物足りないは百万年先
 
 ノースディンが毎回優しいのでもっとガツガツしてほしい意を述べていたドラルク。口が滑って物足りないなどと言ってしまい、ホオーー…とにっこり笑ったノースディンに、しまったと思ったけど後の祭りであった――のその後。

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「物足りないとは悪かった、では早速穴埋めするとしよう」
 そう宣言してドラルクを担ぎ上げ、広いベッドのある寝室へ向かった。それが二時間ほど前だ。ベッドに降ろしてからもしばらくは言葉の綾だとか何だとかわあわあ言っていたが、今ドラルクの口からは、言葉らしい言葉は紡がれない。既に三度ほど出させたため息遣いは荒いが、中に挿れたのはつい先ほどだから、まだ体力は保つだろう。
 とはいえ一度呼吸を戻させないと、息苦しさであっさり死んでしまうから小休憩の頃合いではあった。ドラルクの上に重ねていた上半身を起こし、根元まで埋め込んだまま薄すぎる下腹部を撫でる。そこからゆっくりと上へ肌をなぞっていくと、忙しない息の合間にも小さく身が震えた。
 いつもなら性的な触れ方はせずに待つのだが、今日は少しくらい加減を控えても許されるだろう。何せ本人がガツガツしろと言うのだ。息を整えたい最中、手の動きがそれを邪魔したとしてもそれがご要望通りというもので、ノースディンには責められる謂れなどないのである。
「……っ、いい、かげん、」
「何だ?」
「機嫌、なおしたら、どうなんです……っ」
 普段より血色のいい顔でこちらを睨むが、顎の輪郭をするりと撫であげればくすぐったそうに片目を閉じ、少し遅れて中が締まった。もう身体は僅かな刺激も拾うよう出来上がっている。
 ドラルクは喉奥で声を呑みこむと、自分の手に頬を擦り寄せてきた。やめろと言いたいのか縋りたいのか、どちらかは分からないが、その動きにいくらか機嫌が上を向く。
「私はお前の要望に応えようとしているだけだが?」
「……よく言うわ、怒りんぼへそ曲げ卿」
 自分の状況を顧みず、口が減らないこの性格は直らないらしい。しかし直る可能性が限りなく低くとも、直そうとするのが自分の務めである。なっていない口だな、と薄い唇を親指で押すと、ふん、という反抗的な態度で顎を上げた。
「口は災いの元だと、実感している最中だと思っていたが」
「あっ、ホラ見ろ、やっぱり怒っ……て、ん、っ」
 昂ったものを引く動きに、ドラルクが口を噤む。前立腺を掠めれば強気な眼差しは一転、悔しそうな、しかし色を乗せたものに変わった。非難の意もたっぷり含まれているが受け流し、身体を内側から揺すり上げる。
 弱い箇所を分からせるようになぞっているが、強くしすぎると達した直後に塵と化すので、乱れすぎない程度の弱い刺激だ。しかし狭い内側にすっかり馴染んだ熱の塊で、絶えずそこを押し続ければ、ドラルクの視線は混乱するように揺れ、また胸が忙しなく上下し始める。
「っ、ぅん……ッ……ぁ、あ……っ」
「こら、力を入れすぎるな」
 手はシーツをきつく掴み、肩も後ろへ強く押しつけて、身体が上りつめるのを堪えようとしている。まだ悔しがっているらしい。しかし中が収縮する間隔は次第に短くなり、逆に絡みつく時間は長くなっている。この状態で中を大きく擦るとドラルクは達しやすく、ノースディンとしても大変気持ちが良い。自然と動きが速くなるが、もちろんドラルクが耐えられなければ意味がないので、ある程度は抑えながらになる。しかしその忍耐は、少しの嫌も苦もないのだ。何故ならその間、まったく素直でない弟子の素直な表情が見られるのだから。いつもの達者な口ではなく、必死に自分を見上げて訴えてくる目がノースディンにはかわいく見えて仕方がない。
「ぁ、……っ、あ、ちが、ちがう……っ」
「違う?……ここか?」
「ッ、そ、じゃな、ア、ッ……――っ」
 入り口を強めに擦ると、背を反らせたドラルクの目の縁がじわりと濡れた。快楽に呑まれそうなとき涙が滲むのはよくあることで、だから今もそのせいだと、達するまでそれを続けようとした――のだが。
 ――ん?
 ノースディン自身の額にも浮かんでいた汗を拭いながらそれを見つめていたとき、ふと軽い違和感を覚えた。確かに熱が高まると同時に涙の量は増えるが、溶ける寸前の表情とどこか違う。
 ――「違う」? 何が違う。
 気付いた瞬間、身体は自動的にびたりと止まった。
「…………」
 よし聞こう、全面的に聞こう、この点に関しては私が悪かった、かもしれない。――という意の沈黙と静止である。ホールドアップに近い。
 様子を窺い、微動だにせず反応を待っていると、身体の熱を持て余しながらも弟子兼恋人はううううと唸った。セックス中に子供が駄々を捏ねるような唸り声はどうかと思うが、己の口はそれを嗜める言葉を紡いでくれない。むしろ骨の浮いた背に腕を回すようにできてしまっている。私が悪かった、か? と耳元で問い返事を待っていると、ようやくドラルクが落ち着いた息を吐き出した。
「……やっと聞く気になったか、導火線マイナス五センチヒゲ」
「そう思うなら火をつけるな。それで? 何がお気に召さないんだ」
「…………結局、少しもガツガツしてない」
 言われ、この二時間ほどを振り返った。何か見落としていないかもう一度振り返り、最終的に首を捻った。
「……そうだったか?」
「これじゃいつもと同じだろ」
「同じか??」
 ――いやもっと優しくしてるだろうが。
 だいぶ大きな疑問符が浮かんだが、おそらく今の問題はそこじゃない。顔を合わせ、濡れた目の縁を拭ってやると、ドラルクはぎゅうと目を瞑って追加で涙を絞り出した。ついでに拭かせようというのである。横着ものめ、と思うのに、拭ったら拭った分だけかわいいように感じるのだからどうかしている。
「私が言ったのはガツガツで、ネチネチじゃない」
「……擬態語で説明するな」
 それにネチネチなどしていない、と訂正したが、口をへの字にしているドラルクの耳から弾かれたのが見えた。イメージとして。
「ガツガツっていうのは……つまり、アンタが私にのめり込んでるのが見たいんですよ」
「…………」
「……何言ってんだコイツって顔するな」
「……してない。のめり込む、の意味を確認していただけだ」
「悪かったなのめり込めなくて」
「……いや、お前な」
 ――「のめり込む」だ?
 この、何となれば数分で済む行為を、二時間も三時間もかけてしている自分に「のめり込むところが見たい」とは。いくら死にやすくともチャームを使えばもう少しは簡単なものを、手や身体や声だけで慣らしているのはどういう意味だと思うんだ。大体お前ガツガツのガで死ぬだろう、塵になったお前より私の心臓の方が縮むんだ通算何度縮んだと思ってる――とつらつら流れ出した思考を止め、まだふくれっ面の弟子を見下ろす。
 とはいえドラルクだってノースディンの真意は分かっている。ただ、自分に余裕があるのが面白くないのだ。恋人になろうがどんな関係性だろうが、自分の優位に立ちたがる。三つ子の魂ならぬ十五の魂である。まったく張り合いのある、と苦笑するが、苦笑にしては苦みが少ない。
 勝ちたがりのくせに甘やかされたがりの、二百何歳児の髪に指を通す。耳の上から小さく梳く動きを繰り返せば、への字を描く唇の角度が緩くなった。
 ――……まあ、今なら少しはできるか。
 結果ノースディンはまったく悪くなかったわけだが、それでもべそをかかせた分と思えば致し方ない。
「……お前がそういうなら善処しようか」
 言うと、目がぱっと輝く。
「それじゃあ具体的に教えてくれ。どうするとのめり込んでいるように見えるんだ」
「え?」
「これでものめり込んでいるつもりなんでな」
 言うと、え、とまた呟いた。ぽかんとした顔で目を瞬かせる。たとえば? と先を促しながら、乱れた前髪を整えて待つ。
「……えーと、やだって言ってもやめないとか」
「なるほど」
「もっとこう……、あれだ、力任せにするとか」
「ふ」
「……何で笑う」
「いや、分かった。それならもう一度だな」
「……何が?」
「疑問点はその場で的確に聞き返さないと先手を取られるぞ」
 そう教えたし、頭と口だけは回る弟子なのでその点はクリアしたが、自分と身体を重ねているときだけはその成果が活かされない。小言を言っておきながらそれに満足を覚えるのは、自分に翻弄される姿が見たいからだ――なんてことを、ノースディンが考えているとは思わないのだろう。
「――あ、ちょ、っと」
 腰を押し上げ、中に入れたものを奥深く沈める。ベッドから僅かに浮いた上半身に両腕を回し、繋がりが深くなるよう引き下ろすように胸に抱くと、震える息が肌にかかった。強くはせずに数回奥を揺らして、深い場所まで満たしてやれば、上りつめる直前だった身体は甘えるように自分に絡みついた。尻尾を巻きつかせてねだる猫のようだ。
「さっきは途中だったな」
「っ、だから、これじゃ」
「このあとだ」
 そう言って性器に触れれば、喉の奥から声が洩れた。四度目ともなればほとんど出すものはないが、身体は解放を望む。そのときはどうしたらいいか、もう覚えているはずだ。
「ドラルク」
「……それ、したら……っ」
「お前今日はまだ体力あるだろう」
 普段はドライでいくとその後ほとんど身体がもたない。が、今日はそんなに深い快楽を与えていないから何とかなるはずだ。ドラルクはぜえぜえ言っているがノースディンはこの二時間、特に前半はくすぐってかわいがってスパイス程度の意地悪をしたくらいだ。
「ほら、すぐだ」
「すぐって、……ぁ、あ、や――――」
 半ば立ち上がっているそれを包んだ指で下から擦り上げ、中の膨らみを何度も押し潰してやれば、やだ……と弱くて甘い声が洩れた。軽く唇を啄み、奥の奥をこじ開けるように自身の先端で押すと、ひ、と泣きそうな声を上げたあと身体を大きく跳ねさせた。いき方は覚えたがまだ慣れていない。なかなか絶頂から降りられない身体と意識が戻ってくるまで時間はかかるが、撫でる手に合わせて全身から力が抜けてくればもう大丈夫だ。こちらを見上げる目の焦点は揺れ始めている。
「……いつもはもう少ししてからだがな」
「……?」
「後から文句は言うなよ」
「……なん、の」
「お前が言う、ガツガツというやつだ」
「……――――っ」
 上半身を腕にしっかりと抱き、入り口を強く擦りながら奥まですべてを押し込んだ。ドラルクの目が見開かれ、次いで瞳の膜が潤み、中がきつく締まると同時に体温がぶわりと上がった。衝撃から少し遅れ、微かな声を漏らした唇に触れ、息を、と呼吸を促す。
 こんなことは、ドラルクの身体が完全にノースディンを受け入れていなければ到底できない。思考だって溶けかけていなければ、この衝撃や強さに驚いたり、まして怖いと思われたらそこで塵となって終了だ。だから本当はもう少し意識が曖昧になってからがいいのだが、そうすると記憶に残らないようなのでやむを得ない。
 抱いた身体のどこも、髪の先も指先ひとつも砂になっていないことを確認し、声をかける。
「……平気か?」
「…………ぁ、」
 普段よりも強く奥を突かれた衝撃からだろう、揺れている瞳には快楽と不安が浮かんでいた。顔の両脇を手のひらで包み、唇を重ねて、ゆったりと舌を絡ませる。身体の強張りが解ければ何とか続けられるはずだ。
「今のは大丈夫だったな? 続けるぞ」
「……っ」
「ほら、掴まっていろ」
 大丈夫だ、と囁いてまた腰を引く。ドラルクが快楽を追いやすい、衝撃を抑えた動きとは違う。入り口も中も最奥も、ノースディン自身を強く擦りつけ、重みをかけ、どんなものが自分の中を出入りしているのか刻みつけるような抱き方だ。身体もいつもより格段に大きく揺れるから、震動やシーツとの摩擦で死なないように背や肩を守る。
 水濡れしたような音をドラルクの喘ぐ声が上書きする。耳に入るそれはうっかりすれば陶酔するほど、必死でかわいげがあって悩ましい。苦しさや怖さの響きはなく、縋る声音はノースディンがしっかり身体を抱いてやっていれば問題ない。――そう、経験則で分かっている。ドラルクの知らないことではあるが。
「ッ、ア、あっ、や、やだ、ッん、ま、待っ、……ッも、わかんな、く」
「嫌でもやめてほしくないんだったな?」
 聞くと、目を歪めて泣きそうな顔をする。頬を撫でてやっている間だけ息継ぎの時間だ。忙しない呼吸はさすがにすぐには落ち着かない。
「……本当にいやか?」
 小さな赤い瞳は、何か訴えるようにこちらを見つめ続けている。身体も思考もまともに動かせないドラルクが怖がることをするつもりはないのだ。訊ねると呼吸の合間に、途切れ途切れに言葉が返る。
「……やじゃ、ない、……けど、しぬ……」
 それについ、ふ、と小さく噴き出すと、なんだよ、と拗ねた口調で聞き返された。
「大丈夫だ、これくらいなら死なない」
「……なんで分かるんだ……」
 だって私もう死にそうなのに、とドラルクが言う。髪もめちゃめちゃだし、と言い足すのにまた笑った。やっぱりまだ余裕があって、まだ少し早い。
「まあ、そうだな。お前が考えるのを全部やめたら、の話ではある」
「?」
「来年くらいには、意識がある間でもできるようになってるかもな」
「……それって」
「お前が飛んでるときには、私もガツガツしている、ということだ」
 言わんとしていることを段々と掴んできたらしい。笑って答えると、ドラルクは目も口もぽかんと開いた。
「――ずるいだろそれ……!」
「それ以外だと死ぬからだろう。さて、再開の時間だがどうする?」
「……どうって」
「まだ『ガツガツ』されたいか?」
 滲んだ汗を拭われながらドラルクは悔しそうな顔で口を結んでいたが、しかし不意に、血色のいい頬をニヤリと持ち上げた。
「師匠こそできるんですか? 私が死んじゃうのに」
「……口が回るようになったな、この状況でも」
「やられっぱなしのドラドラちゃんじゃないんですよ」
「それなら、もう一時間かけて飛ばしてやろう」
「ッ」
「まだまだ甘いなドラルク」
 きーー、と腕の中で悔しがる弟子の身体を再び揺さぶる。強すぎない、いつもの速度、いつものリズムで。落ちる寸前のドラルクが、自分の名を呼んで腕を伸ばしてくるまで。そこで終わりにするか続けるか、ドラルクをどうかわいがるかはまだ自分しか知らない。
 甘やかそう。かわいがろう。ついてこられるまでいくらでも待とう。
 けれど物足りないなんて、百万年早いのだ。