かんたんなこと [ 1 ]
  『ボクはあのころ、バスケが嫌いだった』
 あれから一週間も経つのに、その言葉が理解できない。
 聞いたときはなおさらだ。分からない、と答えたけれど、その瞬間理解どころか受け入れることもできなくて、「黒子っち」と呼ぶようになってから初めて、オレは彼に意地悪なことを言った。そしてすぐさま後悔した。三人でやったほんの数分のバスケの後見たのは、もうすっかり仲間となった彼ら二人の姿だった。試合中、二人の連携をいやというほど目に焼きつけさせられたのに、それでもまた、彼はオレの仲間だと思ってたんだ。

 だから、彼の言葉が受け入れられなかった。
 彼の言う『あのころ』、オレはバスケが楽しかった。何の疑問ももたず、楽しいと思っていた。練習して練習して、自分でも分かるほど上達して試合に出て勝つことが、楽しくて仕方なかった。彼が突然姿を消したことにも、呆然としたまま何もできなかった。ただ、その後の練習も練習試合も、うっすらとした寂しさを感じた。
 オレが楽しいと思っていたとき、黒子っちと一つのチームでプレーできて嬉しいと思っていたとき、黒子っちは少しも楽しくなかったんだろうか。

(青峰っちに憧れて、黒子っちに教わって、緑間っちと桃っちと……)

 今日もそんなことをグダグダ考えながら、体育館に寄らず正門を出る。練習をさぼって歩く帰り道は雲一つない青空で、見上げれば見上げるほど空は遠かった。どこまでも広がる一面の青を見ていると、自分が何者だか分からなくなる。

(楽しかったっスよ、オレは)

 オレはどこから来たんだろう。キセキの世代なんて呼び名は本当にどうでも良くて、でもあのメンバーとひとまとめに呼ばれることは誇らしくて、今バスケをしている自分の足は、あの日々に支えられている。でも自分がそれを認めていても、一緒に過ごし、自分を変え、尊敬した彼に否定されたことは、心に重くてなかなか吹っ切れられない。
(だって好きなんスもん)
 練習試合でがっかりできれば良かった。そんなの強がりじゃん、て言える位、実力も発揮できない、チームメイトにも恵まれてない、そんな彼が見られれば良かった。そうしたら、きっとまた言えたのに。一緒にバスケしよう、と。
 でも、誠凛はいいチームだった。何より自分は彼のことまで気に入ってしまった。あの獣みたいな、荒々しい、火神という男まで。

 今自分は宙に浮いている。バスケをしているとき以外、目に入るものがぼんやりと見える。やるべきことは分かっている。だけど、自分のどこかが水草みたいにゆらゆらとして定まらない。

 だから会いに行ったんだ。
 他を寄せつけないほど、自分の世界で生きている、彼の昔の光に。


 ◇

 青峰っちは重い。身長はオレよりちょっと高いくらいなのに、しなやかな身体についた筋肉は見た目以上に重い。後ろから圧し掛かられ、手首を押さえつけられると、よほど本気を出さなければ解くことはできない。

(って、そもそもオレ、こんな状態だしね)
 荒い息を繰り返しながら、落ちてくる汗と汗の合間に自分の手首をぐるりと掴む日に焼けた手を見つめる。掴んではいるが、単にちょうどいいところにあるから掴んでいるだけで、オレを拘束しようとしているわけではない。青峰っちは乱暴者だしすぐ手も足も出るけれど、意味もなくひどいことはしない。

「オイオイ、余裕だな」
 それこそ余裕そうに言うと、青峰っちは立っているオレの腰に腕を回して引き寄せ、逆に自分の腰を押し出す。元々繋がっていた場所に一層深く打ち込まれ、一瞬息が止まった。身体が小刻みに震えるのが分かる。背後から顎を掴まれ無理矢理後ろを向かされると、ニヤリと勝ち誇った笑みを浮かべる青峰っちがいる。
 ああ、青峰っちだ、と朦朧としながら何故か安心する。
 この人は揺るがない。どこか遠くへ行ってしまったように見えても、俺にはあの頃憧れた青峰っちがそのまま見える。
「んだ?今日はボーッとしてんじゃねーか」
「してね……っス……よ」
 ふーん、とほんの一瞬他人のような冷めた目をして、ま、いーけど、と続けた。羨ましいほど自在に動く大きな手が、オレのものをぎゅ、と掴む。
「……っ!」
「オレの前で他の事考えるなんざ、百年早ェよ」
「……っ……ア……!」
 堪えていた声がとうとう漏れる。青峰っちの満足そうな気配がする。
 後ろから打ち付けられ、手で前を絞り上げるように動かされると、どんどんと頭が真っ白になっていった。自分の呼吸と青峰っちの呼吸が重なる。何も考えられない。考えなくていい。
 
 この瞬間のために、オレはここに来ている。





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