キミとの相性  [ 2 ]

 帰りの電車はローカル線で、日曜の昼間だというのに車内にほとんど人がいない。二人並んで座るのも変な感じがしたが、こんな空いている電車で立っているのも不自然に思えて、ぎこちなくも横に座る。行きは立っていたし、高すぎる身長のせいで目立つ彼と会話をするのも、険悪になりがちな会話で車内を冷え冷えさせるのも憚られて、ほとんど話もせずに来たのだった。
 膝の上に乗せた本屋の袋が、窓から入る日光で淡く光る。初めてこんなに長い時間を一緒に過ごしたが、想像していたような事件は起こらなかった。あれほど相性が相性がと言わていたのだ。実際よりもその言葉の刷り込みの方が強くなっていたようにも思える。色々な面での食い違いは大いにあったが、戸惑ったものの不快感はなかった。

「緑間君」
「何だ」
「キミとボクの相性はやっぱり悪いんですか」
「ああ。血液型星座どれをとっても悪いな」
「そうですか」

 本人を前によくぞそこまで言い切れるものだと感心するが、言われ慣れていたから今さらどうということもない。
(悪くてこれなら悪くてもいいんじゃないですかね)
 そんな風にも思えた。けれど、心の隅のどこかが、ちくりとしたのも事実だった。
 紙袋から参考書の表紙が透けて見える。解けるといいな、と思った。想像していたより悪くないなら、それでいい。

「オマエのそういうところが気に食わん」

「…………何ですかそれ」

 いきなりそんなことを言われ、まとまりかけていた結論に水を差される。これ以上ダメ押しされたくないから黙っていたというのに。不機嫌が伝染して、返す口調も投げやりになる。

「そういうところもどういうところも、キミが文句を言うのはボクのすること全部でしょう」
「そういうところだと言っているのだ」
「分かりません」
 人のことは言えない。せっかくここまで喧嘩別れもせず、地雷を踏まないようそっとそっと歩こうとしてきたのに、ちょっとこじれれば自分ももれなく雰囲気を悪化させている。その自覚は今すでにあったが、いきなり大人にはなれない。
 少しの沈黙の間、横からじっと見られている気配を感じた。

「前から思っていたが、オマエはオレが嫌いだろう」

「…………は?」

(それはキミでしょう)

 驚きすぎて声にならないうち、ようやく目を合わせた黒子に緑間は、不満をぶつけるように続けた。

「何故そうすぐ匙を投げるのだ。オマエはオレとの相性に関して、手をつける前から諦めているだろう。改善する姿勢がまったく見られないのだよ」
 その言葉に黒子は、くるりと丸くした目を何度か瞬かせた。かろうじて言葉を紡ぐ。
「…………あの、それ、そのままお返ししますけど」

 黒子にとってそれは思いがけない叱責すぎて、怒っていたことさえ忘れた。口からこぼれ出たのは意地悪でも反抗でもなく、ただの本音だ。しかし緑間はますます語気を強めて言い募る。

「馬鹿を言うな。俺はオマエとの相性にだって、人事を尽くしている」

(…………!)

がーん。
ふざけているのかと言われそうだが、黒子の脳裏を横切ったのはまさしくそんな擬音だった。驚きすぎて、開いた口が塞がらない。

「聞いているのか、黒子」
「……聞いてます……。けど、ボクそれ、全然知りませんでした」
「オマエがその努力をしていないからだ」
 黒子はまた静かに驚いた。認識も食い違っていたのらしい。必死に頭を働かせ、これまでの内容をまとめてみる。
「じゃあつまり、ボクとキミの相性が悪いのは、ボクのせいってことですか」
「そうではない。相性は運命なのだから仕方がないのだよ」
「ああはい、分かりました。相性でなく、関係が悪いのは、ということです」
「?!」
 正しく言い直したら、整った瞳が衝撃に見開かれた。黒子の顔をまじまじと見つめ、動揺を隠さずに口を開く。
「オマエはひどいことを言う奴だな」
「悪くないと思ってた方が驚きです」
 大きな身体は僅かに後方へとゆらめいた。軽く息を呑んだようだ。おは朝が外れたってこんな顔は見たことがない。

 絶対忘れないだろう、この顔。
 一緒になって驚き合いながら、黒子は確信を持ってそう思った。見ているとどんどん力が抜けてくる。

(何なんでしょう、この人は)

 本当に訳が分からない。相性は悪いけれど関係は悪くないと思っていて、片鱗も感じられなかったけれど、相性改善の努力をしてくれていて、人に散々ひどいことを言っておきながら、自分は簡単な言葉だけでショックを受けている。
 脱力感と憐憫と、認めたくないけれど、広がる安堵と。
 色々な感情が混ざり合って、とうとう。

「何を笑っている」
「す、みません」
「謝るのなら笑うのをやめるのだよ」
「ボクもそう思います」
 でも止まらない。なじる声には悔しい、面白くない、納得できない、色々な響きが混ざっているのだ。止まるわけがない。ふ、ふふ、と漏れてしまう。

「緑間君」
 また呼びかけてみると、じろり、と右上から睨み下ろされた。でも今はその鋭い眼差しを受けても、きれいな瞳だったんだな、とその奥を見つめ返すことができる。

「ボクたち、本当に相性悪いですね」
「嬉しそうに言うな。だからオマエは……」
「ボクもします。努力」

 苦々しい顔は少しだけ緩んだが、フン、と鼻を鳴らして正面を向いてしまった。何を今頃、というところか。それでも。

「そうしろ」

 ちゃんと聞こえるように言ってくれたので、そうします、ときちんと返事をした。

 問題集がやはり難解だったら、聞いてみてもいいかもしれない。














 [ 終 ]






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