雨のちはればれ [ 3 ] |
◇◇◇ 翌・快晴の日 −PM19:30− ◇◇◇ 昨日一日降り続いた雨は、今朝には上がった。おかげで夜には小さな星が瞬き始め、月も白く輝いている。 黄瀬は電車の窓から、ぼんやりと空を眺めた。 緑間からメールが届いたのは、昨日の晩だった。昔の試合のDVDを持って来いと言う。しかも昨日の今日で来いという人使いの荒さだ。オレは忙しいのだよ、と何故か憤然とした文面だったので、オレも忙しいのだよ、と黄瀬も返したかった。たまには反抗的な態度も取ってみたい。が、そうはしなかった。何故なら昨日に引き続き今日も練習欠席確実で、体力があり余っていたからだ。 通勤ラッシュも落ち着いた車内に、人はまばらに立ったり座ったりしている。いつもなら、この時間にこの電車には乗ることはない。今頃ならちょうど部活が終わった頃で、ロッカーで着替えながらくだらない話をしている頃だ。 (あー……何で昨日雨だったんスか) 雨じゃなければこんなことには。 そんなこと言っても仕方ないと分かっていても、手の平を見る度に思わずにいられない。 大きな絆創膏はまだ取れない。手の平以外はいたっていつも通り、健康優良児以上の動きをするから余計に腹立たしい。練習の見学くらいはとも思ったが、この情けない状況が浮き彫りになるので、さっさと家に帰ってロードワークに切り替えた。 よくあることだった。 通りすがりの女の子に見とれられるのも、突然握手を求められるのも、聞こえよがしに嫌味めいたことを言われるのも、まあよくある。理由がバスケならともかく、仕事上くだらない喧嘩で顔に傷はつけられないし、イメージもある。何より、スポーツマンに喧嘩は御法度だ。だからそういう野次なんか、自分は普通以上に動じないと思っていた。それなのに昨日はどうしても、抑えられなかった。 家を出てから大粒の雨に降られ、途中買ったビニール傘をさしながら歩いていたら、横を通り過ぎようとする傘の中から声が聞こえた。どうやら、誠凛との練習試合を観戦していた生徒のようだった。 黄瀬、こないだ負けたんだってなー。そう聞こえた。横にいるのが自分と知って、直接話しかける気はなく、聞こえるように言ってるんだとすぐに分かった。くっだらねぇ、と思った。そこまでは受け流せたのだ。相手にする必要もない。とはいえ、まったく感情を波立たせないでいられるほど大人でもない。そこへきて。 相手ショボいガッコらしいじゃん。それが続いたのだ。反応するまいと思っていた自分の顔は、意図せず相手を傘の上から睨み降ろしていた。と同時に、立ち止まり深呼吸をしていた。多分癖だろう。そうしなければ、本気で手が出てしまいそうだった。 ビニール傘越しに、自分を見上げる彼らと目が合った。途端、彼らはそそくさと走って逃げた。 こんなものなのだ。相手にするだけ無駄だと分かっているのにやってしまった。頭に血が上った自分を反省するが、苛立ちはそう簡単に消えない。こんなとき、目立つ外見の自分が少しだけ疎ましい。少しでも荒れた素振りを見せれば、何人に気付かれてしまうだろう。オレだってたまには空き缶を蹴っ飛ばしてバカヤローとかやりたい、と誰に言うでもなく訴える。 結局気分を落ち着かせることはできず、イライラとしたまま校舎へ辿り着いてしまった。下駄箱の手前で、いささか力を込めて傘の水滴を振り落とす。その勢いのまま、傘を乱暴に閉じようとしたときだ。必要以上に力が入ってしまった。収まらない鈍い怒りで痛いと思ったのも遅れた。目に入った血に、げっ、と正気に戻ってようやく、傘の骨で手の平を切ってしまったことに気づいた。 大した傷ではなかったが、保健室でべったり貼られた絆創膏は部活前に笠松に見つかり、さらに運悪く撮影の日ともかぶっていた。練習は傷が治るまで見学、撮影はごまかしごまかし終了。 実際のところ、それ位なんともない。なんともないが、黄瀬を落ち込ませるには十分だった。 (だっせぇ……) どちらか片方だけでも痛いのに、両方に影響を出した。バスケの方は蹴ってくれる笠松がいるからまだいいが、仕事に入れば周りに優しくフォローされる。余計に情けない。 誠凛に行ったのは、部活を休んだために生じた空き時間だった。元々撮影で早退の予定だったから休んでしまうことにしたのだが。 (何がしたかったんだ、オレ) 部活中に。 自分が部活に出ているからという理由を除いても、普段だって一応練習中くらい避けている。できるだけ。 元気をもらおうと会いに行ったはいいが、幾筋も汗を流し、ただバスケに集中している黒子を見たら、こんなことで休んでいる自分が格好悪く思えて、何も言えなかった。 「……っと」 考え込んでいたら、携帯が振動したことに気付くのが遅れた。傷のない左手でぱかりと開く。来る前におしるこを買ってこい、と非常に偉そうなお達しが画面に表示される。 だから人使い荒いっスよ、とぼやきながらも今はありがたい。 最寄り駅のコンビニで季節外れのおしるこを買い、黄瀬はとぼとぼと緑間の家へ向かった。 >> 続 << 戻 |