秘密の場所  [ 2 ]

 それから四日ほど経って、黄瀬からメールが届いた。件名なし、と表示された下の行に黄瀬の名を見て、黒子はすぐには開封せず、小さな画面と数秒向き合った。

(……“今の”黄瀬君ぽいですね)

 記憶を失う前の黄瀬であれば、ほとんどの場合件名に何か入れてくる。『黒子っちー』とか『あさって』とか、件名といっても本文の出だしの一言だが。

 待っていた、といえば待っていたメールだが、読みたいような読みたくないような気持ちで、ためらいながらメールを開く。本文は簡潔だった。

  『こんちは。黄瀬っス。
   聞きたいことあるんスけど、今日夕方時間ある?』

 携帯を開いたまま視線だけ横にずらし、僅かに重い息を吐く。やっぱりきた、と思った。
 昼食を食べ終えて、火神は目の前の席で眠っている。向き合っているときでなくて良かった。彼は案外、自分の表情の変化に敏いのだ。気付かれて今の心境を尋ねられても、答えようがない。

 『放っておきます』と緑間に言ったときは黒子もすっかり忘れていたのだが、よく考えればメールの履歴というちょっと放っておきかねる存在があった。
 黄瀬からのメールはほぼ毎日で、それどころか余裕があれば一日数回、特別用事がなくても送られてくる。教室のクーラーが壊れたとか、ジャージの下だけ忘れたとか、天気がいいとか。まるで黒子が側にいて、一緒に歩きながら話しかけているような感覚だ。

 一般的なメールの頻度や内容は分からないが、連絡不精な自分の感覚を差し引いても、頻度が低いとはおそらく言えない。内容もわざわざ伝えるほどの内容ではない。ただメールを送りたいだけなのだと、傍目にも目に見えて分かる。
 そこへきて、都度都度現れる「黒子っち大好き!」の一文。怪しいなんてものではない。

 前回会った黄瀬には、積極的に中学時代の友人に交わって記憶を取り戻したいという気配はなかった。それが会ってまで聞きたいことがある、というならば、十中八九その件だろう。
 何も気付かないまま記憶が戻る、という一番理想的な形は多分叶いそうにない。けれど、誤魔化せるなら誤魔化したい。

(ボクは多分、平気ですけど)

 記憶がないものと割り切って振る舞うだろうが、相手は黄瀬で、しかも中学生に戻ったような野放しの黄瀬だ。困惑されても意識されても――――軽蔑されても、こちらも困る。

 が、どちらにしろ会うしかない。
 常になく悪あがきをしたい気持ちを抱いたまま、部活の後なら、と返信をした。





 ◇ ◇ ◇


 指定されたのは、海常の最寄り駅の近くにあるマジバーガーだった。そういえば練習試合の帰り、ちらりと見かけたような気がする。あの日は人生史上最大にステーキを食べた日で、シェイクすら飲む余裕はなかった。

 店に入ると案の定、一目で黄瀬は見つかった。観葉植物の陰であまり目立たない壁側の席に座っているが、黒子がレジで注文しシェイクを受け取る間に、女子高校生二人に握手を求められていた。
 自分の学生以外の職業のことも教わったのだろう。生まれ持ったものなのか、覚えていないくせに営業用の笑顔はまったく元の黄瀬そのものだ。自分の顔の価値と使い方を知っている。

(そういう頭はいいんですよね)
 顔だけじゃなく、自分の能力がどれほどかを大体把握している。しかし平均を優に超え、どんなに評価されても、彼自身が力を尽くしていないと退屈する。努力する方が好き、という意味では健全なのかもしれないが、じゃあ健全な人かと言ったらとてもそうとは言えない。健全と真逆のものがいつも水面すれすれのところに潜んでいるような気がする。

「っわ、いたんスか」
「どうも」
 正面に座ってからようやく目に入ったらしい。通路と自分とを交互に見て、いつから?と目を丸くして聞いてくる。
「今です」
「すげー……存在感ないっスね」
「よく言われます」
 まだ絞りたてで飲むには固いシェイクを、ストローでかき回す。その間黄瀬は黒子の実体を確かめでもするように目を凝らしていたが、やがて本題を切り出した。

「あーそれで、聞きたいことなんスけど」
「はい」
 シェイクを吸い上げながら次を待つ。さて、何をどう聞かれるか。

「オレと黒子君て…………その、仲良かったんスか。相当に」

 言い方をぼかしている辺り、ほとんど確信を持って聞いているのだろう。顔に覚悟のようなものが浮かんでいて少し面白い。本当は聞きたくない、でも気になる、という顔だ。

「どうしてですか」
「メールの履歴見たんスよ。携帯返ってきたんで」
「返って?」
「ああ、頭打って病院行ったとき、携帯失くしたんス。それが先週見つかって」
「結構かかりましたね」
 それで中途半端に日数が空いたのか、と納得しながら黒子は言った。
「んー、タクシーで落としてそれが県外までいってたらしいっスわ。や、だからそうじゃなくて。黒子君、はぐらかそうとしてねっスか」
「こんな会話ではぐらかすわけないでしょう」
 はぐらかしてたわけじゃない。考えていただけだ。どう答えるか。

「仲は良かったですよ」

 やっぱり、と黄瀬が衝撃を受けた顔で呟いた。

「ボク、キミの教育係だったんで」

「…………へ?」






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