ユメの向こう  [ 2 ]

「黒子っち、黒子っち!」
「…………っ」

 びくり、と震えて目が覚めた。目の前に、黄瀬の顔が迫っている。眉を下げて、目に心配を浮かべて、自分の頬に手を当てている。

「……黄瀬、君」
「良かった、目ぇ覚めたっスね」
「何……」
 視線を彷徨わせれば、いつもと何ら変わらない、自分の部屋だった。
「苦しそうだったっスよ」
 黄瀬の指に前髪を梳かれ、横に流される。そうされてようやく、息を吐いた。身体が強張っていたことが分かる。

(夢?)

 夢だった。夢だったが。

「黒子っち?」

 わ、と黄瀬がベッドに片手をついてバランスを取った。首に腕を回してきた黒子の意図を察して、静かに身を重ねる。

「黒子っちあの……どきどきしちゃうんスけど」
「黄瀬君」
「うん?」

 温かい。触れている手も肩も、声も。頬に流れる軽い髪の感触にさえ、胸がつまりそうになった。
(ボクはこれを)
 貴重なものだと分かっているのに。
 
 夢の中の黄瀬は、いくら呼びかけてもその場から立ち上がらなかった。

(ごめんなさい)

 声にはならなかった。謝るなんて、そんなことでは到底済まされない。自分がしたことは。
 たとえ夢でも。
 あまりにもリアルで。

(置いてってください)

 ボクがキミを引きとめたとしても。

 キミが失われるなんて、あってはいけない。


「黄瀬君」
「…………」
 名前を呼んでもそれ以上続かない黒子の髪をさわさわと撫でていた黄瀬は、なんとなく状況を察したようだった。怖いユメだったんスねえ、と呟いて、黒子の頬に指を伸ばした。

 今こうしていることさえ罪悪感を感じる。
 そんな。
 神妙な気持ちの頬で彼は。

「…………何してるんですか」
「つねってるっス」
「…………」

 確かに、親指と人差し指は頬をつまんでいる。が、これではつねっているうちに入らない。弾力を楽しんでるだけだ。それに。

「……それは普通、嬉しくて信じられない状況でするものです」
「あれ?」
 そういやそっスね、と間の抜けた声を出して。
「―――――ちょっ、……!」
「間違ってつねったお詫びっス」
 つねった、というかつまんだ頬に、ちゅーっと口をくっつけてきた。さらに、ちゅ、ちゅ、と短いキスを頬へ繰り返す。
「痛いっ」
「時間帯を考えてください」
 窓の外はまだ暗かったが、もうすぐ夜明けだろう。べし、と後頭部を叩くと、黄瀬は上目遣いで黒子を見つめてそれから、ふ、と笑った。今のですっかり夢から醒めた頭では、そんな笑顔見ていられない。恥ずかしくなって目を反らすと、黄瀬は身を起こして黒子の横に移動した。

「黒子っち、もう起きる?」
 お互い完全に目が覚めてしまった。黄瀬はすっきりした顔でカーテンの裾を持ち上げて、空を見上げた。まだ外は夜の余韻で青みがかっている。まだほんの少し、朝日を見るのに抵抗があった。
「寝直しましょう。せっかくオフですし」
「じゃもっかいちゅーするっス」
 せっかくオフっスから。そう人の言葉を取った黄瀬をやはり再度殴って寝かせる。ちえーと拗ねる頬を、なんとなくつねってみた。
「……イ、 タイっス」
「すみません」
「まだユメん中にいる?」
「いえ」
「ならいーっスよ」
「……今度は、置いていきません」
「?」
 こちらの話です、と言ってつねった頬をさすると、内容よりも撫でられていることの嬉しさが勝ったらしい。うん、と返事をして、黄瀬は笑ったままとろりと目を閉じた。

(まったく、適当なんですから)
 
 案外あっという間に眠りについた黄瀬と、カーテンを閉めた窓を交互に見る。空が明るくなろうとしているのを感じる。
 平和に寝ている顔は、眠る前のやりとりのせいで微笑んだままだ。緊張感のない表情。
 もう一度輪郭を手で辿って、筋肉で固い肩の感触を確かめた。

(良かった)

(キミがいてくれて、良かった)

 紛れもない実体が、目の前で、呑気な顔で寝ている。しばらくの間見つめていたら、だんだんと眠気も移ってきた。かけ布団の内側から伝わる体温にもつられる。

 心地よい睡魔にすぽんと包まれ、黒子もようやくまぶたを降ろした。












 [ 終 ]






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