キラキラ ― side黄瀬 ― |
乾いた土の上で、軽い柔軟を始める。手首足首、膝の屈伸など一通り終えてから、黄瀬はおもむろに黒子の背に自分の背をぴたりと合わせた。両手で黒子の両腕を掴み、はみ出た頭を反らして頭一つ分下にあるつむじにこすりつける。長い指は悠々と黒子の腕を一周し、これもまたひたりとくっついて離れない。 「……黄瀬君」 「柔軟っス」 「お互いどこも伸びてません」 「オレの首は伸びてるっスよー。じゃあ黒子っちも伸ばすっスね」 「え、……わ!」 膝を僅かに曲げて背中の位置を黒子に合わせると、黄瀬はぐん、と立ち上がって背を丸める。頭から脚から、黒子の身体がぴたりと重なってくるのが嬉しい。突然の行為に慌てた足が宙を蹴っているのも黄瀬の心をくすぐりまくる。 (めっちゃ楽しいっス……!!) 浮かれて背中を横に揺らしてみると、乗っている身体もぶらぶらと揺れる。楽しい。ずっとこうしていたい。 しかし、上にいるはずの黒子から地を這うような声が聞こえ、春めいた心が一気に凍結する。 「……遊んでますね……?」 「あ、遊んでないっス!ほらほら、身体柔らかくなったよね?」 「ていうか、いい加減苦しいです」 「ごめん!じゃ次オレの番!」 「…………」 とす、と地に降ろされた黒子は軽く息を吐くと、歩き出そうとする。焦った黄瀬の後ろ手に腕を捕まれても、構わず歩く。しかし黄瀬もしぶとく後ろ歩きで粘った。 「え、ちょっ、オレの番だってば黒子っち!」 「キミを持ち上げるのなんて嫌です」 「持ち上げなくていいからー」 渋々立ち止まった背にもたれて、先ほどよりはちょっと柔軟らしく、背を反らしてみる。本気でやると本気で潰れてしまうので慎重になるが、黄瀬の顔のニヤつきは止まらない。 持ち上げるのなんか嫌だと言われた言葉を反芻する。できないなんて黒子は言わない。意地でも言わない。 (そーいうところが好きっス) 「まったく……天気がいいだけでそこまで元気になれるのが羨ましいですよ」 「天気だけじゃないスよ。黒子っちがいるからっス」 はいはい、と流されても気になんかしない。黒子がそこにいるのだ。流してくれることすら嬉しい。 (きっとね、分かんないスよ) オレがどれだけ嬉しいか。 分かってもらえなくてもいい。分かってほしいと思わないでもないけど、本当に分かってしまったら、いなかったときの寂しさまで伝わってしまうと思うから。だから自分が今、ただ嬉しいことだけ伝わっていればいい。 パス出しのためにボールを持って、コートの端へ移る。この辺か、と思ったところで足元に固いものが触れた。しばらく使われていなくて荒れたのか、コートのラインを超えたすぐ横に、大きな石の先端が地面から突き出していた。 コート中央に立っている黒子に手を振る。 「黒子っちごめん、ちょっと待ってて」 「?はい」 石を掘り起こしたくて、屈みこんで辺りを見回すが、手ごろなものがない。雑草がぽつぽつ生えているのと、小石が転がるばかりで、この大石に対抗できるものはない。 仕方なく、周りの土を手でかきよせて、石の上にかぶせる。雑草を乗せる。土を乗せる。叩いて固める。真剣である。早く黒子と練習したいが、こんな石を見てしまっては、黒子がこの辺りを走る度に黄瀬の方が足元を気にしてしまう。 (うし、完了っス!) 完全に石を隠した。どこも尖った場所は出ていない。しっかりと土で盛った。 「お待たせっス!」 「いいえ」 勢い良く立ち上がると、黒子は離れた場所から黄瀬の足元をじっと見ていた。何も言わず掘削作業を開始した黄瀬を不思議に思っていたのだろう。 (大丈夫、危険なものはオレが始末したっス!) 心の中でぐっと拳を握り、黄瀬はボールを構えた。黒子とボールのやりとりができるのは何て嬉しいことだろう。それと単純に、ボールを持つだけで胸の辺りに火がつくのだ。バスケを知らなかった頃、こんなに自分を熱中させる競技がこの世にあるなんて思いもしなかった。 「行くっスよ!」 ダムダム、とボールをバウンドさせると、黒子が戸惑いつつ声を上げた。 「その前に黄瀬君、足元…」 「?う、わ?」 危ないです、の声が一瞬遅れたのが悪かったのか。 石を隠そうとして土を盛り過ぎたのが悪かったのか。 黄瀬はその場で盛大に転んだ。 「!」 「い……っ」 長身が見事に地面に倒れ、黒子は痛みを想像して身体を引いた。 バスケの選手、しかもフォワードの人間は空中ですらバランス感覚を求められる。相手のブロックを受けながら、飛んでボールを放つのだ。そこへきて黄瀬である。練習中の激しいブロックや疲れでコートに転がることはあっても、こんなどうでもいい障害物に真正面から転ぶところなんて、見たことがない。 「だ、大丈夫ですか」 「……大丈夫っス」 でも痛いっス、と黄瀬が言うと、そりゃそうでしょう、とさすがに気遣わしげな声が返ってきた。しかし顔を上げると、黒子は申し訳なさそうに、でもとても堪えられないように肩を震わせていた。 「な!何で笑ってるんスか!」 「……あんまり見事な転びようだったので……」 「ひどいっス!オレ咄嗟に顔も守ったんスよ?!」 「はい、偉いです。すごく……っ」 「黒子っちー!」 すみません、ちょっと、と前置きして、黒子は顔を反らして笑い続けた。ひどい、ひどいっス、と喚く黄瀬の身体をはたいてやりながら、肝心の障害物を見やる。 「でもこれ、黄瀬君が盛ってましたよね?この盛り土」 「そうっスけど……」 「何だったんですか?」 「石が出てたんス」 「はあ」 「黒子っちが怪我したら嫌だと思ったんス」 「…………っ」 「ちょっ、どうしてそこで笑うんスか!」 憤慨する黄瀬を片目に、黒子がまた声を殺して笑い出す。笑いながら、憮然とする黄瀬を見て、そして。 「ありがとうございます」 笑い過ぎの涙を溜めた目を、真っ直ぐ黄瀬に向けた。 (うわ……) 青みがかった目がキラキラと光っている。何の屈託もなく、自分を見て笑っている。 これが見られるなら。 何度だって転んでもいい。いつだって、何だって。 キミが笑ってくれるなら、オレは何回だって生き返られるよ。 [ 終 ] << side黒子 |