黒子飴 [ 1 ] |
「は?黒子っちが?飴ん中入ったあ?」
黄瀬は耳に当てていた携帯を離し、思わず胡乱な顔で見つめた。離してもスピーカーからは相手の声が聞こえる。 「火神っちとうとう暑さでやられちゃったんスか?大丈夫?」 『むしろ暑さのせいにしてーよ。つうかオマエが来ないならこっちで溶かすけどいいんだな』 「……溶かす?」 『たりめーだろ、飴ん中から出さねーと声も聞こえねーんだよ』 「待って、どうやって溶かすつもりっスか」 『飴なんだから舐めんだよ』 「……火神っちオレに末代までたたられたいんスか」 飴の意味は分からないが、黒子と名のつく何かが自分以外に舐められるなど、それこそありえない。 『だから連絡してんだろーが!!』 きん、と耳に突き刺さった大声に顔を顰め、黄瀬は今から行くっス、と答えて電話を切った。 ちょうど試験期間で部活は休みだ。来いと言うのなら喜んで行く。 (誠凛も部活休みならマジバでゆっくりできるっスかね) 何か用があって、冗談で呼び出しただけだろう。黄瀬はそんな呑気なことを考えていた。 目の前に、飴の中に入った黒子の姿を見るまでは。 「……なに、え、なにこれ」 透明の丸い飴玉。ビー玉ほどの大きさの球体の中に、制服を着た黒子が立っている。両手を窓につくようにして、こちらを見つめ、口をぱくぱくと動かしているが、声は聞こえない。 誠凛の監督のハンカチの上に置かれた飴玉を、黄瀬はつついてみた。ころんと転がって、黒子の身体も飴と一緒に転がる。 「なにこれ」 横に立つ火神を見上げると、黒子だろ、と答えが返ってくる。もう一度飴を見ると、ひっくり返った黒子が前転の要領で体勢を整えていた。中で動けるらしい。起き上がり、黄瀬を睨む。 「……黒子っち?」 飴の中の黒子は、何か喋っている。口の動きを観察してみたけれど、飴玉に入った黒子の口は、ビーズのような小ささだ。さっぱり分からない。 言葉が黄瀬に伝わらないと分かると、黒子は不満そうに口をへの字にした。 「これ、本当に本物の黒子っち?」 「本物がどこにもいねーんだ。とりあえずそう思うしかねえだろ」 体育館の隅で、火神他誠凛のバスケ部員たちは一様に頷く。 「黒子っちー。ねえ、ほんとに黒子っち?」 飴の中に話しかけると、小さい黒子は頷いた。 「どうして飴ん中入っちゃったんスか」 首が横に振られる。 「そん中で息できる?」 こくりと頷く。 「中から出られない?」 黒子の手が飴を内側から叩く。飴は少しも動かない。 「イグナイトも?」 再び首が縦に動いた。もう試したらしい。 黒子が動けるのは身体の周囲までらしく、飴の外側一ミリ程度は壁のようになっていて、表面まで手は届かないようだ。 飴のてっぺんに、細い指先が触れた。誠凛の監督の爪が、こつこつとそれを叩く。 「さっき天日干しにしてみたんだけどね、飴が溶けるより先に黒子君が伸びちゃってだめだったのよ」 「え!」 「水戸部が気付いて良かったよな〜」 「ちょっと!何てことするんスか!」 「ひえぴた当てたらすぐ戻ったわよ?」 「そういう問題じゃ……」 「ということで黄瀬君、あとよろしく!」 にこ、と笑った監督が、首から下げていた笛をピッと鳴らした。は、と黄瀬は目を見開く。 「はーいみんな練習戻るわよー!」 ういーす、と口々に出てきた返事とともに、集まっていたメンバーはぞろぞろとコートへ戻っていった。そういえば全員制服から着替えている。黒子は飴の中から見学だったらしい。 「ちょっと待った!なんか他に情報ないんスか!」 「無え」 「オレだってどうしたらいいか分かんないんスけど」 「だから、飴だって言っただろ」 「…………それって」 『飴なんだから舐めんだよ』 「それって、あの」 飴の中を見ると、黒子は口を引き結んだ渋い顔でうなだれ、肩を落とした。 聞こえない溜息が聞こえるようだった。 ◇ 飴入り黒子を連れて帰ることを許された黄瀬は、飴が割れないようにハンカチで包み、自宅へ帰った。 台所から持ってきた一番小さい小皿の上に包んできたハンカチを広げ、そこをひとまず黒子の定位置とする。 「黒子っち大丈夫?」 黒子は大分疲れた顔をしていたが、一応頷いて見せた。飴が転がれば黒子も転がる。黄瀬の歩く振動ももちろん伝わる。 最低限転がらないように飴はハンカチごと筆箱に納めたが、自宅までの道のりで、おそらく相当揺れただろう。 本当は手で持って帰りたかったが、何せ飴である。丸いし滑るし、落として割れるのが怖い。意外と割れたら桃太郎のように出てくるのかもしれないが、飴と黒子がどこまで一体なのか分からない以上、雑には扱えない。 飴が揺れないよう、とんとんと指先で叩いてみる。黒子は球体の内側から黄瀬の指を見上げた。小さな拳がまたノックするように、飴の殻を叩く。 「うーん、こっちには伝わらないっス」 外から中には、振動も音も熱も伝わるのに、内側の動きはさっぱりだ。 黒子の口が動く。 「うう、分かんないっス」 ごめん、と言うと、黒子は特に気にせず、黄瀬を見上げながら飴の内側をひっかいた。そして黄瀬の顔を指差す。 「……オレがひっかいてみるってこと?何かで削るとか?……なんか痛そうじゃないスか?」 どうでしょう、という風に黒子は首を傾げた。今一つ気が乗らないが、試しに定規の角を当ててみた。飴を三本の指で固定させ、軽く動かしてみる。削れるどころか傷もつかないが、黒子はぱっと両手で耳を押さえた。 「あっ、やっぱ嫌でしょ!」 どんな音がしたのかは分からないが、やはり却下だ。ということは、割るのも不可である。黄瀬に聞こえないような音ですら黒子には不快なら、ばりん、などと鳴ったら気絶してしまうかもしれない。 黒子は耳から手を離し、はー、と中で息を吐いた、ように見えた。飴を支えている黄瀬の中指に寄りかかるようにして、体育座りになる。 「オレがこうやって触ってるのとかは平気なんスか?」 誠凛でもよく指や爪でつつかれていた。転がさなければ嫌そうな顔はしていなかったが、音はしなかったんだろうか。 座ったまま、黒子は口を動かした。 (あ、それは分かる) 大丈夫です、だ。 体育館で倒れている黒子とよく、「黒子っち大丈夫?」「大丈夫です」のやりとりを繰返した。それだけは口の動きで察することができる。その会話は、今も体育館以外のところで続けているのだし。 指の温度で飴の中が暑くならないか心配だが、黄瀬の触れているところに寄りかかっているということは問題ないのだろう。 日光は不可、削るのも割るのも不可、指でちょっとつつかれる位は問題ない、ということが分かった。が、それではいつまで経っても飴は溶けない。 「……黒子っち、やっぱ手段が限られてきちゃったんスけど」 言うと、黒子は座って安らいでいた顔をむうと顰めた。 「舐めていい?」 黒子は難しい顔で少し悩んだ後、頭の上で両手を交差させた。不可、のバツである。黄瀬が口を引き結びじっとり睨むと、ふい、と横を向いた。粒ガムみたいなサイズなのに、気の強さも意思表示の明確さも常と変わらない。 「……オレが変なことすると思ってるんスね?」 話しかけても、こっちを見ようとしない。えい、と飴の向きを変えると、小さい上半身が慌てたように揺れた。無理矢理正面を向かされた黒子は悔しげにしていたが、すぐに深々と頷く。 「あのね、今のサイズの黒子っちにそんな気起こすわけないでしょ」 まったく心外、と声に乗せて言っても、黒子の視線は冷たい。いやいやどう考えても何もできないから、と黄瀬は案外冷静に思っているのだが、信用がないらしい。そう考えると、だんだん腹が立ってきた。 (そりゃ、等身大ってんなら話は別っスよ?) それなら間違いなく変な気を起こす自信がある。どうせならそっちでお願いしたかった。大体そんなに嫌がるのがひどい。黄瀬が変な気を起こしてもいい間柄である。 (つーかね、舐めてないとこなんかないっスよ黒子っち) 口にしたら最後、しばらくの間電話の着信もメール受信も拒否されそうなので決して言わないが、顔に出たらしい。不穏な空気を感じてか、黒子は座ったまま、じりりと後ろへ下がった。 「ほんとに信用ないっスねー……、ていうかもしかして」 飴を手のひらに乗せ、目の高さに上げる。頬杖をついた姿勢で、黄瀬は意地の悪い感じで笑った。 「黒子っちの方が変なキモチになっちゃうのが心配だったりして」 きょと、と大変かわいらしく目を開いた黒子は、すぐに冷気を伴う笑顔になって立ち上がった。ついさっき後ずさったことなど微塵も感じさせない迫力である。 (さすが黒子っち) 黄瀬は挑戦的な笑顔を何とか保ちながら思った。ちょっと怖い。 元に戻ってから誠凛出禁とか言われたらどうしよう。 しかし今は黄瀬も怒っているのでそれは表には出さないでいると、黒子は口を動かした。三つの文字を一つずつ区切りながら発音しているらしい。 「……お?」 口の形は全部が「お」だ。黒子は腕を大きく動かして、文字を書いて見せた。胸を反らして黄瀬の返事を待っている。 黄瀬は笑った。彼の言葉は間違いなく伝わった。 ど・う・ぞ、だ。 >> 続 |