよ』
 そこで彼は、もがくのをやめた。薄く開いた口から、舌が嫌々伸びてきた。ちょび、と赤い液体に触れる。思いきり眉を顰めたが、彼は一応舌を口の中にしまった。が。
『あっ! 吐くな! 吐いたらもう一回っスよ!』
 黒子はぐぐぐと動物のように唸り、黄瀬の服をぎゅうと握りしめた。反射で黄瀬も黒子の身体を抱き返した。楽に腕の中に収まった小さい身体は震えていた。
『飲んで。大丈夫だから』
 必死に言い聞かせ、背をさすり、抱きすくめてやると、ようやく喉が動いた。ごくり、と聞こえたそれに、あんなに安心したことはなかっただろう。黄瀬の血が入ったからか、それとも抱きしめているからか、黒子の身体も温まってきた。全身の強張りも解けてくる。これまでの記憶にないほどの達成感だった。お互いに安堵の息を吐いた、その、ほっとしたところで。
『……まずい』
 ひく、と黄瀬は頬を引き攣らせた。自分のこの濃い血を、金を払ってでも欲しがる奴らがいるというのに、ゲテモノ料理でも食べたような反応をされた。腹が立ったから放り出してやろうと思った。
 思ったのに。
『寝たし……』
 まずいなんて失礼なことを言い放って、そのままぐっすり眠ってしまった。落ちた、という方が正しいのかもしれない。ここまできたら仕方ない、と彼をベッドへ運び、黄瀬はソファを拝借することにした。脚を曲げて横になり、両腕を宙に浮かせてみる。明日には、彼の体重は元に戻るのだろうか。
 ついさっきまでここで一騒動あったのが嘘のように、家の中は静寂に満ちていた。
『月イチならまあ、我慢できるかもね』
 言ってしまったことは戻らない。あれほどの馬鹿な発言はなかった。
 知らなかった、想像もできなかった。傲慢だった。
 目を閉じてもすぐに開いてしまった。腕の中の冷たさと軽さがいつまでも消えなかった。




サンプル3


 牙を立てられた場所は、とてつもなく感じやすい。
 きせくん、と制止する言葉も出せないうちに、唇でそこを吸い上げられた。魚のように跳ねたのを黄瀬の腕に抱き留められ、繋がったままベッドに押し倒される。金色の髪が黒子の額にさらりと触れた。形のいい唇は尖っている。
「狸寝入りしたバツっスよ」
「ちが、や、やだ、もうやです」
「ほんとにやだ?」
「あ……、ん、やだ……、や……ぁ」
「……気持ちいいもんね」
 だからヤなんスよね。そう続けられたときにはもう力は抜けていた。唇で柔らかく食まれ、尖らせた舌で擽られる。いたずらに歯を立てられて、もう何も出ないはずの性器から、とろりと液体が滲み出た。貫かれた瞬間が蘇る。
 つぷ、と牙を立てられると、黄瀬に指で身体を開かれるのと似た感覚が走る。貫かれる前に舌や唇でたっぷりあやされているから、痛みはない。内側から熱が浮かんで、そこが熱いことしか考えられなくなって、なんとかしてほしくて黄瀬の身体を引き寄せてしまう。だから快楽的な刺激しか黒子には生まれない。普通に身体を繋げるのと違って吸血の方は酩酊させる力があるから、簡単に理性を飛ばすし、身体に熱が籠もり続ける。自力で解放するのは難しい。
「黒子っち、口開けて」
 唾液で濡れた牙のあとをぬるぬると撫でられただけで、息はもう上がっていた。何をされるか分かっていても口を開けてしまう。満足げに笑った黄瀬が、夜は金色に光る目を細めながら黒子の唇を塞ぐ。
「ん、んん……っ」
 舌を絡ませ、唇を乱暴に合わせながら、ゆさゆさと身体を揺さぶられる。指先が噛み跡をひっかくたびに精を出さずに極まった。身体をびくびくと跳ねさせながら黄瀬を締め付け、苦しさにしゃくり上げたらようやく口が解放された。ごめんね、もないまま再び両腕を掴まれ、強引に身体を抱き起こされる。
「――――っ」
 黒子の中いっぱいに張り詰めていたものに思いきり奥まで貫かれ、頭が真っ白になった。首筋に噛みつかれていたと気付いたのは、自分が震えながら薄い精液を吐きだし終わってからだった。ぽたぽた落ちる涙を黄瀬の唇が掬っていく。


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