タネもしかけもあります [ 1 ] |
知った道なのに遠い。日の落ちるのが早いせいで、約束時間に遅れている黒子の気持ちに若干の罪悪感が増す。疲れた身体で進む歩みは速いとは言えなかった。 誠凛と海常のオフが重なるのはほぼ一ヶ月ぶりだ。それも土日連続で重なった休みに、黄瀬は舞い上がらんばかりに喜んでいた。とはいえ黒子も、親なんて追い出すから!という不孝者な台詞を嬉々として言い放った黄瀬を叱ったものの、それを止めることはしなかった。 それなりにちゃんと、二人はオツキアイをしている。 チャイムを押すと、はいはーい、と浮かれた声がドアの向こうから聞こえる。満面の笑みで出迎えた黄瀬は、黒子のいでたちを見てぱちりと瞬きをした。 「あれ?今日休みじゃなかったんスか?」 「のはずだったんですけど。予定が変わってしまったので、そのまま来ました」 遅れてすいません、という黒子に、黄瀬は少し目を見開いた後、それを柔らかく細めて微笑んだ。 「? 何かいいことでも?」 「うん」 黒子が聞くと、まっすぐに頷く。やたら上機嫌だが大体いつも黒子がいるときは機嫌がいいので、特段気にせず黒子も流す。遅刻になってしまったのものの、出だしは良いムードだった。 のだが。 「えーーー!!!」 「これ以上体力使ったら死んじゃうんで」 「そんな!!」 黄瀬の部屋に入るなり抱きつかれ、ご挨拶とばかりに耳元にちゅーっと唇を押し付けられた黒子は、あっさりと「あ、ボク今日そういうことできないんで」と言った。予定外の練習は予想以上にハードで、黒子の体力的にはこの家に来るまでで限界、というのが事実そうであった。 「でも黒子っち、前会ったときからもう一ヶ月以上経ってるんスよ」 がしりと両方の二の腕を掴まれて、今にも血走りそうな目で黄瀬が訴える。黒子だってそれ位意識はしている。でも、そうですね、と相槌を打つしかできないのだからしょうがない。 「せっかく親もいないのに!次いつ休みが合うか分かんないのに!」 「黄瀬君はボクが死んでもいいって言うんですか」 「そんなん絶対だめっス!!でもオレも死んじゃうっスよーー」 「大丈夫です。欲求不満で死んだ人はいません。多分」 ひどいーと結局抱きつかれて泣かれてしまう。自分をすっぽり覆ってしまう大きな背中をぽんぽんと叩きながら、まあ確かにかわいそうだな、と思わないでもない。自分だってそれを予想した上で約束したのだ。 (じゃあ明日……、でも明後日は練習だし) などと黒子なりに打開策を考えていたら、黄瀬がようやく身を離した。 「分かったっス黒子っち」 「ありがとうございます」 「黒子っちは寝てていいっス」 「……は?」 黄瀬の目は少しも諦めていなかった。むしろ鬼気迫る勢いで黒子を見つめている。 「オレは黒子っち触ってるだけにする!」 「あの、なに、言って」 本能的に危険な匂いを感じて、黒子は後ずさりした。その身体を後ろからすくい取るように、黄瀬の長い腕が背に回る。その素早さに思わず後ろを確認している間に、とうとう黄瀬のモードが切り替わってまったらしい。細めると大人びた表情になる瞳が、とろりと艶めいて光る。 「オレが体力充電してあげるっスよ」 「え、」 制止の声を出す間もなく、ふわ、と優しく唇を塞がれる。触れたものが何なのか分かっているのに、初めて触れられたときのようにほんの一瞬思考が止まった。まるで真綿のように柔らかい。 「…………」 黄瀬の背を引っ張ろうとした黒子の手は、服を掴んだだけで終わってしまった。たっぷりした間を置いてから、角度を変えてまた温かい唇が重ねられる。唇に圧迫感なんて少しもない。いつだって逃げられる。 (逃げられる、のに) 何度かの瞬きの後、黒子はとうとう目を閉じた。視覚を閉ざせば余計に、柔らかい感覚に支配される。いつもならすぐに入ってくる舌も今日は大人しい。優しくされることにそれほど感動を覚える性格ではないけれど、こんな大切なものを触れるようにされて突き放せるほど、硬い心ではないのだ。 触れるだけのキスをゆったりと繰り返されている間、大きな手の平が背中をさする。髪に差し込まれたもう片方の手が、時折指先で髪を梳く。柔らかいものと温かいものに包まれて、疲労していた黒子の身体は本当に眠気を感じ始めていた。 (触ってるだけ、なんて) 本当にそんなことをするつもりなんだろうか。 降ろしていた瞼さえ重く感じるようになった頃、身体が気持ちよくゆらめいた。ぼんやりしているうちに抱きかかえられたのが分かったが、眠気と疲れと心地良さで、反抗する気にもなれない。ひんやりとしたシーツの上に降ろされてようやく、少しだけ意識が浮上する。 「眠い?黒子っち」 「……はい」 くすり、と黄瀬は笑って黒子の学ランを脱がせると、シャツのボタンを外し始めた。さすがにそれ以上は寝てもいられないでしょう、と思ったものの、既にかなりの眠気に押されていた黒子は、でももう寝てしまいそうだし、という希望的観測で意識がまどろむに任せていた。 「寝てていっスからね」 言われるまでもなくあと一歩で落ちる。全身がふわふわとしていて、もう半分夢の中だ。首筋に、肩に、鎖骨の窪みに、黄瀬の唇が落ちてくる。羽毛にくすぐられているようで、身体の境界線があいまいになってきた。どこまでが自分の身体なんだろう。 「…………ふ」 (……?) 知らぬ間に漏れた息に意識を呼び起こされて、目を開いた。にこりと笑っている黄瀬の顔が真上にある。ほとんど寝起きの頭でそれを眺めていたら、また優しく唇に触れられた。さっきとまったく同じように。触れられるだけならばこんなにも安心して目を閉じていられるのだと、初めて知った。するりと舌が潜り込んできても、その延長だと警戒しなかったほど、いつもの抑えきれないような情動なんて全くなかった。 「ん」 ただ舌を絡め取られると、背筋がどうも落ち着かない。逃げた舌を黄瀬が追うことはなかったが、口の中を平たい舌にずっとあやされ続けて、そこまでも眠りを誘うようにとろけていく。 このまま寝たら失礼かな、とさっきから睡眠と覚醒を繰り返している黒子は、ふいに訪れた刺激に背を浮かせた。 「……っ」 口を塞がれたまま胸元を指先でそっと摘まれる。息を吸おうと開けた口から黄瀬の舌が出ていくと、今度は違和感を覚えた。何か涼しすぎるような、足りないような気がする。この状態がいつもの自分の口の中なのに。 (何か、変な気が) 何が変なのかは分からないけれど、何かがいつもと違う。 は、と息をつきながら何とか黒子が思考を整えようとすると、その後頭部を一度撫でて、黄瀬が笑う。 「何も考えなくていーんスよ。寝てて?」 おやすみ、とでも言うように眉間にキスをされたその次、ついさっき刺激を受けた胸の先が湿ったものに包まれた。 「――――っ」 慌てて手の甲で口を塞ぐ。ちゅ、ちゅ、とそこを啄ばまれるたび、小さく身体が跳ねた。それに戸惑って抵抗しようにも、さっきまで黄瀬のするままに任せていた身体は自分の言うことをきかない。黄瀬の髪がさらりと肌の上を流れる感触にまで呼吸を乱される。 「ん、んぅ」 びくびくと身体を震わせながら、黒子は自分がいつも以上に反応していることに気付いた。腿の内側を撫で上げられて、ぎゅ、と目を強く瞑る。そして悟った。 (やられ、ました) 眠気の内側で、気がつかないうちに熱が灯されていた。 >> 続 |