雨のちはればれ [ 4 ] |
◇◇◇ 翌・快晴の日 −PM20:00− ◇◇◇ 黄瀬ほど分かりやすく落ち込む人種もいない、と緑間は思う。ただ、器用なだけあって隠すこともうまい。感情をオープンにしているように見せかけて、見せたくない本心はいつも隠れている。自覚してか、無自覚か分からないが。 それを黒子が気づいていないわけはないのだが、本人は隠しおおせていると思っているようなのだ。この上なく馬鹿だ。 しかし緑間にとってそれ以上に許せないことが、現在発覚した。 「何をなのだその手は」 視線に気づき、黄瀬はあからさまに右手を隠した。じろりと睨むと即座に目を反らして口を引き結んだ。無理矢理手を取ろうとすれば、クッションに座ったまま身体をよじって手をかわそうとする。 「や、何でも、何でもねーっス!」 「見せろ」 「気のせいっス!」 黄瀬を部屋に上げ、何気なくDVDを受け取ったら、その手にありえないサイズの絆創膏が貼ってあった。ちょっと切ったとか擦りむいたとかでは貼られないサイズだ。今さら隠したって無駄だというのに、なおも逃れようとする態度も気に入らない。座ったままじりじりと後退していく。 額に青筋を立てた緑間は、何も言わず自分の携帯を開いた。ボタンが押されていく様を、顔に疑問符を浮かべて見ていた黄瀬が、突然何かに閃き反応した。 「ちょっと!緑間っちまさか」 三度ほどボタンを押したところで、黄瀬は緑間の手を両手で掴んだ。液晶に浮かぶ、黒子テツヤの文字と電話番号におののく。 「ななな、なんつーことを」 完全に凝固しているうち、緑間は悠々と黄瀬の右手首を掴んだ。手の平を返し、隠されていた絆創膏を見つける。サイズは大きいが血が滲んでいる様子もないし、黄瀬の動きからしても大したことはなさそうだと判断する。 「で?何なのだこれは」 「イっ!痛いっス!」 傷など触ってはいない。手首を軽く捻っているだけだ。大して痛くもないくせに、いーたーいー、と黄瀬が騒ぐのでやむなく外すと、唇を尖らせて右手をさする。 「手の平に傷をつけるなど考えられん。不注意にもほどがある」 「……そりゃあ、テーピング魔の緑間っちにしたらそうだろうけど」 「やるべきことをやっているだけだ」 うう、と口篭った黄瀬は、完全に沈黙した。うなだれて、色の濃い金髪が顔を覆う。 「落ち込むなうっとおしい」 「緑間っちが落ち込ませたんス」 (これが原因か?) 怪我などしたのは他人事ながら腹立たしいが、黒子に言えないほどのことではないだろう。 しるこをすすりながら、昨日のおは朝を思い返してみる。確か、双子座は七位。良くはないが、大して悪くもないはずだ。夜に突然黒子の電話を受けて、八つ当たりをされた自分の方がよほど不運だった。それで今日もこんなことに付き合っているのだから。 「どうせくだらん原因でやらかしたのだろう」 「……くだらなくないっス」 「オマエの悩みは大抵くだらないのだよ」 「ヒドッ!これはくだらなくないんスよ!絶対ェくだらなくない!」 カマをかければすぐに引っかかる。手間が省けていいのだが、うるさい口は要点のみ話すということができない。傷ができた原因だけで良いところを、誠凛で黒子に会って、という余計なところまでうだうだと話すのがこれまたうっとおしい。 (それは聞いたのだよ) と言いたいところだが、黒子が心配しているなどと知ったら、アホのように浮かれて肝心なことは解決しないまま終わるだろう。 一番肝心なことは、確かにくだらなかった不注意による傷のことではなく、飛ばされた野次の内容でもなく。 「何故誠凛にまで行っておいて、それを黒子に言わないのだ」 言わないから、黒子の機嫌まで一緒になって下がる。それで飛んでくるとばっちりときたら迷惑千万甚だしい。前だって、飼っていた熱帯魚が病気になったとかで落ち込んで、それも黒子に言わないがために、いらぬ労力を費やしたのだ。 「……言いたく、なくなったんスもん」 黄瀬はふいっと横を向いてそれ以上は口を閉ざした。散々愚痴っておいて、挙句にこれだ。 (オレに子守りを押し付けた借りはいずれ返してもらうぞ黒子……!) めき、とおしるこの缶が音を立てた。それに反応した黄瀬が、へこんだ缶をそろりと横目で見る。 「……黒子っちには」 あぐらの中心についた腕に力がこもった。うつむいたって、何も隠れやしない。正面の緑間には全て見える。くの字に曲がった口も、髪の中に隠した伏せたまぶたも、眼の色も。 「格好悪いとこ見せたくないんス」 その言葉に隠された真意も。 (仕方のない子供なのだよ) そんな顔を見せられては、呆れるしかない。馬鹿にすることもできない。怖がっている子供を叱ったところで、怖がることを止めることはできない。 格好悪いところを見せたくない。嫌われたくない。失望されたくない。本当はそれを怖がっているのではない。そうなったら、また消えてしまうかもしれない。黄瀬はただそれだけが怖いのだ。 「オマエのみっともない姿など、黒子も見慣れているだろう」 「んなことないっス。オレは黒子っちの前じゃいつでもかっこいいっス」 「……」 緑間の頬がひくりと動いた。これが冗談じゃないのだから恐ろしい。それはともかく。 「話そうと思ったけれど止めた、のだろう。誠凛に行って。黒子が何も気付かないと思うのか」 「そりゃ黒子っちだし……ちょっとは気付いてるかもしんねぇスけど……」 「オマエの“ちょっと”はアイツの“ほとんど”だ馬鹿め」 「え!気付いてるんスか!何で?!」 「オマエ、本物の馬鹿なのだよ!」 頭が痛い。いい加減ばらしてしまいたい。二人でとっとと顔を突き合わせて話せばいいのだ。 黒子も黒子だ、気になるのなら、本人に直接聞けばいい。黒子が言えば、黄瀬など簡単に口を割るだろう。 昨日の電話でそう言えなかったのは、黒子なりの後ろめたさを緑間が感じてしまったからだ。自分に言えないのは自分に原因があると、内心半ば逆ギレ中ではあるようだが、分かっている。 (呆れた臆病者なのだよ) コートの上ではあれほど勝ち気に攻め挑んでくるくせに、一体何を繊細ぶっているのか、まったく手に負えない。それにいちいち付き合っている自分も手に負えない。 「ど、どうしよう緑間っち。オレ隠し事してるみたいっスかね」 「みたいではない。気になるなら話せ」 「えー!どっから?!」 「知るか!」 緑間っちー、とひんひん泣いて縋る黄瀬が重い。上背は自分の方があるのに重いのだから、黒子は普段どれほど重いだろう、と同情する。格好悪いところを見せたら、面倒くさいと思われたら、と怯えるなんてまったく馬鹿らしい。あれだけ頻繁に抱きつく黄瀬の相手をしている時点で、とうに並みのレベルを超えている。 「じゃあ……話すっス」 「そうしろ」 制服のポケットに手を入れた黄瀬が、「あ」の形に口を開いた。取り出した携帯が光っている。どこぞのネオンのような、どピンクの着信ランプ。 どんより曇っていた顔に、みるみる生気が戻る。 「黒子っち!」 弾む声を聞きながら、黄瀬が持ってきたDVDのラベルを眺める。見る予定もなかったが、気分転換でもしなければやっていられないかもしれない。 (まったくお似合いなことなのだよ) 嫌味も通じそうにない黄瀬を追い出してから、中学時代の試合を見返す。珍しく黒子からパスを回された黄瀬が、やたら気合いのこもったダンクをしていた。 なるべくしてなったのか。運命の不可思議を感じてデッキの電源を切り、緑間は試験勉強を再開させた。 >> 続 << 戻 |