黒子飴 [ 3 ]
 自分の身体が急に形を失って、どこかへ押し流されたような感覚だった。目眩がしただけで衝撃はなく、妙に光が眩しくて腕で目を覆っていた。その腕の上から、名前を呼ばれる。

「黒子っち、黒子っち!」

「…………黄瀬君?」

 腕の隙間から、薄目を開ける。黄瀬が顔を見ようとしてくるが、とにかく眩しくて腕が外せない。腕を掴む手が離れ、それからふっと部屋が暗くなった。明かりを消してくれたらしい。

「黒子っち、どっか変なとこない?溶けてない?飴じゃない?」
「……質問は、一つずつお願いします……」
 あとあついです……と訴えると、制服のボタンが手早く外された。どうやら手で扇いでくれているらしいが、一向に涼しくないのでエアコンをつけてほしい。が、人の家でそこまで言うのもどうかと思っていると、意を汲んでくれたのかピッとリモコンの音がした。
 ようやく部屋の明るさ――電気は消した状態だったけれど――に慣れてきて、普通に目を開けられるようになってくる。外はもう日が落ちているらしい。日射しの気配が部屋にはない。

「黄瀬君……」
「うん、大丈夫?」
「……」
 心配で心配で堪らない、という黄瀬を見上げ、黒子はとりあえず拳を握り、肘を引いて、腹に一発めりこませた。ごふ、と盛大な咳が洩れる。
「なんで!?」
「胸に手を当ててようく……ボクのじゃないです、キミのです馬鹿ですか」
「ちゃんと生きてる……」
「そりゃ……生きてますよ……」
 人生の終わりを考えるにはまだ早いが、とりあえずあんな終わり方は嫌だ。
 黄瀬が胸の上に頭を乗せ、上半身に腕を巻きつけてくる。暑い。

「何だったんスか一体……」
「ボクが聞きたいです……」
「黒子っち、ほんとに大丈夫?」
「……喋れる程度には」
 でも身体が熱くて重い。身体の芯に熱が残っている。息を吐いても吐いても楽にならない。原因は一つしかない。
 これでは黄瀬にからかわれたことが図星だったようになってしまう。こんな風になるとは、本当に知らなかったし思わなかったというのに。
(大体何で飴になんて……)
 飴に入る前の最後の記憶は、体育館横の水飲み場だ。暑さに身体が火照っているのに水がぬるくて、太陽を恨めしく見上げた。眩しい、とごく当たり前のことを呟いてからの意識が怪しい。プールとか、何でもいいから冷たい水の中に入りたい、と思ったのが最後だった気がする。
 それはともかく、今はまずわだかまっている熱をどうにかしたい。けれど素直にそれを言うのも悔しい。
 どうしてくれよう……と考えていると、額に手のひらが当てられた。
「……あついです」
「熱中症じゃあないスね」
「ですね」
「水飲む?」
「後でいただきます」
 額から離れた手のひらが、背に回された。首元に黄瀬の笑う息がかかる。くすぐったい。
「りょーかいっス」



 どうせ知られる、と分かっていたこととはいえ、黄瀬の手がベルトにかかったとき、黒子は身の置き所のなさについ顔を反らした。既に濡れたものに触れられて、息を呑む。
 ふ、と唇に弧を描いた黄瀬はそれに口付け、吐きだしたものを手と唇とで拭っていく。
「っは……、……ぁ」
 いったばかりと言っていいはずなのに、熱の集まるのが早い。
 指先で先端の窪みを撫でられ、拭われたそばから新しく零れるものが黄瀬の指を濡らしてしまう。
「……最初から舐めちゃえば良かったっスね」
 こんな黒子っち見られるなら、と、先端に唇を触れさせながら話す。ふわりふわりと、花びらのように柔らかいものが不規則に、 ぬめるそこを撫でていく。
「それに飴が溶けて元に戻るんだったら、全部舐めちゃえば良かったっス」
「……っしゃべ、らな……」
「なんで?」
 優しく唇を当てられながら聞かれて、自分の性器が恥ずかしいほど反応したのが分かる。
「これ、気持ちいい?」
「っ……ん、」
 押しつけたくはないのに、腰が浮く。かわいいっスね、と唇で挟みながら言う黄瀬が、震えた腰を支える。

(くち、びる)
 あの唇だ。さっきまで、飴に入っていた自分を包んでいたあの、柔らかい。

 黒子が叩いても割れなかった飴の壁は、溶けるごとにどうしてか、外側からの刺激を中に伝えるようになっていった。舐められるのも、最初は平気だった。むしろ心地良かったのだ。黄瀬の指に後ろから支えられながら、柔らかくて温かいそこに、ずっとふんわりと挟まれていた。
 それに油断して身を任せていたら、いつの間にか雲の上にでも立っているように、身体の力を吸い込まれてしまった。飴はさらに溶け、黒子は全身を唇にくるまれたようになって、立っていられなくなった。

 黄瀬は飴をなめるときと同じように、軽く先端を含んでは、唇の内側でぬめりを広げていった。育ってしまった自分のものと対照的な柔らかさに煽られるが、熱は溜まる一方で発散できない。
「……も、きせく……」
 ふふ、と黄瀬は上機嫌な様子で笑った。それからぱくりと奥まで銜えると、唇を使ってぬるりとそれを引き出した。
「や、やぁ……っめ……!」
「いっぱい舐めた甲斐があったっスね」
「ん……、っあ、」
 濡れた指が、奥にぷつりと入ってくる。
「ここも、もう柔らかいっスよ」
「――あ、あ、っ……ん……ぁ……」
 指を中程まで入れられ、腰を浮かせていた黒子はそこで、糸が切れた人形のようにがくりと全身の力を失った。
 足の先から頭まで、身体の内側を黄瀬の指に撫でられているような感覚。
 指が進むたび、ざらりとしたものが耳の裏まで這っているような気さえする。力の入らないはずの身体が、勝手に跳ねる。
 黒子の身体はもう大分黄瀬に慣れていて、普段なら、指が入っただけでまるきり力を失うなんてことはない。意外そうに顔を覗きこんだ黄瀬はいくらか目を見開いて、それから無理矢理牙を引っ込めたような笑顔を浮かべた。広い手のひらが頬を包む。
「これじゃ、立てなくなるはずっスね」
「…………さ、な……」
「ん?」
 口元に近づいてきた耳に、途切れながら何とか伝える。動かさないでください。と。
 黄瀬は、するなと言えば余計にする。今も予想通り、微笑して目を光らせた。それでも本当に訴えれば。
「……ずーっとは無理っスよ?」
 彼は困った顔で笑うのだ。
「……できるだけ、ずっとで、」
「頑張れるとこまでっスー」
 口を尖らせながらそう答える、長い睫毛の象る目尻が、柔らかい。

 黄瀬は頼んだ通り指を動かさず、そうっと身を屈め、唇を重ねてきた。舌の先をぺろりと舐められる。
「っ……」
 飴を転がすときのように、力をこめず、舌先だけを下から優しく舐め上げられ、頭の芯がぼうっとした。口の端に唾液が滲む。
「ん……」
 それを舐められ、その舌がまた舌の裏や脇をくすぐる。部分的な刺激がもどかしい。口を離せば、下唇、上唇の順に啄ばんで、その表面を黄瀬の舌が濡らしていく。内側には触れそうで触れず、唇がまたぱくりと食まれ、ちゅるりと音を立てて離れていく。
 息を吸い込んだ口を、黄瀬に向けて鳥の雛のように開いていた。彼が小さく笑い、顔を傾けて近づいてくる。唇が深く合わさった。舌がぬるりと絡まり、口の中をゆっくりかき回す。
「ん、ん……」
 こんな自分はおかしい、と分かっているのに、その動きを追ってしまう。上顎を伝って戻ってきた舌にゆるりと絡められると、穏やかな気持ちの良さに涙が滲んだ。

「黒子っち、やっぱりまだ飴ん中いるみたいっスよ」
「……?」
「くち、気持ちいいんスね」
 ふわ、と唇が重なると、また意識がぼやける。抗いようがない。

「……っ、あ」
 きゅう、と突然舌をきつく巻かれ、ぞくりと全身に痺れが走った。それと同じ動きで、指が身体の中で半回転する。
「……っ!……きせ……っくん」
 黄瀬を睨むと、眉を下げて苦笑する。
「とろとろのままにしといてあげたいんスけど……」
「や、あ、あ……!」
 入っていた中指に沿って、薬指が入ってくる。
「そろそろ限界っス」
「っ、待……っ……」
 二本の指は入っただけで、まだ慣れていない。だというのにさらに人差し指を含まされ、三本の指がまとめて、ずるりと動かされた。
「――っ!」
 頭の中が真っ白になった。生温かいものが腹を濡らす。
 指は一度止まっただけですぐに動き出し、中を広げていく。抑えきれない声と、先端から零れる少量ずつの液体が身体を濡らし続ける状態を、必死で拒みたいのに嫌でも感じ、聞き取ってしまう。黄瀬には全部見えているのだろう。
「ぁ、あ、も……やだ、もう、い、です……っ、から」
「……いい?……ほんとに?」
「って、言って、ます……っ」
 凶暴な欲を目にも息遣いにも隠さないでいて、今更何をためらうのか、黄瀬は進みかねているらしい。
「……黒子っち今日、飴のせいでおかしいでしょ?」
「……何か、文句が」
 飴のせいもあるけれど、九割がた黄瀬のせいだ。じっと睨むと慌てて言い足した。
「そうじゃなくて!……入れたらあの、泣いちゃう気がするんスよ」
「……泣くかどうかなら、もう泣いてますけど……」
「う、うんごめん!えっとね」
 黄瀬は浮いていた涙を指で掬った。腕を回し、背中から肩をぎゅう、と抱く。そして耳元で囁いた。
「多分、本当に、泣いちゃう」
 それ見たらオレ止まんなくなるけど、いい?
「っ」
 腕の筋肉が硬く締まり、ぞくりと背が震えた。黄瀬が本気で力を出せば、嫌だと言っても自分はここから逃げ出せない。
 黄瀬がそうなることは滅多にない。でも過去に何度かあったそれを思い出せば、いくらか身体は竦み、でも甘いような痺れも起きる。
 すう、と黒子は息を深く吸い込んだ。

「……ボクばっかり、おかしくなるのはいやなんで」
「うん」
「だから、……キミもおかしくなるなら」

 黒子は数分後の自分に手を合わせた。多分彼岸を見るだろう。でも。

「好きにして、いいですよ」

「……っ」

(うわ)
 かっ、と重なっている身体が熱くなった。熱い熱いと言っていた自分より、黄瀬の体温の方が今では優に高い。

「……黒子っち」
「はい」
「腕、オレに回して」
 首にしがみつくようにすると、背中を抱きかかえられた。胸が触れ合う。鼓動が速いのはどちらか。どちらもか。
「ぶっ飛んじゃっていいスからね。黒子っちはちゃんとオレが捕まえとくんで」

 背を支えられて、黒子は悠長にもさっきまでのことを思い出した。
『飴は指で支えてるし』
 舌と唇とで大変なことになったけれど、黒子の入った飴を支えていた手はずっと、割れそうになっても半分になっても、取り落とすことなく支えてくれていた。
 ――今日は結局、飴の外に出てもこうなるらしい。

「……黄瀬君、」
 こちらを向いた黄瀬に、軽く頭を下げてみた。黄瀬の目が丸くなる。
「よろしくお願いします」
 飴の中にいるときと同じ言葉を言う。回された腕が強くなり、笑いの混じった声が返ってきた。
「任されたっス」
「はい」

 二度目のやりとりをして、あらためて、飴越しでないキスをした。






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