秘密の場所 [ 1 ] |
ファミリーレストランの一角を、身長百九十センチ前後の高校生が占拠している。本人たちにその気はないのだが、座っていても立っているような存在感で固まっているのだからどうにも目立つ。ドリンクバーに立つ利用客が通りすがりに視線を投げかけているが、良くも悪くも人目を気にしない面々は一向に気にしていない。 そんな店内の様子を視界に入れつつ、窓際の窮屈そうな六人用テーブルの前に黒子が到着すると、座っていた四人のうち三人が一斉に口を開いた。 「おーテツ」 「遅いのだよ」 「テツ君!会いたかった!」 手前に座る緑間の身体で隠れていた桃井は、テーブルに身を乗り出すようにしてひょこりと顔を出した。呼び出された内容を忘れるような笑顔だ。 「遅くなってすみません」 緑間が横に置いてあった鞄をどかしたのを見て、空いたスペースに腰を下ろす。珍しく分かりやすい親切だ、と思ったが、向かいの席から当人の顔をとっくり見ろということなのだろう。 向かいには青峰と、その奥に黄瀬が座っていた。黒子が視線を向けると、くわえたままだったストローを口から外し、ようやく一言、 「こんばんはっス」 と、かなりやる気のない挨拶をした。そして、こんばんはと返した黒子をじっと見つめてから小首を傾げ、手探りするような声で、 「…………、初めまして?」 そう、尋ねた。 問いかけの形になった黄瀬の語尾に、桃井と緑間はうなだれて溜息を吐き、青峰までも背もたれにずるずると沈んでいった。三人の様子に、黄瀬がむうと不満そうに口を結ぶ。 何故だかがっかり感に包まれているテーブルの中で黒子は、 (こんなことって本当にあるんですね) と、想像と現実の差に静かに驚いていた。 『きーちゃんが、記憶喪失なんだって』 桃井から電話でそう知らされたのは、昨日のことだ。部活中に頭を打ったのだという。 一瞬驚いたものの、桃井がそれを知った経緯を話し出したときにはもう、黒子はすんなり納得していた。 黄瀬からのメールがぱたりと途絶えていたのだ。二日と空いたことのないメールの最後の受信日は六日前で、そういえば最近静かだな、と思っていた頃だった。 それで昨日は、黄瀬の日常仕様をしみじみ認識して落ち着いてしまい、あまり事態を深刻に考えきれなかったのだが、これはなかなか手がかかりそうだ。 「オマエさっき教えただろーが。こいつがテツだよ」 「いっぺんには覚えらんないっスよ」 どうやら集まってから、皆であれこれ教えていたらしい。しかし説明が、「テツ」だの「アイスの棒」だの「みずがめ座」だので、これで自分を見て結びつけられたらその方が奇跡だ。 大体今の黄瀬の方も大して気がなさそうである。礼儀までにといった体で、えーと、と自分を見やってはくるが、黒子テツヤです、と答えても、 「黒子君、ね。覚えたっス」 三歩歩けば忘れそうな声で答える。 「黄瀬君はいつからの記憶がないんですか」 「いつからの記憶もないっスよ」 「名前も?」 「黄瀬涼太十六歳バスケ部って教わったっス」 「……それはお疲れさまでした」 やはり棒読みな答えに、黒子は質問するのを止めた。どうにも投げやりだ。目も合わさず、ストローでグラスの氷をカラカラとかき回している。機嫌が悪そうにも見えるがそれよりは。 (疲れてる、ような) 他の三人が、頭にダンクしろとか、一度彼岸を見れば走馬灯がよぎるとか、危険な記憶復活策を練っているのが悪い気もするが、何か消耗しているように見えた。この場の全員に対する、黄瀬自身の関心の薄さが余計そうさせているのかもしれない。 「オレもー帰るっスわ。思い出せそうにないし」 立ち上がった黄瀬に、しょうがねえな、と青峰が身体を引いて目の前を通らせた。身長同様よく伸びた足が、そこを無感情にまたいでいく。 整いすぎている横顔を黒子は見上げ、しみじみと別人だと感じた。このメンバーでいるときにいつも滲ませている喜色とか、気安さや無邪気さがどこにもない。抱えている感情が違うだけで人は別人になる。そんなことはとっくに知っているし、今の黄瀬は忘れてしまっただけで変わったわけじゃない。それでも胸のどこかがちくりと痛むんだから、心なんて勝手だと思う。 「黄瀬君」 テーブルから抜け出た黄瀬はそのままの表情で黒子を見下ろした。無関心の固まりみたいな目だ。 ふいに、出会った頃を思い出しておかしくなった。 (…………知ってます、それ) 中学時代、入部当初の黄瀬は青峰しか見ていなかったし、教育係になってからは不満そうで疑ってて挑戦的。そんな視線の連続だった。だけどどれも、黄瀬は黄瀬で。 「怪我はしてないんですか」 「……してないっス」 瞬きをして開いた目はまだまだ冷たいけれど、ようやく棒読みじゃない返事が返ってくる。 「なら良かったです」 今日のところはそれだけ聞ければ十分だ。 お気遣いどーも、と黄瀬は言って、自分の飲み物代を置いて帰っていった。 ◇ ◇ ◇ 黄瀬に続いてほどなく、全員で店を出た。夜道に木々の緑の匂いが漂っている。もう夏の盛りを過ぎているが、まだ少し蒸し暑い。 「どこまでも人騒がせな男なのだよ」 「まったくですね」 青峰たちと別れた後、僅かな距離だけ重なる帰り道で、緑間が呆れ果てたように言った。 ついこの間だって、新学期が始まってから「宿題終わんないっス」などと言い出した黄瀬がプリントをどっさり持ち込んできたばかりの気がするのに、今度は記憶喪失とは。 それに大体人騒がせといえば――――。 (あ、気にしてくれてるんですか、もしかして) 気付きつつも流していた、緑間からの視線と無言の問いかけの意味がやっと分かった。珍しく言いあぐねているようだから何かと思ったが。 「放っておきます。そのうち思い出すでしょうから」 今さら隠すことでもないので、思ったまま答えることにする。 黄瀬が黒子を好きなことも。その逆も。 黄瀬のそれは中学の頃から周知の事実だった。長い長い片想いに黒子がようやく応えたのは高校に入ってからだ。可能性などほとんどゼロだったものを、ものすごい執着で望み続け、晴れて念願の“両思い”になったのが、数ヶ月前である。だというのに。 (何もそうなってから忘れなくても) 緑間が言った「人騒がせ」には、既にその意味も入っていたのだろう。 黒子が無数の告白を受けてきた数だけ、緑間も少しも進歩しない報告を受けていた。 緑間君に言いますかキミ、という思いはあったが当時から不思議ではなかったし、そういう黄瀬の相手ができるのは緑間だけだろうと思った。文句を言いながら、危なっかしいのを見ると放っておけない人だ。 「アイツの面倒は見きれんな」 「今まで見てたじゃないですか」 「オマエがさっさと返事をしないからだ」 「毎回その場でお断りしました」 反論すると緑間は黒子にちらりと目をやって、またすぐ顔を元に戻した。 「甘いのだよ、オマエは黄瀬に」 「……………フツウです」 何とか言い返したものの、自覚はあった。 だって辛くしても通じないんだから仕方ない。 痛いところを突かれて巻き返せないまま、分かれ道に着いてしまった。 「じゃあな。記憶喪失に効くラッキーアイテムがあったら教えてやろう」 そんなピンポイントなラッキーアイテム、おは朝で紹介してどうするんですか。と突っ込みたかったが、今度は自分が危なっかしいと認識されているのかもしれない。何となく世話を焼かれている気がするので、控えめに注意を促す。 「……キミのそれ、黄瀬君覚えてないんだからやめといた方がいいです」 「なんだと?!」 人事を尽くすことについての説教を何とかかわし、礼を言って別れを告げ、黒子は帰ってさっさと寝てしまった。 このときはまだ、この事態を楽観視していいのかどうしていいのか、見当もつかなかった。 >> 続 |