( にかけるに )
 2×2   [ 5 ]


『絶対に来たらだめですよ。キミが来てバレずに帰るなんてできないんですから。余計な騒動を起こさないでください』

 保育園の裏手に車を停めた黄瀬は、運転席で腕組みをして考えた。
 膝の上には、オーロラやあの有名なむっくりした妖精や、今回の主たるサンタクロースのカタログが積まれている。おもちゃ工場の絵本もある。何故かサンタクロースの働きぶりが知りたいというリクエストのために、「サンタの一日」、なる子供向け冊子も人に頼んで手に入れてもらった。
 来ないでくださいとは言われている。が、黒子に頼まれたものは少しでも早く渡した方がいいと思うのだ。家で渡したっていいけれど、どうせ保育園に持って行くのだし、りょうた君、だって早い方がいいだろう。

(ささっと渡して帰るだけだし)
 ついでに黒子のエプロン姿と、小さいのが必要以上にまとわりついていないか見るだけで、騒動など起こさない。
(黒子っちに直接渡せなくても、他のセンセに渡してもらってもいいしね)
 と言いつつ、気持ち良く取り次いでもらうための菓子折と笑顔の用意は忘れていない。黄瀬はバックミラーで身だしなみを確認し、静かに車から抜け出した。

 園の正門近くまで来ると、子供たちの賑やかな声が聞こえてきた。幼いながらきゃいきゃいと華やかなそれは、女の子たちのものだろう。何となく面白くない予感がする。黄瀬は入口の木に身体を隠しつつ、低い塀から中を覗いた。

(あー……はいはい)
 見れば、黄色い頭の小さいのが、サッカーボールを連続して蹴り上げていた。子供用のサイズだから、黄瀬から見ると鞠のように見える。
「りょうたくんすごーい!」
 小さい女の子たちは手を取り合ったり拍手をしたり、ボールが高く上がれば歓声を上げたり、楽しげな声は途切れることがない。すごいすごい、スポーツ何でもできるんだよね!と何故か彼女たちが得意げである。

(ったり前っスよ。オレの見た目で運動神経悪かったらキセリョは名乗らせねっス)
 よくぞここまで、というほど幼い頃の自分にそっくりなその小さい黄瀬涼太は、見た目が似ているだけではない。園児たちに囲まれて喜ぶでもなく、だんだん騒がれることが面倒になってきている。もうそんな顔をしている。自分の通った道をそのまま行くのかと思うと何とも複雑だが、客観的に見れば普通に生意気なのでかわいくない。
(ん?)
 その黄瀬が、突然顔を輝かせた。ギャラリーの外に誰かを発見したらしい。俄然張り切りだす。子供達の、先生みてみて、という声がする。黄瀬は隠れていた木から少し横にずれ、その姿を認めた。青みがかった髪が、気持ちのいい晴天の下に現われる。
(黒子っち!)
 室内から出てきた黒子は、子供たちの間に腰を落とした。二週間ぶりの姿に手を振って叫びたいのをぐっと堪える。中腰がかわいい。エプロンもいい。あのエプロンを家でもしてほしい。やっぱり寄って良かった……。と黄瀬がうっとり見つめていると、黒子が視線の先の存在に、にこりと笑いかけた。黄瀬・小だ。さっきまであんなに退屈そうにしていたくせに、黒子が見に来た途端やる気を見せるとは、まったく油断ならない。

「ね!先生、りょうたくんすごいでしょ?」
「はい、本当に上手です」
 黒子が園児の声に応えて頷くと、小さい黄瀬はくすぐったいような顔で笑い、さらにテンポ良くボールを弾ませる。黒子と黄瀬・小を交互に見やり、黄瀬はハンカチを噛みたい気持ちになった。
(黒子っち!顔に出てるっスよ!)
 ひいきなんてしていない、と黒子は言っていた。そうだとしてもそんな、目に入れたってこれっぽっちも痛くない、むしろ入ってくれていいです、みたいな顔をしていたら同じだ。歓声が上がるたび周囲の子供と目を合わせ、嬉しそうに拍手をする。黄瀬はそんな顔をされたことがない。拍手なんてもっとありえない。
 ぎりりり、と歯噛みしていたときだ。歓声の一部が動いた。視線の向きが変わる。

「こ、こんちわっス」
 ひらひら、と手を振り、条件反射で黄瀬は笑顔を作った。塀からすっかり姿を現していた自分に、園児と保育士たちの視線が集まっていた。そのうちの一人から突き刺さってくる視線が痛い。
 愉快そうな笑顔を浮かべた玲央先生が門のすぐ側まで歩いてきた。細く黒い髪がさらりと揺れて、園児に囲まれたこんな明るい場所でもどこか憂いを帯びている。何故この人が保育士をやっているのか、いつ来ても不思議だ。
「久しぶりね。最近全然来なかったじゃない、どうしたの?」
「えー……っと、フライトで海外行ってたんス。これお土産、みなさんでどーぞっス……」
 冷たい汗をかいている自分にくすりと笑うと、ありがとう、と言って彼は大きな紙袋を受け取った。そんなに怒ったらかわいそうよ、と後ろからやってきた黒子に言う。心中で絶賛同意するが口には出せないのでもっとフォローしてほしい。
 しかしそれ以上の言葉はなく、黄瀬の前には、すぐ戻ります、とだけ玲央先生に返した黒子がやってきた。正面まで来て、無言でじっと見上げられる。

「み、見つかっちゃった」
 えへ、と目を泳がせながら笑うと、黄瀬君、と低い声で呼ばれ背筋が凍った。咄嗟にもう一つ持っていた紙袋を黒子に押しつける。
「これ!これ渡しに来ただけなんスよ!頼まれてたやつ!」
 サンタはちゃんと働いてるって、と目を逸らしたまま言い足すと、黒子は紙袋の中を覗き込んだ。ちら、と横目で窺い見ると、不機嫌に細められた目がくるりと丸くなった。カタログや絵本を一つずつ興味深い様子で見ている。
「……どっスかね?」
 恐る恐る成果を尋ねると、黒子は大きな溜息をつき、それからようやく怒っていない顔を向けてくれた。口の端は笑みを作って持ち上がっている。
「黄瀬君がパイロットさんで良かったです」
「……!黒子っち……」
 すごいですね、ありがとうございます、と言われ、黄瀬は体面上整えていた顔を崩した。ずっと見たかった、自分だけに向けられる笑顔を間近に見て、取り繕ってなどいられない。
 しかしそのとき、今までとは別の視線を感じ、黄瀬は緩んだ顔を引っ込めた。黒子の顔も、真下へ向けられる。

「…………」
「……りょうた君」

 案の定、黒子の腰に小さい黄瀬がぴたりと張り付いていた。倍近くある身長で上から睨み下ろしてもどこ吹く風だ。自分からとっとと目を離した黄瀬・小は、ただ見上げるだけで黒子の視線を独占する。
「黒子っち先生、やっぱりこれ、オレ?」
「これとは何スかこのく……、……っいっ」
 がん、と臑を蹴られて言葉を失った。
「まさか、りょうた君とは全然違いますよ。安心していいです。でも『これ』はだめです。黄瀬君て呼ぶって約束しましたよね?」
「……黒子っち色々ひどい」
 身体を曲げ臑をさすりながら言うが、この上なく優しい声で話す黒子は黄瀬・小に視線を注いでばかりで、自分に見向きもしない。
「それよりすみません、ボール続いてたのに、途中でやめさせてしまって」
 黒子がしゃがみ、目の高さを同じくして言うと、黄瀬はそれが嬉しいらしい。本当に、心から何も気にしていない様子で笑った。
「いいんスよ。あんなのいつでもできるっス」
「……りょうた君はやさしいですね」
 黒子の目から、「小さい黄瀬君かわいい」が迸っている。数週間見ない間にこんなに骨抜きにされるているとは。二人の間に花や蝶の舞う世界が形成されている。
(騙されてるっスよ黒子っち!オレにもそういうときはあったっス。でもソレは見た目ほど天使じゃないんスよ!)
 そのきらめかしい顔を有効利用した子供の黄瀬も問題だけれど、黒子も黒子だ。自分には見惚れたりなんかしてくれないくせに。

「……黒子っち先生もやっさしいっスねえ」
 
 いくらか声を大きめにして言うと、黒子がぎくりと顔を強張らせた。黄色い頭を一撫でしてから、すっくりと立ち上がる。
「……今完全にオレのこと忘れてたっスよね」
「仕方ないでしょう仕事中です」
 できる限りの小声でそれだけ言い合うと、黒子はもう一度腰を曲げ、黄瀬に話しかけた。先にお庭に戻っててください、と、断れるわけがない柔らかい声で言う。少しの間があったものの素直に頷いた黄瀬は、去る間際に自分を見上げた。視線がかち合う。

(やっぱ気にいらねっスわ〜!)
 うっかり火花が出そうなぶつかり合いを遮断するように、黒子が身体ごと間に割って入った。強制的に視線が外され、黄瀬は目を空へ転じ、小さい黄瀬も大人しく庭に戻っていく。

「……どうしてそう対抗心を燃やすんですかキミは」
「りょうた君が、オレの黒子っち先生、みたいな顔するからっスよ」
「してませんから」
「してるっス」
「……まあ、近いとは思いますけど。でも多分違いますよ」
「?」
 黒子はまるで昔の探偵のように、顎に手を当て、軽く首を傾げて言った。どこか確信めいている言い方だ。
「それより黄瀬君、ボク今日、早上がりなんです」
「え!そうなんスか」
 黒子の勤務時間は定時か遅番が主で、早番は滅多にない。ということは、黄瀬の帰国の日に合わせてくれたということだ。
「あと二時間で帰れますから、大人しく家で待っててください。話すならゆっくり話したいです」
「了解っス!」
「じゃ、ボク戻りますね」
「あんまりちっこいオレにたぶらかされないでね」
「はいはい。……あ、黄瀬君」
 背中を向け、数歩足を進めた黒子は一度振り返った。通り抜けた秋風が彼の髪をなびかせ、エプロンの裾がはためく。
「 おかえりなさい 」
「……うん 」
 自分の顔がほころんだのを確認すると、黒子は今度こそ真っ直ぐ園児たちのもとへ戻っていった。

(……触りたい)
 黒子の背中を見送りながら、真昼の保育園にはふさわしくないことを考える。今すぐその肩に手をかけて引き戻したい。二週間も会っていなかったのだ。待ちきれない。
 今度は滑り台で子供たちを見守っている黒子は、小さい黄瀬にも、それ以外の園児にも笑顔を向けている。そういう姿を見られることは嬉しいけれど、少し悔しくもある。表情を大きく変えない黒子に笑顔を向けてもらうことは、特別な誰かの特権だった。

 黄瀬はポケットの中に手を入れた。ストラップのついた鍵を、指の間に挟む。黒子の家の鍵だ。大人しく帰りを待つのは、当然黒子宅に決まっている。
 気に入りのストラップと鍵で遊ぶ指先に、固く触れるものがもう一つ。普段は気にならないけど時折意識する、不動産会社からもらったままの自分の家の鍵だ。キーホルダーも何もつけていない。すぐ返すし、という予定と願掛けを込めている。

 たまに、ごくたまに、もどかしくなる。持つ鍵は一つでいいのに、と思ってしまう。

 ふ、と息を吐き、頭を冷やすように涼しい風を吸込んで、黄瀬は車へ向かった。
 僅かに異なる二つの鍵を、手の中で重ね合わせながら。






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