standin on the edge 番外 [ 2 ] |
それからも黄瀬は黒子に合わせてゆっくり進めてくれているけれど、あんまり遠慮はない。黒子には最も恥ずかしいことだって、口にさせる。 「分かる? 指、今ここ」 こくりと頷くだけで引き下がってくれないと分かっているけれど、つい逃げが立つ。たまにはそれで見逃してほしい。 「うん、だけ? 黒子っち」 「……っあ、」 答えないでいると、黄瀬は抜ける寸前まで指を引き、再び同じ位置までぬるりと進めた。身を捩ってもすぐに黄瀬に抱え直され、より密着する体勢にされてしまう。拘束は緩いけれど逃げられない。浅いところに留まる指が、ちりちりとした快感を広げるのに黒子は勝てなかった。 「な、か、……っ、」 「ん、そうっスね。ぜんぶ? とちゅう?」 「と、ちゅう……」 「うん」 褒めているつもりなのか、入った指で中の粘膜を優しく撫でる。そこばかりだ。もう先に行ってほしい。乱されるほどではないけれど、そこから意識が離れないほどには捕えられている。 しかし、半分ほど入った指が奥へ進むより先に、入口に新しい力が加えられる。 「……え、あ、あっ」 うそだ、と思う間もなく、二本目の指が埋められた。奥には届いていないから痛みはないけれど、急に開かれた緊張が走る。力んだ腕をそっと撫でて黄瀬は言った。 「大丈夫っスよ、ここからはゆっくりしてあげる」 指を動かしながら自分を見つめる黄瀬の、息遣いが乱れているのが分かる。少し別人のようだと思う。でも黄瀬がその姿を見せてくれるから、黒子も少しずつ理性を緩める準備ができるのだ。 二本の指が、入口と中とを何度も撫で、さっき入っていたあたりまで到達した。ぞくりとした感覚が戻り、熱い息を吐く。早く、と急く黒子の内心とは裏腹に、黄瀬は何度も行き来を繰り返し、ようやくその奥を割り開いたときにはもう、黒子の性器はまた張り詰めていた。 「…………ぁ、あ、あ……っ」 「……やわらかくなったっスね」 指の付け根で入口を擦られて、声も出せずに喉を反らせた。黄瀬の指のあるところが熱い。 「黒子っち、気持ちいい?」 「…………っ、……い、……」 「だあめ、もう一回」 分かってるくせに、と思っても抵抗する余裕などない。くすぐるように最奥で指先が悪戯をする。敏感になった内側は小さな動きも刺激に変えてしまう。 「あ、あ……きもち、い……きもちいい……っん、あっ」 「もっとしてほしい?」 「っ、しな……、い、」 答えたし、首を振ったのに、指は動き出した。奥を掻き、もっと手前の敏感な箇所も指の腹で擦られて、声が止まらない。されるがままに身体を跳ねさせ、シーツを引き絞る。黒子はまだ、黄瀬自身より指で快感を得る方に慣れている。それだけでは達したことはないけれど、一か月ぶりだからか、黄瀬がそうさせているのか、もう次の波がそこまで来ている。 「やだ、きせく、や……っあ」 「なあに? なにがやだ?」 「ゆび、も……っ、」 「足りない?」 「……ちが――っ、」 指がさらに内側を広げようとしているのを感じて、息を呑んだ。じわりと目の際が熱くなる。色々聞いてくるくせに答えても聞く気がないし、耳に入っているのかも怪しい。翻弄されるばかりなのは嫌だ。いつも最後にはそうなってしまうのだけど、せめてこうではなくて――。 「……っ」 中の感覚に負けないようぐっと口を引き結び、両腕を黄瀬の首に回した。それを力いっぱい引き寄せる。黄瀬の動きが止まった。 「……黒子っち?」 息を吸って、もう一層腕を狭める。あまり力が入らないから全力でちょうどいいはずだ。多少首を絞める感じになるが、手段がないのでやむを得ない。 「……く、黒子っち、えっと、結構苦しい」 「……よし」 「『よし』??」 とりあえず話ができるようにはなった。さっきまでの状態では黒子はまともに言葉が紡げないし、黄瀬も聞く余裕がない。 そう、余裕がないのだ。ずっと彼は、隠しきれない熱を必死に堪えている。黒子を追いつめる手に、どんどん容赦がなくなっているのもそのせいだ。 『これでも、我慢してたんスけど』 そう言っていた。我慢できなくなったのならしなければいいのに、どうしてするのだろう。嫌がるとでも思っているんだろうか。多少の無理くらい大丈夫なのに。 それに、明日は。 「…………ほしい、って」 「……え?」 「……ぅ、……」 放したくなかったけれど、腕が限界でベッドへ落とした。中には指が入ったままで、力を入れ続けていられない。そろりと顔を覗き込んできた黄瀬は、自分の様子を見てか、そっと指を引き抜いた。楽になったのに、寂しいとも思う。黒子がそう感じていることを、きっと黄瀬は知らない。 『オレが欲しいのは、アンタっスよ。黒子っち』 あの夜、この家に帰ってきてから黄瀬は言った。 欲しくてたまんない。アンタがいればいい。オレが無茶したのはアンタとここに帰ってくるためだった。傷つけてるのは分かってけど、それしかなかった。どうしても欲しかった。 お願い、だからオレにぜんぶちょうだい。 ――好きなんスよ。 切実に、懇願するように、断られたらまるで生きていけないような必死さだった。愛の告白とはこんなに決死の覚悟を告げるようにするのかと驚いた。でも黒子にはそれが。 「……黒子っち? きつかった?」 多少は頭が冷えたのか落ち着いた黄瀬が、額の汗を指で拭ってくれる。自分だって汗を滲ませて、本当は今だって身体の欲を堪えているだろうに、いくら匂わせても黒子にそれをぶつけたことはない。 好きだと、欲しいと言ってくれたことが、どれだけ嬉しかったか分かるだろうか。 どこにも居場所がなかった。必要とされたはずの場所で、認められたことは一度もなかった。石を通して幼い頃に愛された過去を見ることはできたけれど、石から目を離せばそこには誰もいない。自分を必要とする人の、声を聞いたことも、触れられたこともなかった。自分の周囲にあったのは、澄んだ空気と、冷たすぎる水、距離のある視線。それくらいで、黄瀬に触れて、こんなに人は温かくて、熱いのだと知った。 だから我慢なんかいらない。そのまま欲しがってくれていい。恥ずかしくたって、慣れなくたって、嫌だと思ったことは一度もない。欲しがっているのが自分だけだと思わないでほしい。 「……ゆび、もう、やです……」 「ん、わかった」 ぐっと奥歯を噛み締めた黄瀬は無理矢理笑った。黒子がこのまま何も言わなければ、きっとこの先はしないのだ。愛おしくて、泣きたくなる。 「きせくんがいい」 言うと、一瞬遅れて黄瀬の表情が変わる。陰りの消えた目が何かを確認するようにぱちぱちと瞬く。真顔に近い。 「…………おたんじょうび、でしょう」 「……え?」 黒子はまだ、黄瀬が喜ぶようなプレゼントなんて買えない。でも自分だってお祝いをしたい。好きな人の誕生日だ。黒子の持っているもので、黄瀬がほしいと言うものは、唯一これだけなのだ。 「……ボクをほしい、なら、……はやく」 黄瀬の目が見開かれる。月より明るくて、太陽より優しい温かい金色の目だ。割れてしまった、同じ色の石を思い出す。力が足りなくても、守りたかった。好きだった。黒子こそが、黄瀬を最初に欲したのだ。 「……もう指じゃ、いやです」 きせくんがほしい。 勇気を振り絞って口にした。羞恥はあったけれど、伝えたい気持ちが上回った。黒子だってほしい。だから余計な我慢なんかしないで、全部黄瀬のものにしたらいい。 言うと、突然背に腕が回った。ベッドから浮くほど抱きしめられ、驚いていられたのは一瞬で、すぐさま口を塞がれた。唇を擦り合わせるような合わせ方も、貪る舌も、今までされたことがないほど欲を露わにした奪い方だった。手は黒子の背や首筋、髪の中や脇腹まで忙しなく撫で回し、もうされないと思っていた胸の先を押し潰されて声を上げた。尾を引くような甘い声は黄瀬の唇に吸い取られ、呻き声も絡まる舌に溶かされた頃、ようやく口も身体も解放された。は、は、と短い息を繰り返す。 「……煽ると、こういうことされるんスよ。分かった?」 涙が滲んだ目の縁と、べたべたにされた口の周りを黄瀬の指が拭っていった。 「……どうぞ」 「っ、」 「……? して、いいですよ」 伝わらなかったろうか、と言い直すと、ぐ、と黄瀬が言葉を呑み込んだ。何か葛藤しているらしい。単純なようで複雑だ。 「……こんなんで、泣くくせに」 「今のは呼吸困難です」 「もっと困難になんの! アンタいっぱいいっぱいにして泣かせんの、ちょっとは罪悪感あるんスよ」 「あったんですか」 「あるっスよ!……ちょっとだけど」 さっぱりないかと思っていた。だって黒子は毎回いっぱいいっぱいだ。ちょっと、を強調するあたり、実際本当に少しなのだろう。正直だ。 「でもボク、いやじゃないです」 「だから! そういうこと……」 よく分からないので両腕を首に巻き付けたら、黄瀬がようやく大人しくなった。観念したように黒子の元へ落ちてくる。髪の感触と、肩口の重みが心地いい。 「……一か月ぶり、だし」 「はい」 「黒子っち、してないでしょ」 「……その質問はいつものはずかしめですか」 「……辱めてるわけじゃないんスけど……」 してません、と小声で答える。しているわけがないだろう。頑張って口にすると、さすさすと頭を撫でられた。 「……だから、キツイっスよ、今入れたら」 「大丈夫です」 「…………またでた」 アンタの大丈夫は根拠がないの、と黄瀬が背中を緩く抱いてくれる。 「…………でも、オレも限界」 「はい」 良かった、と黒子は口元を綻ばせた。これでまだああだこうだ言うのなら、見よう見真似で黒子が襲わなければいけないところだった。それはまだ難易度が高い。 意を決した顔で上半身を起こした黄瀬が、黒子の脚を割り開く。ぬるりと濡れた感触がそこに触れて、一つ心臓を跳ねさせた。早く欲しいと思ったし、今も変わりないけれど、緊張しないわけではない。 「目閉じて、ゆっくり息して」 言われた通り、目蓋を降ろし、いつもより深い呼吸を繰り返す。黄瀬の手が腿を撫でる。そちらに意識を集中させ、もう一度吐き出す。そのタイミングで、ぐっと熱の固まりが押しつけられた。 「――っ、ぅ」 黒子がねだったのだから、苦しい顔はしたくない。でもどうしても眉を寄せてしまう。それを見て止めたりしないでほしい。大丈夫だから。 「……黒子っち、力抜いて」 「…………っ、は、い」 自分の身体が半ば無理に広げられ、固くて熱いものが入ろうとする、怖れはある。でも早く黄瀬にも気持ち良くなってほしい。一つに繋がりたい。そのための無理なら越えられる。 しかし、いよいよ大きい部分がそこを通ろうとしたとき、身体をびくりと震わせてしまった。黒子っち、と呼ばれ、目を開けると、黄瀬もきつそうな顔のまま、苦笑する。 「だいじょうぶ、そんな顔してもやめないから」 黄瀬は一度動きを止め、限界まで広げられた入口の、周囲の肌を優しく撫でた。指先はそこを一周し、ぬめりをそっと塗り広げると、今度は黒子の性器の根元から先端を辿る。ひくん、と身体が震えた。萎えかけた性器を、黄瀬の手のひらが柔らかく扱いていく。 「……ぁ……」 「そう……力抜いて」 手のひらの動きに合わせ、熱い息が漏れ始める。気持ちいいでしょ? と言われ、こくりと頷いた。黄瀬の手は気持ちがいい。しかし別の指先が、黄瀬の性器を迎えている場所に再び触れ、気持ちの良さに流れかけていた意識をそちらに向けられてしまう。広げられている苦しさは変わらない。前への刺激と、後ろのきつさと、どちらも意識を朦朧とさせるに十分だった。苦しいのに気持ちがいい。気持ちがいいけれど苦しい。どちらに晒されているのか分からない。指が入口の縁をなぞるたび、何か違う感覚が身体の奥から生まれてくる。拒みたい、とひたすら訴えていた身体が開き始める。頭の芯がぼうっと揺れる。声が、意識を引き上げるように鼓膜に届いた。 「――入れて、黒子っち」 開きかけていた扉そのものがふっと消えたように、身体から力が抜けた。けれど次の瞬間、熱の塊が頭の奥まで貫いたような衝撃が走る。 「――――っ」 あまりの重量に声も出ない。シーツに顔を押しつけ、目を閉じて、身体を押し広げる存在ををぐっと堪える。小さく歯が震えた。 でも、はいった、中に。これですべてだ。身体の中に、黄瀬がいる。 受け入れられた安堵と、しかし本当にはまだ受け止めきれない圧迫感に、ただはらはらと涙が落ちてくる。 「……き……、」 名前を呼びたかったけれど、声にならない。呼吸で肺を動かすことさえ、繋がっている箇所を動かしそうで怖い。それなのに、黄瀬が身を屈める。 「っ、あ!」 「一瞬我慢して」 ひ、と半分泣き声の混ざった声を上げると、黄瀬の両腕に身体を包まれたのを感じた。体温が近い。後頭部を包み込むように撫でられ固く閉じていた目を開ければ、すぐそこに黄瀬の顔があった。彼の額にも、頬にも汗が流れている。 「だからキツイって言ったでしょ」 「……ぅ」 実際黒子は半べそをかくくらいにはしんどいし、黄瀬もそうだろう。言われて泣きそうになったが、目の前の顔は嬉しそうに黒子を見つめる。 「でも、すげえ気持ちいい」 「…………ほんとう、ですか」 「ん、熱くて、オレのこと一生懸命のみこんでくれて、今もほら、少しずつオレの形になってきてる」 気持ちいいよ、と囁いた耳元を指の腹でゆっくりと撫でる。それからまた、気持ちいい、と吐息を混ぜて。囁かれるたび刷り込まれ、身体の強張りが解けていく。内側が黄瀬を迎えるよう変わり始めている気がする。また囁かれる。気持ちいい、と声が流れてくる。苦しさが和らぐ。息ができるようになってくる。 「……ほんと、かわいいっスね」 ちょっとだけ動くよ、と黄瀬が腰を揺らす。まだ待っていてほしかったけれど、自分を抱く黄瀬の腕や、肌の感触や熱さで紛らわしているうち、黒子も熱を帯びてくる。あれほど苦しかったはずの抽挿なのに、動きに合わせて声が漏れ始める。 「……きもち、よくなってきた?」 「あ、あっ、ん、ぅん」 「じゃあここね、ご褒美」 「っあ、あああっ」 内側の弱いところを磨り潰すようにして、性器が体内を出入りする。もっとも敏感な入口さえ順応したのか、さっきより大きくなったものに擦られているのに泣きたいほど気持ちがいいし、中の壁ももう深く開かれることを悦んでいる。激しく揺さぶられていると、時折崖から飛び降りたときのような浮遊感が訪れた。しかし意識が落ちる前に奥を突かれて、黒子は身体を仰け反らせた。 「んあっ」 「……ここ? 気持ちいいの?」 「あ、ゃ、や、おく、やだ、」 「あー……なんか当たってる? ここ、スかね」 「あっ」 ぐり、と押しつけられて、腰が跳ねた。いやだ、と言い続けているのに止めてくれない。分からないけれど、何かが当たる。今までと違う。黄瀬の性器がそこに触れると、全身を内側から撫でられたような快感が走る。力が入らなくなって怖い。開きっぱなしの口からひっきりなしに声が漏れた。 「っは、黒子っち、前すごいっスよ」 「……やだ、や、さわ……ない、で、」 「いきたいでしょ? いいっスよ、このまま」 「や……、だ……って、……きせく、」 黒子は、黄瀬に気持ち良くなってほしいのだ。自分ばかり訳が分からなくさせられるのはいやだ。それを途切れ途切れに伝えれば、興奮しきった顔でうっとりと微笑む。 「オレはね、アンタのそういう顔見てるだけでもすっげー気持ちいいんスよ。……でも、オレのこと気にしてくれるんなら」 頬を撫でた黄瀬は、顔を近づけ、唇を啄んだ。声を誘うように、最後に優しく触れる。 「――オレの名前呼んで、気持ちいいって言って」 靄のかかった頭で意味をするかしないかのうち、また下から大きく揺さぶられた。握られた性器の先端に指を立てられ、喘いでいるのか、黄瀬が求めた言葉を口にしているのか、もう分らなかった。呆気なく達した身体を起こされて、背がしなるほどに抱きしめられる。そこからベッドが軋むほど腰を打ち付けられ、今度こそ身体が宙に投げ出されたと思った。黄瀬の腕と身体だけが意識のよりどころだった。 『怖いけど、平気でしょ』 何度も聞いたそれが、聞こえた気がした。今も黄瀬が口にしたのか、それとも記憶の中の声か。どちらでも良かった。それにも必死に頷いた。 最後に一層深く黄瀬が入り込んできたとき、彼が震えたのを感じた。動きが止まり、彼が息を吐いたのをうっすら遠くで聞いて、黒子も一度身体を跳ねさせた。そうして、安心して意識を手放した。 くう、と腹の鳴る音で目が覚めた。空腹だ。けれど、身体を動かす気がまったくしない。 目を開けたままぼんやりしていると、小さく笑う気配があった。 「……なんか食う?」 隣から伸びてきた手に髪を撫でられ、その方へ顔を向けると、上半身を起こして座っている黄瀬がこちらを見ていた。火のついていたランプはもう消えていて、カーテンの隙間から見える空は本格的な夜だ。野宿をするときも黄瀬はよく座ったまま眠っていて、黒子が目を覚ますとこの体勢で目が合うことが多かった。なんだか懐かしい。黒子は首を振り、食べないです、と黄瀬に答える。 「もうちょっとしたら、杏のコンポート持ってきてあげる」 それなら食えるでしょ、と彼は夜の気配を壊さないよう静かに言った。 ほとんど気を失う形でぐっすり眠ったせいか、眠気はなかった。ただ、身体がだるい。 「……何時ですか?」 「一時過ぎ」 「お誕生日になりました?」 「うん、なったっスね」 そうか、とそれを聞いたらほわりと嬉しくなった。誕生日は、誕生日の人が主役だ。黄瀬が祝われる日だ。それが嬉しい。 「おめでとうございます」 「……アンタに一番に言ってもらえるの、すげえ嬉しい」 言って、黄瀬はベッドの中に戻ってきた。ありがと、と黒子の頭を自分の首元に押しつける。まだ夜は涼しいから、黄瀬の体温が心地いい。 「起きてたんですか?」 「さっき目覚めたとこ。……あー、いいっスね」 「?」 「こういうふうに、黒子っちとしゃべれるの。一か月ぶり」 二週間前に一度黒子は帰ってきているから、話すのは二週間ぶりだ。「こういうふうに」というのは、ベッドの中で、という意味なのだろう。黒子が半年間の修行に出ることをかなり渋っていたけれど、やはり寂しい気持ちにさせているのだろうか。じっと見ていると、黄瀬は視線の意味に気付いたのか、ふ、と笑った。 「……昔ね、オレがここに来た初めての年」 不意に、彼は話し始めた。 「誕生日に、ほしいもんねえかって聞いてくれたんスよ。笠松サン」 笠松に拾われたのは三年半前だという。その頃にはもう能力に目覚めていたから、黄瀬に欲しいものはないはずだ。 「オレも拾われたばっかで捻くれてたから、あるわけないじゃないスかって答えた。そしたら、そんな心構えじゃ見つかるもんも見つからねえだろって蹴られたんスよ」 すげー理不尽、と黄瀬が笑う。 黒子が黄瀬と出会ったのは三ヶ月前で、天宮を離れた日から、地上で過ごし始め、この地に着き、今に至るまでがその三ヶ月にあたる。約一ヶ月、旅を共にし、その後一ヶ月同じ家で暮らした。話す機会はそれなりにあったが、お互い過去のことはあまり口にしていない。黄瀬がその頃のことを詳しく話してくれるのは、これが初めてだ。 「その上、見つけてくれた仕事が獲得屋じゃないスか。オレに欲しいもんがないのに、なんで人の欲しいもん取ってきてやんなきゃなんないのか、正直さっぱりやる気出なくて。でも他にやることもないからやってたんスよ。稼いでさえいれば、暇も潰せるってね。……仕事に対する姿勢としちゃ最低だった」 「……でも黄瀬君の評判は良かったでしょう」 高額の依頼のほとんどを、黄瀬と笠松が攫っていく。けれど、誰かのものを奪ったり傷つけたりする依頼は一切受けない。黄瀬は妬みも受けたけれど、依頼そのものの性質が良かったためにひどい悪意や敵意を向けられることはなかった。 「あれは笠松サンの見る目のおかげっスよ。オレいまだに分かんねえもん、何で選んでたのか。……アンタの依頼も」 何故笠松はあの依頼を受けたのか。騙されていると思わなかったのか。おそらく黒子が最もそう思っている。依頼文に手紙も添えたけれど、前払いの報酬は支払えない。後で働いて返すから待ってほしい。そんな内容だ。黒子にとってはそれ以外書きようがなく、信じてくれることを願うばかりだったけれど、本当に引き受けてもらえるとは思わなかった。 「獲得物に人間が書いてあんのなんか見たことなかったし、引き渡しの条件もない。血も涙もない奴が書いたんだなって思ったっスよ」 「……ありましたけど」 「まさか本人が書いてるとは思わないっスもん」 黄瀬は小さく笑って、それから黒子の頬に触れた。 「あの依頼文見て、嫌な奴だって思えたのは笠松サンのおかげ。獲得屋に頼んでまで欲しいものはみんな大事にするもんだって、オレは多分無意識に思ってた。……まさか、自分が欲しがるとは思わなかったけど」 そこまで言って、黄瀬は何故か得意げな笑みを浮かべた。 「だからね、今年の誕生日は三年前のやつくださいって言ったんスよ」 「……え?」 「せーっかく欲しいものできた誕生日に、一緒にいてほしい人は修行に励んでるからさ、ちょっと口利いてくんないスかって」 黒子はぽかんと口を開けた。それは笠松も聞いてくれるはずだ。黄瀬に厳しいようでやはり優しいんだな、と思っていたし、その通りなのだけれど、三年前の誕生日プレゼントを持ち出して断らせないところが黄瀬だ。しかしそんなことまで笠松に言っていたとは。隠すつもりもないからいいけれど。 「……でもキミ、そんな必死に」 「なるっスよ」 言うと、黄瀬は口を尖らせた。それから指先をつ、と黒子の喉元に滑らせる。 「アンタのことになったらオレは必死になる。……さっきのでもまだ、伝わらなかった?」 「……あ、……」 する、と指が掛布団の中に潜っていく。欲しがっていいと言ったけれど、さっきの今では身体がもたない。 「黄瀬、君」 「……悪いと思ったならちゅーして」 「…………」 ん、と口を出してくるので、首を伸ばして端にそっと触れた。仕方ない。黒子からするのも未だまったく慣れないが、反省を形で示すのも大切だ。いつかは黄瀬が黒子にするような、身体の力が抜けるようなのをやってみせよう、と意気込みだけはある。まだ、意気込みだけだけれど。 「……ふ、」 「…………どうせへたくそです」 「んなこと、思ったことないっスよ」 「今笑ったじゃないですか」 「嬉しいからに決まってるでしょ」 また適当なことを、とでも言い返したいけれど、本当に嬉しそうだから言い返す言葉がない。 「それで、もう分かった?」 「?」 「オレはずっと、欲しいものが欲しかった。アンタがいるかいないかで、オレの世界は全然意味が違うんスよ。ほしいものがある世界と、黒子っちがオレのそばにいる世界。黒子っちは一人で、オレの世界を二つ満たすの。だから、オレは黒子っちがどうしても必要で、アンタがいてくれればそれだけでいい」 黄瀬がこれを言うときは決まって、甘い言葉を囁くような雰囲気はない。真剣で、切実で、それが真実だと、黒子に必死に訴えかけてくる。蜂蜜のような金色の瞳を真っ直ぐ向けて、気持ちを一心に注ぐように、黒子を見つめる。 ――『ボクがここにいる意味はなんですか』 ずっと問い続けていた。誰も、黒子自身も答えを出せなかった。祈ることに意味はありますか。本当に人を救うんですか。力が、能力がなければ存在は無意味ですか。 冷たい水と空気の中で、息をすれば肺まで凍りそうな日もあった。地上はきっと、もっと温かい。温かい人に、触れたかった。そう思って、ずっと。 「黒子っちがいること以上のプレゼントなんてないんスよ」 黄瀬の指が、頬に触れた。黄瀬の誕生日なのに、これでは逆みたいだ。ふ、と笑って彼が落ちた雫を掬っていく。 「……黒子っち、泣くとまた石が溶けるよ」 「……溶けません」 見えるものがぼやけるだけで溶けはしない。確かに今の黄瀬の顔がぼやけて残ってしまうのはもったいないかもしれないと思ったけれど、でも石を見て思い出さなくても、きっと忘れたりしない。 「ね、あとで見せて。二週間分。黒子っちが見たもの見たい」 「はい。……黄瀬君」 「ん?」 黒子は腕を伸ばし、黄瀬を引き寄せた。 今、誕生日を祝う意味が本当に分かった。きっと皆、誰かが誰かに思われているのだ。祝うのは、誕生日の本人だけじゃない。その周りも含めて、生まれてきてくれてありがとう、というのだ。 「キミのことが好きです」 「…………」 ボクは、キミを好きでいることが嬉しい。 言ったら、つられたのか黄瀬の目からも唐突に涙が落ちた。しかしすぐ、強気に笑う。 「それはこっちの台詞っスよ」 ベッドの中で力いっぱい抱きしめられ、笑ったら、黒子の腹がまたくうと鳴った。それでまた笑う。今度こそ胃袋も目覚めたらしい。 若干足元が覚束ないが、立ち上がり、二人で居間へ向かう。ぶどうジュースと、魚介のチャウダーと、ブラウンブレッド、シェパーズパイと杏のコンポートと、まだまだあるらしい。間違いなく二人分の量ではない。でも誕生日は細かいことを言わないもの、らしいから。 こんな真夜中に火を起こしてパーティを始める。 二人分の誕生日を祝うために。 << 戻 |