ねずみの霊幻さんと猫エクボ1 |
俺様のダチの家にはねずみが一匹住んでいる。 造りはしっかりしているがこの家は古く、その床下に住まうねずみもこつこつとかじり続けたのだろう。居間の北側には穴が空いていて、そこからねずみの侵入を許している。家猫として俺様はそれを見れば追い返し、家主であるシゲオにも告げてあるのだが、僕はとりあえず困ってないからいいよ、と特に対策は立てられていないままだ。 ねずみは一日に一度現れる。家主が慌ただしく朝食を済ませ、学校へ出かけたあとの時間が狙い目らしい。パンくずだとか、シリアルだとか、果物のかけらが台所には落ちており ――家主に掃除の余裕はない――、家の中は俺様を除き無人であるからだ。 困っていない、と言う通り、ねずみは落ちているもの以外には手をつけず、仲間を連れてくることもなかった。しまい忘れた食材がテーブルに残っていても、目には入れるが近づかない。だから俺様も、爪も牙も出さず、のそのそと近付いて威嚇するだけに留めている ――といいたいところだが。 「……オイ、オイオイオイ」 「あんだよ」 椅子の足に、帽子のようにかぶせられている丸い布、それを背もたれにし、ねずみは今日の成果であるクロワッサンのかけらにかぶりついている。シゲオがかじるとボロボロになるやけに割れやすいパンであるが、ねずみがかじった程度では、かし、と小さな音が立っただけだ。獲物としては大きい方で、ぽろりとめくれて落ちた黄金色の皮は、ねずみの身体が隠れるくらいの大きさだった。 「お前な、俺様の目の前で食うなよ」 曲線を描くパンの端をまた一口かじり、ねずみは答えた。小さい口の周りに、さらに小さなパンくずがついている。よくくっつく面積があるものだ。 「穴に入んねえんだからここで食うしかねえだろ」 「せめて他所で食え。俺様の存在意義に関わる」 「けっ、俺が毎日出入りしてる時点でお前の警備はザルだろーが」 「誰がザルだって……?」 「お、やんのか?」 ニヤ、と笑うねずみは腰に下げた袋に手をかけた。あれが厄介なのだ。 このねずみは大変すばしっこい。身体自体は小さく、エクボが両手で上から押さえつければほとんど埋もれてしまう大きさだが、何せパーツが小さいから手足がすり抜ける。とはいえ自分の手から逃れられはせず、普通であれば絶体絶命である。事実過去捕まえたときもキューキューと哀れに……というよりだいぶやかましく鳴いて人でなしだのとまくし立て、あまりにうるさいので逃してやろうと思った。が。 「近付けるもんなら近付いてみな」 痛い目にあった過去を振り返る自分を見据えながら、ねずみは腰の袋から手を出した。掴み締めた形の拳をちらつかせる。細い尻尾が誘うように揺れる。うず、と本能が尻尾に吸い寄せられる。あのゆらゆらを仕留めたい。いやだめだ、あれは罠だ。飛びかかった瞬間を考えろ。ちくしょう、ああ、クソ。 ――我慢、できねえ。 後ろ足で床を蹴れば、奴が笑う。 「かかったな!」 「食らうか!」 「ソルトスプラッシュ!!」 「あっ、てめ……っ!」 一見見当違いの宙にねずみは塩をまいた。が、身を翻してかわすその動きも読んだのか、濡れた鼻先に塩の粒が貼りつく。 「しょっ……ぺえな!!」 「ざまあねえなあ化け猫サマ」 くそ、と鼻先の塩を舐め取っている間に、ねずみはまたかしかしとクロワッサンをかじり始めた。 「ったくどんなねずみなんだてめえは……」 「世紀の天才家ねずみ、っつってんだろ」 そう、このねずみは、塩を撒くのである。 まるで人間のような服をまとい、腰には必ず塩袋を提げ、窮地に至れども猫を噛まずに塩を撒く。まったく意味が分からない。撒きたいのはこっちだ。 ねずみの手では小さじ半分ほどの量もないが、鼻先に塩を撒かれてはたまらない。百年超生きている化け猫であっても、身体の基本性能は普通に猫なのだ。 >>2へ |