「こんな時間までここにいていいのか?」
「一緒に来たら良かったのに」
そしたらアタシチャームかけてもらったわ、と言うシーニャへ、もうかけてはくれねえだろ、つうかごめんだぜ、と豪快に脚を組むマリアが返す。そう言葉を交わしたあと二人は揃って、で? とこちらへ視線を寄越した。何だか当然みたいに受け入れられてるな、という意味もひそりと籠めて、ドラルクは肩を竦めた。
「あんなうるさいのを連れてきたら楽しさ半減だからね。二言目にはやれ口が悪いだ行儀が悪いだ、誕生日だろうとお構いなしなのだよ」
今年の十一月二十八日――ドラルクの誕生日は、ロナルド退治人事務所ではなくギルドで誕生会を行うこととなった。例年事務所で日がな騒ぐか、行く先々で騒ぐかのどちらかだったが、今年は事前に相談があったのだ。ロナルドと言い出したものをヒナイチが代弁する、という形で。要約すればこうだった。
ノースディンがこんなポンチ市内に越してきたのはお前のためだというのに、誕生日までお前がここにいたんじゃいくらなんでも報われない。
誕生日まで、というのは、普段からドラルクは事務所にいる時間が長く、ノースディンとの同居が始まったわりに新居にあまりいないからである。理由はロナルドの食事とヒナイチのおやつ等々があるからで、すまないが助かっている、いつもありがとう、と改めて礼を言われた。この辺の素直な会話はドラルクとロナルドには難易度が高いので、ヒナイチを巻きこんだものと思われる。
誕生日だろうと何だろうとドラルクは自分がいたい場所にいるし、寝るときはノースディンとの家に帰るのだから、別に良くない? と思うのだが、恋愛への憧れがある童貞ゴリラは、誕生日やクリスマスは恋人とデートをする日、と思い込んでいるのだ。若造が変な気回してんですけど、どう思います? とノースディンに聞いてみれば、お前の誕生日だ、お前の好きなようにしなさい、とあっさり言われ、ですよねえ、となった結果、ギルドでの生誕祭開催となったわけだ。
「そんなにうるさいってんなら、余計一緒に来そうなもんだけどな」
「あのときここを乗っ取ったの気にしてるのかしら」
「そんな殊勝な心の持ち主ではないのだよアイツは。単に気取ってるだけだろうね。あーヤダヤダ」
「でも今一緒に住んでるんだろ」
「奴もちょこちょこ駆り出されてるし、始終一緒なわけではないよ。それでも嫌味と小言を寄越さん日はないんだからまったく――」
「うん、あれは愛情表現なんだと最近分かったぞ」
カウンターに横並び三人で交わしていた会話に、突然明るい声が混じる。マスターに飲み物を頼みにきたヒナイチだ。突然で驚いたのと放たれた内容に、軽く頬の端が砂になる。
「……えー、ヒナイチくん」
「確かに言い方は素直ではないが、良く聞いていればドラルクを思ってのことだと分かる。昔のことも良く覚えていて」
「ストップ。タイム申請します」
「却下です」
「続きをどうぞ」
ドラルクを見、タイムを却下した二人を見、そして促された言葉にヒナイチは素直にうん、と頷いた。愛情表現などという発言により、外野が地味に集まり始める。
「ドラルクもうるさいとは言うがやりあっているのも楽しそうで」
「楽しそう?? アレが??」
「必ず相手をするだろう」
「前のめりでな」
「オイ若造」
「てことはドラルクの話と合わせると、愛情表現がない日はないってことか」
「素敵ね〜」
「いやあのね」
「ない日があるのか?」
――ない日は、ない。
ないが、そんなことを口にした日にはこの会場が沸きに沸いてしまう。お冷やかしの対象が自分以外ならいくらでも焚きつけるが、自分となれば御免である。
「……いいかね諸君、あの男がここに来たときのえらっそうな、ムカつく態度を思い出してくれたまえ。そんな甘やかしいムードがあると思うか?」
――まあ、実際にはあるけども。
あるに決まっている。息を吸うように口説ける男なのだ。それが大本命のかわいい自分と住んでいる。そんなムードにだってなろうというものだ。
今まさに、そんなムードの象徴が自分の肩を包んでいる。マントで隠してはいるけれど、別に隠す必要もないのだけれど、もぞもぞしているうちにこうなった。もう少し自分だけで堪能したい。強いて言うならそんな理由で。
ドラルクの反論に、あの日のノースディンを思い出した者、特に男達は渋面になった。このまま逃げ切ろうとしたがしかし、またもヒナイチが真っ直ぐな瞳をドラルクに向ける。
「私はそういったムードのことはよく分からないが、いつも連れ立って帰っていくときのお前たちは仲睦」
「よーしヒナイチくんクッキーだ! そこのゴリラはいい加減に助けんか!」
手持ちのクッキーをひょいと投げれば目にも止まらぬ速さで口に運ばれ、笑顔とともにヒナイチの証言は止まった。どことなく遠い目でこちらを眺めていたロナルドはその表情のまま、壁掛け時計を指で差して見せる。
「……そろそろ帰ってやれば?」
「助けになってねえ……!」
「口が悪いとまた叱られるぞ」
「っ、そ、……ッ」
「おうおう、心配される前に帰ってやれば??」
普段よく喋るドラルクがノースディンに関しては特に語らないせいか、興味を持った面々が集ってきて大変に分が悪い。こうなるとジョンは拗ねモードに入るので味方はしてくれず、クラバットをしゃぶりながら膝の上で仰向けに寝転んでいる。
「ジョン、そろそろ首が、ていうか私さっきから前屈みでね」
「オイヌイシヌヌ、ヌンヌイヌヌン」
「もちろんそうだとも!」
二十八日の零時ちょうど、一番にお祝いの言葉とキス、プレゼントをくれたのはジョンである。ジョンを差し置いて、誰が一番になりえようか。
「おっさん二番だったのか」
「余計なことを言うなゴリ……」
「何番であろうと私は構わん」
姿を確認するより先に、聞こえた声にドラルクは固まった。
――来ないっつったくせにこのヒゲ……!
ドラルクだって一応、本当に一応声はかけた。しかし退治人と吸対職員と若手吸血鬼――シンヨコポンチどもの大集合である。来るわけがない。予想通りノースディンの返答は、遠慮しておく、だった。だというのに何故かやってきた己の恋人は、すれ違う女性一人一人に律儀に声をかけている。
「あれはいいの?」
シーニャに訊かれ、口を曲げながら答える。
「女性に声をかけないと死ぬ病でね。永遠の色ボケ吸血鬼」
「敬意という概念はお前には相当難しいようだな。二百年経っても身につかないとは」
「うっさいわ地獄耳」
「聞こえるように言っただろう」
やれやれ、と格好つけているが、シーニャから微妙に距離を取っているのはいつぞやの記憶があるからだろう。
「来ないって言ってたひとが……」
なんです、と言おうとして、扉を叩く風の音に気が付いた。
――過保護め。
しかしドラルクは夜の強風も、気温が下がることもしっかり認識していた。だから身につけてきたのだ、二番目にもらったプレゼントを。
「――雨雲が出てきたようですよ」
「へ」
カウンターの向こうからマスターに言われ、振り返る。視線が促すまま窓の外を見れば、確かに月明かりが消えていた。
「そろそろお開きとしましょうか。大事なものは濡らしたくないでしょうから」
――うーん、さすが。
いつものマントを巻きつけるふりをして、その下に羽織った一枚を胸の前へ引き寄せる。今日一日、外気の冷たさに死ぬことはなかった。ふわりと軽く、触れればなめらかな大判のストールだ。
帰宅組、パトロール組、まだ喋りたい組と分かれて散会となる中、すれ違う顔に挨拶をしながら外へ向かう。扉を開けた直後の強風は前に立つノースディンが防いだ。ホラ、ああいう感じなんだ、というヒナイチの声は、聞こえなかったことにした。
「なんだ、着ていったのか」
「いきましたよ、こういう日のためのものでしょ」
帰宅し、マントをハンガーにかけた自分がストールを巻いているのを見、ノースディンは意外そうに目を開いた。
「くれたひとが何です」
「いや、」
「ここで何かびっくりすることあります?」
今晩は寒くなる予定で、これは今日ノースディンからもらったもので、自分にとても似合っている。不自然なことは何もないだろう。ジョンと顔を見合わせたが、お互い疑問符が浮かぶだけだ。
「……切り替えたいものと思っていただけだ」
「……分からん。嫌か嬉しいかだったらどっちなんです」
「どちらかというなら後者だが」
「じゃあいいですけど」
何なんだ、と首を傾げると、ジョンが足元から話しかけてくる。
『お師匠のこれは長くなるやつだから、ヌンは先に行ってるヌ』
「えーめんどくさいなあ」
「私の話か?」
「お、ヒゲもジョンの言葉が分かってきました?……うん、じゃあおやすみジョン」
いい夢を、今日はありがとう、とキスをして軽く手を振る。最後にじっ、とストールに目を向けられたが、目を泳がせつつ笑って誤魔化す。
――やっぱりバレてたか。
そう、認めよう。これは浮かれた気持ちの表れである。マントの下に見えないようにこっそり巻いたのは、嬉しいからつけていっちゃいました、なんてうら若き乙女のやりそうなことを、このヒゲ師匠にバレたくなかったからである。結局すっかり見つかってしまったが。
『しばらく新調していないと思ってな』
夜明け前、ノースディンに渡された箱の中には、うっすら艶をまとった青いストールが美しくたたまれていた。海の底が微かな光を受けてゆらめくような、深く濃いブルーだ。
とろみさえ感じる布を広げると、ノースディンがドラルクの手から取り上げ、後ろへ回った。たっぷりとした布はドラルクの肩から背、胸を包んで、左肩の上で緩く留められた。ドラルクの身につける黒に溶けこんで目立ちはしないが、それでも黒ではない。青だと分かる。流れるドレープをノースディンの手が整えたときには、もう暖かさに包まれていた。
『似合うな』
口を開いたが、うまい言葉が出てこなかった。青で包んでおいて似合うなって、それって、等々いまいち巡らない頭を動かしていると、柔らかいストールの上からふわりと両腕を回された。意識するほどのことではないのに、何故かばっちり動揺した。
おかげで布とノースディンの感覚が対になってしまった。ストールを巻けば、腕の中にいるような――なんてことは、絶対口にはできないが。
ドラルクがやけに大人しいことに気付かなかったのか、言うほどのことでもないと思ったのか、ノースディンはどこか嬉しげな声のまま続けた。後ろから、耳元で。誕生日おめでとう、と。
――浮かれたってしょうがないと思うんだよね。相手はこの私なので当然の帰結であるとはいえ、嬉しいですよそりゃ。
愛情表現がない日はない、と言った通り、かわいい、愛おしい、という目線はわりと向けられる。でもノースディンが恋人の顔をすることはレアなのである。こればかりはまだドラルクも慣れていないため、不意打ちされると動揺するのが悔しい。
「気に入ったか」
――ハイ言ってるそばから来た。
まだ身につけたままのストールの上から、同じように抱き締められる。照れと嬉しさを隠すため、妙な渋い顔になってしまう。
――突然恋人ムーブかますなっつーの。いやいいけど。もう少し多くてもいいけど。
ドラルクの方が先に好きになってしまった。一度は諦めた気持ちだった。ノースディンにとっては困るだけのもので、もう会うことはないのかもしれないとまで思った。
だからノースディンからの「恋人っぽい」愛情表現は嬉しい。抱き締める、もその一つだ。子供の頃は無条件に与えられていたのに、修業に入った途端ほぼ皆無になったものの一つでもある。
「……似合うって言ったでしょ。アンタが」
「そうだな」
一緒に暮らしてみると、不意打ちは増えた。ノースディンの屋敷に泊まっていた間はそれなりに意識していたから、あまり驚かなかったのかもしれない。抱き締められて、耳の後ろに口付けられて、囁かれて、なんてことは、ドラルクの日常に紛れ込んではこなかったのだ。
「……ねえ、さっきの切り替えって、何だったんです」
立ったまま、ドラルクの首筋に軽い口付けを落とす男へ尋ねる。
「……お前のここでの居場所と、私は別物だと思っていた」
「何だそりゃ」
「私はあの場に馴染むものではないだろう」
「そうですね、馴染んでるアンタなんてクソ映画でも想像つかない……ていうか」
するならちゃんとしてくださいよ、と肩越しに振り返ると、待っていたかのように唇を塞がれた。そうじゃなくて、のひと言も言えない。
「……だから意外だった、という話だ」
「……仲間に入りたいならいつでもいいですよ」
「それは遠慮する」
「面倒なヒゲだな〜」
笑って言うと、ノースディンも小さく笑った。クローゼットの前に二人分の小さな笑い声が雨だれのように落ちる。くるりと回ったノースディンに正面から抱き締めれればそれだけでもう、心地良さに息が洩れるようになってしまった。
「誕生日、本当は私と一日過ごしたかった?」
「……言っただろう、お前の好きなように過ごしなさい」
「やせ我慢ですか」
「違う。……これから」
「んん?」
吹き出すのを堪えて顔を上げると、思いがけず穏やかな顔がそこにあった。手のひらが頬に触れる。
「この距離でお前の誕生日が祝えるのなら、半日譲るくらいは構わんさ」
「……欲がないですね、って言いたいとこですけど」
「ないわけじゃないんでな」
「んふふ」
譲るなんて、自分の方に元々祝う権利がある、自分のものだと言っているようなものだ。
「じゃあ来年は一日デートしましょうか」
どうなることだかな、と目を閉じる男を抱き返す。柔らかく暖かな布を挟んで。
来年は、いやもう次に気温が下がった日には、マントに隠さず上に巻いて出かけてやろうと決めた。これが愛の証です、という顔をして。
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