放さないで、抱えてて [ 1 ] |
取りに行きたいものがあるので、家で待っててください。 そう言われた黄瀬は、自宅のリビングで黒子の帰りをうきうきと待っていた。今日は自分の誕生日だ。当日取りに行くということは、ケーキか、プレゼントか、それとも自分の好きなスープだろうか。 (黒子っちが用意してくれるならなんでもいいっスけどね!) 浮かれながら想像を膨らませているから、手元の雑誌の内容は少しも頭に入ってこない。かろうじて黒子に似合いそうな服が目に留まるくらいだ。そのページの角を折る。 高校の頃から黄瀬がまめまめしく黒子の誕生日を祝っていたからか、大学に入ってバイトを始め、多少余裕のできた黒子は、前に比べて積極的に黄瀬の誕生日を祝ってくれるようになった。高校の頃も祝ってはくれたが、まず当日はお互いの部活の都合でほとんど会えなかったし、その次会ったときに欲しいものを聞かれて一緒に買いにいくという――半ばデートのようで黄瀬にはそれ自体が既にプレゼントだった――という流れだったのだ。 それが今では誕生日に黄瀬を家に呼んでくれたり、黄瀬の家に来てくれたりもする。ちゃんと事前に予定が空いているかも確認してくれる。空いているに決まっているのに、毎年律儀に確認してくれるのが嬉しい。誰か一緒に過ごす人がいるなら、と一応彼女の有無を聞いてくるのだが、この大学生活四年間、彼女なんかつくったことは一度もない。女の子はもうじゅーぶんっス、と黄瀬が言うと、いくら黄瀬君でも十分っていうにはさすがに早くないですか、と黒子は呆れるような半ば納得するような返事をした。黄瀬がそれに曖昧に笑って返せば、それ以上は突っ込まれなかった。何か思うところでもあるんですか、と聞いてほしい気持ち半分、でも、黄瀬が語らなければそれ以上突っ込んでこない黒子の性格も黄瀬は好きだから、そのまま会話を流してしまっていた。 黄瀬には好きな人がいるのだから、好きじゃない人と付き合ったって意味が無い。ふらふら誰とでも付き合っていた自分の考え方をそう変えた本人は、まあその気になればキミは貰い手に困ることはないですからね、などと相変わらず黄瀬の教育係のような保護者のようなことを言う。貰い手、というあたり自分を嫁に出す気持ちなのだろうか、と考えるとやや複雑だ。 (どっちかっていうと、貰いたい人がいるんスけど) 貰いたい人は大学に入ってからずっと、黄瀬の側につかず離れずいてくれた。つかず離れず、という意味でなら、中学で出会った頃から数えると八年だろうか。間が空いたときはあったけれど。 高校卒業と同時に、黄瀬はバスケをやめた。やめることに決めたのは、高校三年の夏だった。高校はスポーツ進学で、大学もそうだと本人も周りも思っていたから、それから入試なんて、そもそもどんな学校を選べばいいのか見当もつかなかった。大学ねえ、と黄瀬は全然興味を持てないその響きをもてあました。大学に行く、大学生活を送る――つまりバスケをしていない生活が始まる、ということだった。 バスケをしていない自分を想像することはあまり気が進まなかった。初めてのめりこんだ、初めて敵わない相手に挑んだ、五年間全て注いだと言っても言い過ぎではないものから離れて、またバスケをする前の自分の生活が戻ってくるのかと思ったら、どんな学校にいこうと同じに思えた。 まだ冬までバスケはするけれど、先のことを考えると猛烈につまらなくなって、例によって誠凛まで遊びに行った。黒子に答えを出してもらおうと思ったわけではないが、あの涼しい顔が見たかった。高校でバスケをやめることは、黒子には告げていた。体育館の裏で黒子を捕まえて、そんな話をうだうだとしつつ、オレまた中二からやり直しっスかね、と黒子にこぼした。また表面ばっかりの友達つくって、てきとーに何でもやって、何でもできて、黒子っちと会う前のオレに戻るんスかね。オレが調子に乗ってたら、黒子っちちゃんと叱ってくれる? 軽く冗談めかして、でも恐る恐る尋ねた黄瀬に、立って風に当たっていた黒子は意外そうな顔で自分を見下ろした。 『まさか』 『……まさかって、……黒子っち冷たい』 バスケがなかったら確かにあまり接点はない。でも少しくらい気にかけてくれたっていいのに、と黄瀬がふくれると、黒子は、そうではなくて、と続けた。制服を着ている黄瀬には、半そでの練習着の黒子さえ眩しく見えた。背中は汗で濡れて、うなじに髪がぺたりと張り付いて、ただただそれが羨ましかった。目を細めて見上げる自分を逆光で眩しいものと思ったのか、黒子が隣に腰を降ろす。 『バスケを始まる前の黄瀬君に戻るわけがないでしょう』 『……そうスかね』 『バスケほど夢中になれるものに出会えるかは分かりません。けど、キミは人に恵まれますから』 黒子がそう思っていたことが、黄瀬には意外だった。黄瀬の興味のない人間に対するあしらい方を黒子はよく注意していたし、見た目や能力には恵まれたけれど、それを目当てに寄ってきたり、嫉妬する人間にうんざりしている姿も黒子は見ていたはずだった。 『バスケ以外はあんま恵まれた気しないっス』 『そうですか?』 『……あんま心当たりないっスよ』 『モデルのお仕事は、続けるんですか?』 『へ、モデル?』 話飛んだっスね、と思ったが、黒子の話は突拍子がないことが多々ある。後から考えれば繋がってたんだな、と分かることも多いので、深くは考えずに答えた。 『モデルねー……今のところやめる必要もないし、まだやっててもいいかなーくらいっスけど』 『真面目にやってみたらどうですか、とりあえず、でも』 『……うーん』 正直、バスケを優先している間に、モデルの面白さは順位が下がってきたところだったので、あまり魅力的には響かなかった。 『真剣にやってる人が、いるんじゃないですか』 『……?』 『ボクはそういう世界のことはよく分からないですけど、どの世界にも、真剣な人はいるはずです。キミが敵わない人が、きっといます』 ようやく乾いてきた黒子の額が、風にさらされる。髪がさらさらと流れた。耳の下の汗は、まだ玉を結んだまま、小さく輪郭の淵に残っている。 真剣で、頑固で、ひたむきで、突拍子もなくて、黄瀬が敵わない人が、隣にいる。 こんな人に、また会えるのだろうか。会えるとは思えなかった。 黒子の言葉が黄瀬の悩みをきれいに掬い上げてくれたことが嬉しくて、だから余計にそれ以上なんてないと思ってしまう。 『キミがずっと続けてこられたってことは、少なくとも嫌いではないんでしょう。モデルのお仕事じゃなくても何か……ええと、とにかく、そういう人を見つけて、観察してるうち、何か見つかるかもしれないと思ったんです。キミはもう、人をちゃんと尊敬できる人ですから』 今思えば、あのときの黄瀬は行きたくない離れたくないとぐずる子供だった。初めてできた仲間と自分を繋ぐものが消えることが心細かった。楽しい未来なんて想像したくなかった。 でも黒子が言うと、自分の未来は今と繋がっているもののように見えた。もし違う世界に行っても、黒子や、彼らの存在は自分の中にあるような。 ――それでも。 本当は、このままでいたかった。ずっとバスケをしていたかった。 自分の顔を見て、黒子もまた少し泣きそうになって、でも彼は笑った。汗でしっとりした身体に、横から抱きついた。黄瀬君重いです、と言う黒子の声が優しくて、これが聞けない世界なんて考えられなかった。 『大丈夫ですよ。バスケを始める前のキミになんて、戻ろうったって戻れません。……まあ、また誰かに向かってチェンジみたいなこと言い出したら、今度は遠慮なくイグナイトかましますけど』 それはもう忘れてってば、と言うのがやっとだった。また考えなしに人を見下したり、いい加減なことをしたら拳となる予定の手は、黄瀬の頭を静かに叩いてくれていた。 黄瀬の恋はそれで確定した。これ以上好きになれる人なんかいない、と思った時点で恋以外の何者でもなかった。家に帰ってまた大学リストを眺め、やはり全然決められず、しかし、黒子と同じ大学にしよう、と閃いた瞬間黄瀬の進路は決まった。 そして今年、大学四年目にして、次の進路も決まった。黄瀬は、パイロットになる。 それを決めたとき、ようやく一人前になれた気がした。卒業前で良かった。これで黒子と堂々と向き合える。今年の誕生日前に決まっていたのも良かった。 あとは来年になるのを待って……と黄瀬が着々と将来の計画を立てていたとき、電話が鳴った。 「黒子っち?どしたんスか?」 『すいません、黄瀬君今、手空いてますか』 「うん、なに?」 それほど差し迫った様子ではなかった。取りに行きたいもの、のことだろうか。 『ちょっと……運ぶのを手伝ってほしくて』 思ったより大きかったんです。と黒子は言い訳のように付け足した。 「いいスよ全然、でかいカバンとかいる?」 『いえ、身一つで大丈夫です。むしろ手ぶらでお願いします』 「りょーかいっス」 場所を聞けば、隣駅にいると言う。大きいショッピングセンターがあるわけでもなし、何をしに行ったのだろう。とりあえず黄瀬は財布とスマホをポケットに突っ込み、玄関の扉を閉めた。 黄瀬と黒子は同じ大学に通っているけれど、自宅の最寄り駅は少し離れている。電車で二十分ほどで、乗り換えは一回。黒子が一人暮らしをするなどまったく聞いていなかった黄瀬は、入学後それを明かされて心底驚き、それならルームシェア誘ったのに!とリアルに地団太を踏んで悔しがった。何で教えてくれなかったのかと聞けば、聞かれなかったので、の一言で、黒子の性格を知っているくせに聞かなかった自分の迂闊さを歎くしかなかった。 電車を降りれば駅周辺の植え込みは紫陽花だらけだった。梅雨時だけあって誕生日の今日も薄曇りだ。ぱっとしない季節だと思っていたが、これはこれでいいものです、と黒子が言ってくれたから、そう思うことにしている。 植木とあじさい、通行人の隙間に影の薄い黒子の姿を探すが目に入らない。よほど人が多くなければ黒子を見つけるのは得意な自分には珍しいことだった。改札を出たところにいる、と言っていたのだが姿はなく、やたら大きいひまわりの花束が、新装開店さながらの存在感で何故かそこに放置されていた。上は豪華なのに下はバケツという妙な風体だ。 異様に人目を引くそれを横目に見つつ電話をかけると、やはり改札の側にいると言う。近いはずなのに見つからない。改めて首をめぐらせると、さっきの巨大ひまわりの花束が動いた。バケツごと地面を擦ってにじり寄ってくる。ざり、という音が怖い。 話しているうち、黒子の方が黄瀬を見つけたらしい。よくあることだけれど、今回は早く姿を現してほしかった。 「黒子っち〜、どこ?」 『ちょっと待ってください、今そっちに向かってます』 「向かってる?全然見えないっスよ?……ねえ、なんかでかいひまわりがあるんスよここ、それが、……え、なんかこっち来てる!」 『そうでしょうね』 「人がいないのに動いてるんスよひまわりだけ!怖い!」 『失礼な』 「失礼……って、え?」 接近していたひまわりはそこで動きを止めた。バケツと花束の隙間から、にゅ、と人が現れる。薄い青と緑のギンガムチェックの半そでシャツとジーンズ。見事な同系色――草花との――でまとめた黒子だった。 「…………っ」 「どうも」 「どうもじゃないっス!!」 お説教はあとにして、黄瀬が花束を、黒子がバケツを持って二人は家に辿りついた。いくらか涼しい日だったからまだ良かったが、これで五度気温が高かったら汗だくだっただろう。本人は今黄瀬が待機中に冷やしておいた紅茶を飲みながら、腕をぷらぷら振っている。だから黄瀬がバケツを持つと言ったのに、ボクの筋肉なめないでください、と慎ましい力こぶを見せて譲らなかったのだ。 「で、黒子っち。どうしたんスかこれ」 「見て分かりませんか」 「……」 そりゃあ分かる。黄瀬の誕生日に、黄色いひまわりの花束。それも特大。これでお母さんのお使いとか言うのなら、その薄い唇を指で引っ張ってかわいくない顔にさせてやる。それでもかわいいけれど。 黒子としてもサプライズを狙ったのに予定が狂ったのだろう、ここであまり責めると臍を曲げる。誕生日の黄瀬はこのあと全面的に甘やかしてもらう気でいるので、ここはまず黒子にすり寄る方向に決めた。 「……プレゼント?オレの?」 「はい。……こんなに大きくなると思わなかったんです、電話でも言いましたけど」 「黒子っちが頼んでくれたんじゃないんスか?」 「…………」 「あれ、違うんスか」 「いえ、そうです。そうなんですけど、ボクはその」 「うん」 (珍し) 黒子が口ごもることは滅多にない。都合が悪くなった場合、彼はどちらかと言うと開き直る方で、何か悪いですか、とか、仕方ないじゃないですか、と言って実のところあまり素直に謝らない。熱中症で倒れて黄瀬に背負われたときは素直に謝っていたけれど、あれは意地を張る余裕がなかっただけだろう。 バスケを通しての接触が減った分、お互い少しだけ甘えが出たと思う。それが黄瀬は少し嬉しい。とはいえ黒子は大学でもバスケをしているから、話題はバスケに関わることが多いし、体調管理だけは癖のようにお互い気を遣う。入学後半年もしないうちに薄くなった肩をとっ捕まえて黄瀬は黒子の食生活を問い質したし、黄瀬が過去脚を痛めた季節になると、周りに黒子のいる回数が何となく増える。 自分たちはプレイスタイルのこともあって、お互いに相手をよく見ていた。そうでなくとも黄瀬は黒子をずっと追っていたから、黒子のちょっとした不自然さはすぐ分かる。ただ相変わらず、おかしいな、と思っても黒子が言ってくれなければ、何が理由でおかしいのかは分からないままだ。 「とりあえず、バケツに新しい水入れる?」 どうにも口を開く気配がないので話題をずらしてみれば、黒子ははい、と頷いた。ひまわりはおそらく五十本はあろうかという量で、花瓶の有無を心配してくれた店の人が、親切心でバケツをくれたらしい。銀色のブリキのバケツは、なかなかかわいらしいものだった。 花束は黄瀬が持っても黄瀬の身体が隠れるくらいの大きさで、一つに束ねるために長さが少しずつ変えられていた。菜の花のような黄色い花もいくつか混ざっている。落ち着いた場所で改めて抱えてみると、大小の黄色がふわふわと揺れる。豪華だしオレンジがかった黄色は眩しいくらいに鮮やかだけれど、なんだかほのぼのする。 「きれいっスね」 バケツに水を張り、ベランダ前に移動させていた黒子は、黄瀬の声にくるりと顔を向けた。 「はい」 安心したような、ほんのり甘さのある笑顔はすぐ横を向いてしまったけれど、せっせと準備してくれるそんな横顔にも見惚れる。こんなにたくさんの花を黄瀬に、と思ってくれたのが嬉しい。まだ花も飾っていないのに、黒子がいるだけでベランダの前が明るく見える。 (ずっと、いてほしいなあ) でもそれはもう少し先に、と思っている。自分の事情だけれど、三年以上待ったのだ。あと半年と少しくらい待てる。 「ありがと、黒子っち」 今年の分のお礼でもあり、今までの分でもある。黒子が四年間欠かさず誕生日を祝ってくれるなんて、想像もしていなかった。 黒子は微笑んだまま、バケツの置き場所を決めると、花束入れてください、と黄瀬に言う。二人でバケツと花束を囲みながら、そーっとね、あ、葉っぱ引っかかってます、などとやりながら、何とか一つのバケツに花束を入れた。わさっと広がるのを、黄瀬が花束についていたリボンを使って整える。 「器用ですね」 「見よう見まねっスよ」 「その言葉、キミのためにあるような気がします」 「はは、そっスね。……でもこれからは、あんま真似する機会もなくなるっス」 見て、真似をして、自分のものにする。あの感覚を思い出せば今でも身が熱くなるけれど、今はそれでいいと思えた。使うときが来れば、また使うだろう。 帰り際ちらついていた小雨はやんで、雲の切れ間から晴れ間が見えてきた。夕方でもまだまだ明るい。もうすぐ夏だ。視線を下ろせば一面に広がる黄色い花を手のひらで揺らすと、黒子がぽつりと話し始めた。 「……この花屋さんと、実は、顔見知りなんです」 「そうなんスか?うちのが近いのに」 「キミの家に遊びにきた帰り、よく一駅歩いてたんです。駅前にあるので花を眺めていたら、話しかけられるようになって」 「へえ?」 それは知らなかった。そんな時間があるならもっと一緒にいてくれたら良かったのに。 「今年の誕生日は学生生活最後ですからね。ちょっと派手にしようと思って相談したら……、すごくたくさん入れてくれたみたいです」 こんなに大きいとは、と黒子自身が驚いていた理由が分かって、黄瀬はそっと笑った。けれど、何か違和感があった。そういう理由なら口ごもらず、最初から言えたんじゃないだろうか。それに。 (何でそんな――我慢する、みたいな) 何かを手放すような顔で笑うのだろう。 黄瀬がしたのと同じように、黒子も手のひらで花束をぽんぽんと揺らした。さわさわと揺れる。 「きれいな花束にしてもらえて良かったです。来年の誕生日は、キミが国内にいるかどうかも分かりませんしね」 「……え」 黒子に目をやった黄瀬に気付いているだろうに、黒子はこちらを見ない。 こういうことができるのも、今年まででしょう。 言って、愛しむように花を見つめた。 「変なタイミングになりましたけど、黄瀬君お誕生日――」 「待って、待って黒子っち!」 「はい?」 違和感はどんどん大きくなっていった。黒子のしんみりした様子はそれなのだろうか。来年は祝えないかもしれないから? 確かに当日はいないかもしれないけれど、高校のときなんて当日祝えないことの方が当たり前だった。 「誕生日、別に当日じゃなくても、いいっスけど」 黒子の方に身を乗り出すと、彼は僅かに身体を引いた。本当に小さな反応だったけれど、見逃さなかった。 「……それは、そうですけど」 「今の……なんか、オレの誕生日お祝いしてくれるの、今年で最後みたいな」 そうだ、学生生活最後だからという理由だけで、この花束は大きすぎる。黄瀬は黒子の財布事情だって知っている。収入は本屋のバイトだけという黒子に、この出費は大きいはずだ。一年に一度どころじゃない、イレギュラーな額だろう。花束というものがどれくらい値が張るか、黄瀬は噂程度でなら耳にしている。 学生らしいことをするなら、翌朝まで飲むのでも、羽目を外すのでも、逆にいつも通りでもいい。その方が黒子らしい。 何かが突然変わることに、黄瀬はわりと対応できる。でも黒子に関してだけは別だ。自分にとって一番おそろしいこと。頭の中のスイッチが入ると、注意力はすべて黒子に注がれる。 「あの、別に最後にするつもりではないですけど」 「黒子っち、何か隠してる?」 「そういうわけじゃ」 (あ、嘘だ) 直感が告げた瞬間黄瀬は黒子の腕を取っていた。彼の表情が顔に出ないのは、隠そうとしているときと、感情の触れ幅が一定以内のときだけだ。違う、と訴える顔をするときは、言いたいことが別にある、絶対。 「全然だめっスよ隠しきれてないっス、オレなんかした?」 「違います、」 「じゃあ何、なんでさっきみたいなこと言うの」 あとちょっとで、言えると思ってたのに。――好きだから、一緒にいて、と。 感情がそのまま出ただろう自分の顔を見て、黒子は目を苦しげに歪めて――、それから大きくため息をつき、観念したように目を閉じた。 「……キミはなんで、どうでもいいことに気が付くんですかね」 黒子っちのことでどうでもいいことなんかないっス、と返したかったけれど、黄瀬は黙ったまま続きを迫った。話題を変えるどころか横道に逸れることも見込めないと分かったのか、黒子は黄瀬の表情を上目で確認すると、ふい、と花束の方に目をやった。まるで花の方に救いを求めたような動きだ。オレの方だけ見て、と思う黄瀬の気持ちと反対に、黒子は言う。 「……背中、貸してください」 「…………?」 「ボクだって顔を見せたくないときくらい、あるんです」 あっち向いてください、とリビングのテーブル側を指差し、黒子はベランダの花束の方に身体を向ける。仕方なく黄瀬もリビング側を向いたら、背中に自分より小さい背が触れた。 背を向ける前に見た黒子の顔にますます不安が募ったけれど、今さら聞かないで流すことはできなかった。 >> 続 |