ほどいて ほどいて  [ 2 ]

「だから突然来るとこういうことになるんですよ」
「えーいいじゃないスか別に」
「キミが良くてもボクは良くないです」
「パンツはいてれば十分スよ。夏だし」
 それかバスタオル巻いて寝るっスけど、と黄瀬は私服のまま身体を捻ってお色気ポーズを取った。黙殺するしかない。
 
 絆されて一緒に帰ってきたはいいが、寝るときに着るものがないことに気がついてしまった。黒子のクローゼットに黄瀬が着られる服など、シャツから靴下に至るまで何一つない。ないと分かっているものの、つい衣装ケースの中を覗いてしまう。

「何でコンビニで気が付かないんですか。Tシャツくらいあったでしょう」
「無理っスよー。サイズねースから」
 つまりLサイズでも無理ということだ。黒子の眉間に皺が寄る。
「それより黒子っち」
「?」
 ぬっと後ろから影が差して振り向けば、真後ろに黄瀬が立っていた。こっち向いて、というので正面から向き合ったら、人差し指がすっと伸びてきた。頬と鎖骨の上をとん、とん、と順に叩く。
「こことここ」
「はあ」
「へこんだっスね」
 う、と黒子は目を脇に反らした。黄瀬のそういう指摘は鋭い。外での視線はそれだったのか、と渋い気持ちになる。
(ヤなことに、気付きます)
 黒子ですら気がつかない、ごく僅かな変化を見逃さないのだ。体重が減ったことは自覚していたが、それだって一キロかそこらだ。特別気にしていなかった。

「へこむほどには落ちてません」
「でも減ってるっス」
「すぐ戻ります」
「あと顔青いっスよ」
「それは今日シェイクを飲みすぎたから―――」
 
(しまった)
 黄瀬のこの癖は昔からで、油断していた。誰に対してもそうだった。単に気が付いたから口に出した、という程度のもの。だからつい、素で返事をしてしまう。
 それまで淡々と告げていた黄瀬の目に、一瞬感情が浮かんだ。

「……最近、練習ハードだったんで」

 聞かれる前に答えてしまったのが言い訳じみている、と思う。
 が、とりあえずこの会話を終わらせたくて、鎖骨の上に置かれたままの指を外して、背を向けた。いい加減何か着るものを探して早く寝ないと、明日に障る。なのに、後ろから差す影は引かない。気が散る。もう黄瀬の言う通り、バスタオルかいっそシーツでも巻かせて寝るしかない。

「黄瀬君やっぱり――――――」
 振り返った途端、抱きすくめられた。顔を見上げる隙もなかった。

「……絶対それだけっスね?」

「…………」

 黄瀬の腕は完全に黒子を抱き込んでいて、身動きも取れない。黄瀬の言葉の意味を理解しても、黒子はすぐに答えられなかった。
 あのね、と黄瀬が続ける。

「誠凛で良かった、誠凛で楽しいって言っててくんないとオレ」


「マジで黒子っちのこと攫うよ?」


 ああ、本当に本気だったのか、と黒子はようやく理解した。再会したその日に言われたことは忘れていないが、今初めて伝わった。
 黄瀬は全ての細胞で触れてくるように、黒子の全身をぎゅうっと包む。

「だから痩せんのとか、勘弁して。あと今日だって、あそこにいたの用なんかなかったっスよね?」

 ここで黙ったら、答えられないことが答えみたいなものだ。さっきの沈黙も。

(キミの行動が突飛すぎて、返事を用意できないんです)
 用意できないし、作ることもできない。こうやって腕の中に閉じ込められると、思考も意地もちゃんと残っているのに、それらが口をついて出てきてくれない。

 ふわり、と黄瀬の手の平が後頭部を包んだ。あまり簡単に包むので、ボールにでもなった気分だ。なのに、今日に限っては悪い気はしなかった。

(…………あったかい、です)

 じわりとそこから体温が移ってきて目を閉じた。頭が痛かったのかもしれない。顔が青い、は気にしすぎだろうと思うが。

「……黄瀬君、決勝リーグ見てたんですか?」
「……うん」
「負けました」
「うん」
「火神君と二人でも」

 うん、と黄瀬はまた静かに答えた。
 何でこんなことを言ってるんだろう、と思う。自分で傷を深くしたいのか。

「一人じゃ勝てないんです」
「うん」
「でも、」

(火神君は)

 共に戦うと誓ったけれど。


「……でも黒子っちは、火神っちとやりたいんスよね?」
「…………」
「違うんスか?」
「…………違わない、です」
 大分ためらった後答えると、黄瀬は手を頬へ移動させた。つられて見上げる形になる。
「羨ましいっスわ、アイツが」
(あ)
 黄瀬がかなり無理矢理な笑顔になっている。半分笑っていて、半分泣きそうな。
「すいません」
 謝ると、黄瀬は柔らかく目を細めた。まだ痛みのある表情であったけれど。
「でも嬉しいっス。九割悔しいスけど」
「嬉しいですか?」
 今の会話の、どこが?
「黒子っち辛そうなの、オレも辛いっスけど。でも、黒子っちはバスケやりたいんスよね?辛くてもさ」
「…………はい」
「黒子っちがバスケしててくれんの、オレ一番嬉しいっス」

「――――――」

 だからシェイクばっか飲んでたらだめっスよ、と黄瀬は付け足した。指の背で、黒子の頬をすりすりと撫でる。何故か、嬉しそうに。
 返事が何も思いつかなくて、自分が変な顔になっていそうで、黒子は下を向いた。黒子っち大好きっスよ、と黄瀬がまた抱きしめてくるので、一層どうしていいのか分からない。

 不安になんかなっていない。心配なんていらない。
 バスケをしてていいんだ、そんなこと、言われなくたって。

 今までの自分を保つように必死に言葉を紡ぐ。それを端からほどくように、黄瀬が指先で、声で、全身で、黒子に触れてくる。


 助けられてもいいんだ。


 全部ほどかれてから、残ったこと。







 ◇


 もうオレにパスはしなくていい。
 そう言われて、自分の限界がいよいよ見えて。
 この部に自分は必要がないように思えて。

 でも。

『黒子っち、バスケやりたいんスよね?』


(やりたいです)


 辛いけれど、続けてさえいれば。
 しがみつくだけ、しがみついてみよう。


 自分の予想とは違う未来が、見えるかもしれない。














 [ 終 ]






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